ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





副隆商事
中央区湊1-11
上:1987(昭和62)年5月3日
左:1987(昭和62)年1月15日

今も鉄砲洲通りの角に写真のような家を構えているから目立つ建物である。「副隆商事」の名称は現在、3階建ての洋館にかかっている表札で、撮影時にはなかったかもしれない。和洋折衷というより、住居の日本家屋と商売用の洋風の家屋が同じ敷地に建っているということなのだろう。
『下町残照』(村岡秀男著、朝日新聞社、1988年)に、この家の夫人の談として『義父が昭和十二年に亡くなるまで、このあたりをはじめ日本橋、永代、綱島のへんまで、数百軒も貸家を持っていて、番頭さんも大勢使っていたようです。』とある。昭和2年の建築という。

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コメント
 
 
 
いつも自転車で通ってます! (九ちゃんのママ)
2008-07-20 22:50:59
流一様
 深川っこ4代目ですからこの界隈、子供の頃は「東京駅南口発、北砂七丁目行」のバスで、、、現在は明石町に住んでますので自転車で通っています。昔の大店といったらまるで小説の世界の様なお暮らしぶりだったのでしょうね。。。 入船、新富町、八丁堀、湊町、その町名だけでその街の歴史が伝わってきます。サイトのお写真ほとんど知ってる懐かしい街並みばかりですが、普通に通り過ぎて来てしまい、取材られたお店やお宅の歴史は新たな発見です。ご存知かと思いますが明石町には、土門拳が住んでいらした長屋がまだ残ってます。こちらの方にもどうか足をお運びください。
 
 
 
>九ちゃんのママ様 (流一)
2008-07-21 11:29:22
いつもご覧頂いているようでありがとうございます。
私は土門拳に関しては仏像の写真が思い浮かぶくらいで、明石町に住んでいたということも知りませんでした。その古い長屋は1・2回は通って眺めてはいますが、中に進入するのは遠慮していました。土門拳が住んでいたとあってはそんなことは言ってられませんね。
昭和20年代火保図を見ると、外の道路から3軒目に「土門拳31.17」の記載がありました。数字は「明石町31番地の17」のことらしいです。近いうちに見に行かねば。
 
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