ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東洋興業。中央区八丁堀4-13。1987(昭和62)年7月26日

工事中(たぶん京葉線の)の大通りは鍛冶橋通り。左奥へ行くとすぐ亀島川に架かる高橋である。
東洋興業は2010年に 東洋カーマックスと社名変更しているが、そのHPによると1963(昭和38)年に三和銀行と丸善石油を株主にして設立された自動車関連の運行管理をする会社である。写真のビルは、その三和銀行だった建物。 『わが町・八丁堀』というサイトの 「中央区の沿革(戦後編)」に「1951昭和26年3月5日三和銀行八丁堀支店開業」の記載がある。ビルは三和銀行として、このとき建設された可能性があると思う。昭和44年の住宅地図ではすでに「東洋興業KK/文化産業信用組合」である。
東洋興業のビルには文化信用の看板もかかっている。文化産業信用組合京橋支店で、1階を店舗として使っているらしい。2箇所の入口の上にその名前を置いている。 文化産業信用組合はそのHPによると「出版関連専門金融機関」で、開業は1952(昭和27)年11月。出版関連には印刷業も含まれる。八丁堀、新富、入船、湊辺りは印刷業が多いから立地としてはうなずける場所だ。「昭和38年7月、京橋支店開設」なので、三和銀行はその年に八丁堀支店を他に移すか廃止して東洋興業と文化信用が入ったようだ。
現在の八丁堀東興ビルは1993(平成5)年7月の竣工。




上:コバリ。中央区八丁堀4-7
1987(昭和62)年4月29日
左:中島商工。八丁堀4-8
1987(昭和62)年2月14日

鍛冶橋通りの1本裏の通りで、向かい側は大震災以前は桜川の河岸で北桜河岸といった。桜川が埋め立てられる以前は稲荷橋から新桜橋までの河岸地だった場所に倉庫が立並んでいたようだ。
上の写真は、写真左から、コバリビル、コバリ、三東ビル。コバリの建物は昭和27年頃の火保図に「小針鉄機S/大星」となっている。戦前の建築なのか微妙である。
左の銅板張りの家はコバリの並びだが新大橋通りの中之橋に近いところにあった。ガラス戸に「美術印刷・写真植字」と読める。昭和44年の住宅地図では「太田川商店」。路地の奥、「ロイヤル/やまぐち」の看板の後ろに「山口畳店」の看板ある。




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