緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

マリヤ・ユージナ演奏 シューベルト ピアノソナタ第21番(D960)を聴く

2015-05-23 23:09:54 | ピアノ
この2週間ほど聴く音楽の殆どはシューベルトのピアノソナタ第21番(D960)だ。
きっかけは中国出身のピアニスト、シュ・シャオメイの演奏するこの曲の録音を聴いたことによる。
自分の気に入った曲、演奏は何度でも聴くし、他に素晴らしい演奏がないものかと、とことん探してしまう。
この1週間の間にこの曲で聴いた演奏としては、アルフレッド・ブレンデル、ゲザ・アンダ、内田光子、マウリツィオ・ポリーニ、今井顕、スヴャトスラフ・リヒテル、アリシア・デ・ラローチャ、ラザール、ベルマン、そしてマリヤ・ユージナの録音である。
この中で印象に残った演奏はラザール・ベルマンのライブ録音とマリヤ・ユージナのスタジオ録音であるが、ひときわ強く感動したのは旧ソ連の女流ピアニストであったマリヤ・ユージナ(Maria Yudina 、1899~1970)の演奏である。
ユージナは以前このブログでベートーヴェンのピアノソナタ第27番の聴く比べを書いた時に紹介したことがある。
彼女もマリヤ・グリンベルクと同様、旧ソ連で反体制派と見なされ演奏活動を制限されたピアニストであった。その名が知られるようになったは死後かなりの年月が経ってからである。
ユージナはかなりの数の録音を残したが、極めて粗雑な環境で録音されたものが多い。このシューベルトのピアノソナタ第21番の録音は1947年、彼女が48歳の時であるが、まだ良く録れている方である。もちろん編集録音などは無い。一発録音であろう。使っている楽器もいいもののように思えないが、ユージナの楽器から最大限の魅力ある音を引き出す能力には感嘆せざるを得ない。
現代の軽い音に慣れきってしまっている方には是非聴いて欲しい演奏だ。
まず冒頭から最後まで随所に現れる低音の不気味なトリルが凄い。深い底から響きわたってくるような太く強い暗い音なのだ。寒気すら感じる。
今まで聴いたこの曲の演奏でこのトリルを上手く弾けている人はなかなかいない。目立たないように弱く弾いている人もいるが、この不気味なトリルをなぜシューベルトは幸福感に満ちた心地よい旋律のさなかにも挿入させたのであろうか。このトリルは何か近い将来に不幸な出来事が自分の身に降りかかってくるのではないかという無意識の不安の表れなのであろうか。あるいは何か明確な意図を持って曲中に何度も挿入させたのであろうか。曲に一層の変化をもたらすためにあえてそうしたのか。いずれにしても、シューベルトの意図を、こ曲を聴きながら想像してみるのも興味深い。
第一主題の後に変ト長調に転調し、幸福感に満ちた素晴らしい旋律が現れ、その後強い和音の連続でクレッシェンドする部分があるが、ユージナのこの強い和音の連続が凄まじい。ものすごいエネルギーが放出されているのが分かる。この部分を聴くと体にエネルギーが湧き起ってくるのが分かる。
そして長い主題が繰り返された後に短調に転調されるが、しばらくしてポンセがソナタ・ロマンティカで取り入れたと思われる不協和音を伴う部分のユージナの低音が凄い。聴いていて身震いしてくる。決して大袈裟で言っているわけではない。
この低音がピアノの最も魅力ある音なのだ。このような低音は膨大な録音の中でも聴くことは極めて稀である。私がすぐに思い出したのは、マリヤ・グリンベルクが死の前年に行った演奏会のライブ録音で、リスト編曲のシューベルトの歌曲集の演奏である。
やはり器楽の演奏家は楽器から、その楽器の持つ最大限の魅力ある音を出すことに全てのエネルギーを注がなければならないのである。軽いシャリシャリした音しか出ていないのに、大演奏家のように評価することはどうかと思う。
クラシックギターの世界でもアンドレス・セゴビアはギターという楽器からいかにその楽器の持つ最大限に素晴らしい音、その音とはその楽器しか出せない特有の響きと奏者の感情エネルギーが融合した音なのであるが、この音を出すのに全てを賭けた演奏家と言っていい。現在に至っても彼以上の音を出すギタリストは現れていないどころか、ますますギタリストの音は駄目になってしまった。
前回のシュ・シャオメイの演奏の紹介でも述べたように、この短調の転調の後しばらくして、とても感情を強く刺激する部分が現れるのであるが、この部分の演奏が最大のかなめであり、演奏の良し悪しを決める際のメルクマールになるのである。
この部分を聴くと、何かとても不幸で辛い体験で感じるもの、たとえば耐えがたい極貧、親しい人との死別、死を選択するほどの精神的な苦しみ、といったものを感じてしまう。短いフレーズであるが、何かそのようなものが浮かんでくる。
そしてその感情がを、何か肯定的な大きな存在-それを神のような存在というのであろうか-が見守っているように感じられるのである。

マリヤ・ユージナのことはインターネットで検索すれば、その生涯の概要を紹介した記事がいくつかあるので、ここではあまり触れないが、最後は極貧のうちに生涯を閉じたとのことである。生涯独りであったが、部屋にはピアノすら無かったという。
ユージナの若い頃の写真を見ると、悲しい目をしている。愛されなかった人特有の目である。
恐らくその境遇から生まれる感情を音楽、ピアノを手段にして解放し、昇華させていったのではないか。
彼女の演奏を聴くとそのような気持ちが伝わってくる。
彼女はピアノに出会い、ピアノ音楽に生涯を捧げることで最後は幸福になれたと信じる。




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2 コメント

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Unknown (Tommy)
2015-05-24 21:54:32
残念ながらMaria Yudina の録音は見つけられません
でしたが、どの音楽の世界にも凡人には計り知れない能力を持つ人がいるものですね。

身近なところでは現在ギターレッスンを受けている
NHKの講師は音を聴き分ける能力はプロだけに素晴
らしいものですね。弾いた曲でどこにどんな間違いが
あるかを的確に指摘してくれますが、初心者の私には
驚異的なことの様におもわれます。
このような能力は経験で培われるものでしょうか、
それとももって生まれた能力なのでしょうか?
高齢からのスタートには厳しい面が感じられます。
Unknown (緑陽)
2015-05-24 23:22:08
Tommyさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
昨日紹介したマリヤ・ユージナの演奏ですが、Youtubeで"maria yudina schubert D960"で検索していただくと、見つけることができると思います。
お聴き下さると幸いです。
音を聴き分ける能力は経験だと思います。私もギターを始めた頃は誰が本当に素晴らしい奏者なのか、ということがわかりませんでした。
しかし音楽は元をたどれば人の感情を表現したものなので、奏者がいかにその感情をそのままに表現できるか、に尽きると思います。
聴いていて心に受けるものが大きければ大きいほど、その演奏は素晴らしいものと言えるのではないかと思います。
Tommyさんのコメントを読むと、人の気持ちに敏感で暖かさを感じます。
聴くことを積み重ねていけばかならず演奏や音の違いが分かるようになると信じます。

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