緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

カールハインツ・シュトックハウゼン作曲「ピアノ曲Ⅸ」を聴く

2019-02-23 22:02:11 | ピアノ
ギター曲で恐ろしく暗く不気味で、理解し難い現代音楽を探してきたが、なかなか見つからない。
代わりにピアノ曲で見つけた。
(初めて聴いたのは2年くらい前)
カールハインツ・シュトックハウゼン作曲「ピアノ曲Ⅸ」(Klavierstuck IX 、1955年)だ。

カールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen、1928-2007、ドイツ)は幼い頃に両親を不幸な理由で失った。
6歳からピアノを始め、ケルン音楽大学のピアノ科に入学、在学前と在学中はジャズ等のピアニストとして生計を立てていたが、同時にケルン大学にも籍を置き哲学などの思索にふけった。
その後フランスに移り、パリ国立高等音楽院に入学、オリヴィエ・メシアンの分析クラス、ダリウス・ミヨーの作曲クラスにて学んだ(ウィキペディアより転載)。

作風は筋金入りとも言える典型的な現代音楽である。
普通の調性音楽とは全く次元が異なる。
このような現代音楽は、調性音楽と同じ前提条件では聴くことは出来ない。
調性音楽に対する感じ方をリセットし、持ち込まないようにしないと拒否反応を起こしてしまう。

現代音楽にも様々なものがあり、人間の負の感情を扱ったものもあるが、このシュトックハウゼンの曲は理論的、哲学的な要素を強く感じる。

聴いていて寒気がしてくるような電子音楽がメインの作曲家のようだが、このKlavierstuckは比較的初期の作品で、11作品から成るが、ピアノの現代音楽作品としては非常に精巧で研ぎ澄まされた鋭い感覚的なものも感じる。
現代音楽作品の中でも奇をてらったわざとらしい表層的なものとは一線を画している。

Klavierstuckの中ではⅩの録音が多い。
あのポリーニのライブ演奏もYoutubeで聴ける。
私はポリーニの音がどうしても好きになれず、ベートーヴェンのピアノソナタなどは評価できるものではないと感じているが、現代音楽の演奏ではどうであろう。

今日聴いたのはⅨ番だ。
全11曲の中では一番聴き応えがあった。
まだ感想を述べるほど聴いてはいないが、荒涼としており、不気味、理解不能、鋭い感覚による音使い、心地よさとは全く正反対の音楽だ。

以前、ジャチント・シェルシ(Giacinto Scelsi、1905~1988)のピアノ曲を聴いたときも、徹底的に研究されつくした完成度の高い音楽だと感じたが、この シュトックハウゼンの音楽も追い求めた領域を極めたものに対してしか得られないものを感じる。
先人が作ったものをちょっとかじって、見た目がよくなるように味付けしたものとは根本的に違うのだ。
現代音楽は奇抜さだけでは人の関心を引き留めることは出来ない。
現代音楽って本当は創造するのが物凄く難しいものなのだと思う。

Stockhausen Klavierstuck IX
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リア・サイド内張り交換(4)

2019-02-23 19:25:39 | 
(1週間前の作業の続き)

前回は、ボルト穴を開けるためにダンボール紙で作成した縞鋼板の型をボディに仮固定し、きりとプラスドライバーで穴を開けた。
今日はダンボールの型を縞鋼板に固定し、穴の開いた箇所にマジックインキでマーキングする。

まず助手席側から始める。











次に運転席側も同様にマーキングする。





縞鋼板にマーキングした部分にドリルで穴を開ける。

使った電動ドリルとドリル刃。
久しぶりに使う。



ドリルを使う前にポンチを打ち込む。
これをやらないとドリルが動いてしまい、上手く穴を開けられないからだ。



開ける穴はφ6mmであるが、いきなり6mmの刃を使わない。
径の小さい刃を順次使って最後に6mmの刃で開ける。













反対側からもドリルを当てる。



六角ボルトM6×15が穴に入るか確認する。



縞鋼板2枚共穴あけ終了。

ドリル刃をケースにしまおうとしたら、蓋が閉まらない。



何で閉まらないかなかなか分からなかったが、φ4mmの刃がケースの穴の底まで入っていかずに途中で引っ掛かっていることが判明。
ドリル刃の固定が甘かったのと、下穴に対し径の大きいサイズの刃を使ったためにドリルが途中で止まってしまって、刃が固定部を回転したことが原因。
ドリル刃の根元に回転に伴うキズが付き、そのキズが収納穴の途中で引っ掛かってしまっていたのだ。
穴あけでドリルを使うのは久しぶりで、使用の基本を忘れていた。
仕事では日常よく使われる「3H」が、ここでは何の効果ももたらされなかったわけだ。



今日はここで終わりにしよう。
次回は穴あけした縞鋼板を車のリア・サイドにあてがい、穴の位置を確認する。
穴の位置は多少ずれているであろう。
ずれていたら、金属の棒ヤスリで調整する。
この棒ヤスリ、柄が確かオレンジ色だったと思うが2、3本持っていたはずだが、工具箱を引っかきましても出てこない。
これだから整理整頓の出来ない人間は困ったもんだ。
新品を買おうか。
一つの場所にまとめて入れておけば良いのだが、後のことを考えずにあっちこっち空いているものに放り込むからこういうことになるのだ。
この生来の習性のために同じものを買ったことがかなりある。
思い出したのがギター用の軽量足台だ。
丁度1年前にマンドリン合唱の初回合同練習があり、前日の夜にアルミ製の軽量足台をかばんに入れようと探したが出てこない。
夜中の1時まで探したが出てこなかったので、仕方ないので家用の重たい足台を持っていった。
その後、軽量足台をアマゾンで買った。

