住友銀行人形町支店。日本橋大伝馬町5。1986(昭和61)年2月9日
写真はビルの左が切れてしまっている。ビルは玄関を中心に正面は左右対称である。前の通りは人形町通りで写真左が人形町方向。
1929(昭和4)年竣工、設計:住友工作部、施工:藤木工務店。
『帝都復興せり!(平凡社、1988年刊)』の写真のキャプションに『長谷部鋭吉が率いた住友工作部は華麗な洋式建築を多数手がけた優秀な集団だった。古典主義をみごとにこなす。』とある。長谷部鋭吉は1909(明治42)年、帝大建築学科を卒業して住友本店臨時建築部(後に住友営繕)に入社。1933(昭和8)年、独立して長谷部竹腰建築事務所を設立した。代表作はもちろん大阪の旧住友銀行本店(第1期=1926、第2期=1930)だ。
ネットの写真を見ただけだが、神戸住友ビル(1934昭和9年)、やはり神戸の同和火災海上ビル(1935昭和10年)は長谷部竹腰建築事務所の作品だが、基本的なデザイン構成は人形町支店と似ている。つまり、縦長のアーチの枠に1・2階の窓を収めたものを並べ、左右上部を四角い窓で囲むというものだ。人形町支店のような建物は他にもあったと思われる。
住友銀行の裏側。1987(昭和62)年4月5日
後ろに平屋の部分が延びているが戦後の増築のようだ。
住友銀行人形町支店。1985(昭和60)年4月29日
1枚目の写真と逆の方向から撮ったものだがこれもビル全体が入っていない。建物南の角に出入口があり、北側とは出入口の位置が異なる。
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今後は建てたくても建てられない贅沢なビルを簡単に取り壊してしまうのは勿体ないのは確かです。銀行にすれば、贅沢なものを残しておくのは勿体ない、となるのでしょうか。日本は戦後、本当に豊かになったのでしょうか?
http://osushiyo.hp.infoseek.co.jp/romen18.html
とにかくこれを見ると同じ住友銀行でも、大阪本店、人形町支店のような系統のデザインとは違うものも作られていたことが分かります。それともこの建物は最初は別の銀行のものとして立てられたのでしょうか。この建物については他のホームページなどでも話題にされているのも見たこともなく、設計者や来歴などもさっぱりわかりません。いずれにしろ、今ではほとんどの人の記憶から消え去ったこんな建築があったことだけは確かです。
昭和9年の地図に「住友銀行東京支店」とあるので、住友銀行として建てられた可能性が強いと思います。はいばらの右は同じ地図で「大同生命館」となっています。
大同生命ですか。↓のサイトを見るとおそらくこれはヴォーリズの設計ではないかと思います。これらの建物は一体いつまであったのでしょうか?考えてみればこの30年くらいこの界隈は時々訪れていたのですが、さっぱり記憶にありません。
http://www.jmam.net/b/zinmei/vories-h.htm
HP「近代建築ホームページ>建築的雑話2003」に、前田松韻について『大正10年に加島銀行東京支店が竣工(日本橋2丁目、現存せず)』の記述がありました。
なお、昭和54年1月撮影の航空写真ではすでに住友銀行とも建て換わっています。