ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



喜月(和菓子)。中央区日本橋人形町1-5。1988(昭和63)年1月24日

芳町通りの1本南の裏通り。写真左手へいくとすぐ人形町通りに出る。北浜人形町本店の隣。特注の瓦をのせているから建物本体にも相応に金をかけているのだろう。現在は「喜月ビル」に変わった。


北浜本店
日本橋人形町1-5
1986(昭和61)年頃

北浜のHP によると。関西料理の店だが関西から進出したわけではなく、京都の織物などを扱う繊維問屋が多い日本橋なら関西人の客が見込めるということで、人形町の辺りに開業したということらしい。兜町にも近く、蛎殻町の東京穀物取引所はすぐそばである。大阪でいえば北浜のような場所だというのが店名の由来だという。
写真の建物は昭和30年頃の火保図に「ふくや」とある旅館だったもの。写真左の洋風の家は戦前の火保図に「坂田屋」とある。北浜のHPには道路の角に立つ日本家屋の建物のほうから撮った写真が載っている。

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コメント
 
 
 
取り上げていただき有難うございます。 (人形町北浜総本店)
2010-11-16 21:19:36
はじめまして。
こちらは人形町北浜でございます。

当総本店は、もともと創業者の妻が旅館「ふくや」として運営していた店舗をお隣の蕎麦店「坂田屋」さんを買い取ったのを機に建物を改造して附合し、
「関西料理 北浜」として開業しました。

また、往時の人形町近辺は「浪花町」と呼ばれていた大阪人の多く住まっていた地域であったことも、この地に開業した理由でございます。

建て替え前の当店を気に入って下さるお客様も
多く、惜しまれつつ、平成元年に建て替えました。
 
 
 
>北浜様 (流一)
2010-11-18 12:07:39
当ブログで写真と共に取り上げた建物の店や会社からコメントをいただけるのはめったにないので、とてもうれしいです。ありがとうございました。
北浜と旅館「ふくや」及び蕎麦店「坂田屋」との関係と経緯が分かってとても参考になりました。
貴店もますますご盛況のようで、創業者の目の付け所はたいしたものですね。
 
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