ボルトは鉄の溶融亜鉛メッキのM6×15と付属のナット&ワッシャが手持ちで何本かあったので、これを使おうと思ったが、他にボルトが無いか工具箱を物色してみると、同じサイズで何と珍しい真鍮製のボルトが見つかった。



何の為に買ったものか全く思い出せない。
随分古いものだ。
1981年製、550CC、2サイクルエンジンの小型4輪駆動車に乗っていた頃に買ったものではないか。
この車は幾度となく故障や、ボディの腐食に悩まされた。
パテをどれだけ買ったかわからない。

ボルトはこれを使おう。
溶融亜鉛メッキより生地の真鍮の方が好きだ。
下のが溶融亜鉛メッキのボルトだ。普通はこれだ。



真鍮、生地は但し買い足さなければならない。
大きなホームセンターまで行かなければ売っていないと思う。
穴の微調整が終ったらシャーS-ブラックで塗装し、いよいよリア・サイドへのボルトでの固定だ。

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今年の抱負2019(7)

2019-02-17 22:08:06 | 音楽一般
5.時事

ここ数年、日本の有効求人倍率は飛躍的に上昇し、就職内定率も過去最高、人手不足から外国人労働者の就業を拡大するための法律も可決された。
しかし日本経済がかつて右肩上がりだった1960年代から1970年代のあの活気に満ちた時代とは全く異なる様相を感じる。
日本は第二次大戦で多くの人を失った。終戦直後は栄養失調で死ぬ人が続出した。
しかしその頃の生き残った日本人は国のために犠牲となった人々の分まで生きようと、死の物狂いで働いた。
それは凄まじいほどのモチベーションだったであろう。
他国から企業戦士とか働きバチとか言われようが構わなかった。
この時代の人たちは戦争で死んだ人のために過労死しても本望だったと思ったに違いない。
1960年代から1970年代に生きた人たちの中には人間として素晴らしい方がたくさんいた。
この時代に映画やテレビドラマやアニメ、小説、音楽など、今でも価値を全く失うどころか、むしろ今では決して生み出すことのできないような優れた作品がたくさん作られた。

日本は高度経済成長期を経て飛躍的に成長し、1980年代には経済大国の仲間入りを成し遂げた。
1980年代前半に日本はGDPがアメリカに次ぐ世界第2位までにのし上がった。
そして一人当たりGDPは1981年に西ドイツを、1983年にイギリスを、1987年にアメリカを抜き去った。
1980年代に日本は世界の大国にものを言えるまでになった。
日本がものづくり大国として、高品質、低コストの電気製品や精密機器、自動車など、先進国の生活必需品を大量に生産、販売し、巨大な貿易黒字を得たことがその背景としてある。

1986年頃、丁度私が就職活動していた頃だったが、「金満症」とか「財テク」という言葉を目にするようになった。
バブル経済の予兆であった。
今までに何度か記事にし、繰り返し述べてきたが、ここが最大の日本の分岐点だった。
この時日本は賢明な選択をしなかった。
この時日本はものづくり大国から「技術立国」への転換へと大きなかじを切るべきであった。
この時期、韓国や中国は日本のずっと後ろを走っていた。
彼らは振り返っても全く見えない遠いところにいたが、着実に工業化を進めていた。
しかし日本は政府も企業もマスコミも誰もこれらの国の将来の脅威を予測しようとしなかった。
もっとも愚かだったのは、日本がバブルが崩壊し、経済の低迷に喘いでいた時に、苦し紛れに今まで蓄積してきた日本でしか成し得なかった大切な技術、例えば方向性の電磁鋼板や金型などの技術を日本が自ら韓国や中国に易々とあるいは不当な手段で提供してしまったことである。
生産拠点の移転と製造技術の流出が韓国、中国、台湾等の後進国の生産大国化を加速させ、日本の首を更に絞めつけるものとなった。

冒頭に書いた、最近人手不足と言われ、失業率もかつてないほど低下しているのに、経済が潤っているのが感じられない理由がそこにある。
それは日本が世界に先駆けるような先端の技術力で開発された製品をもはや生産できなくなったからだ。
ここが1970年代から1980年代半ばまでの日本の技術力の躍進によって、次々とヒット商品を世界に供給していた時代と全く異なる側面なのである。
今の人手不足は災害復興、オリンピックのための需要によるもので、一時的なものに過ぎない。
日本はかつて活況を呈した家電、自動車、製造機械などに固執した。
これらの分野から脱却しようとしなかった。
これらの分野は近い将来、中国、インド、ブラジルなどの国が生産の主役となるものだ。
いやもうすでにそのようになっている。
日本は弱点と言われた航空機や宇宙技術、ITなどの高度な技術力を要する先端技術の分野に、バブルになる前に投資すべきであったのだ。
これらの先端分野は今中国が凄まじい勢いで発展させており、日本が追いつけることはまずできないところまで進んでいる。

目先の金儲けの狂乱に酔いしれることよりも、もっと賢明な選択がなされるべきだった。
モリカケ問題はけしからんとか、学校の先生の労働時間をもっと減らせだとか、福祉の仕事の待遇を良くしろとか、そういうことで政府を責め立てる人が後を絶たないが、そんなことよりこの政府のもっとも重大な過失こそ本来は責められなければならないのではないか。
借金1,000兆円という爆弾を抱えながら、この遅れをどうやって取り戻そうとするのであろうか。

このバブル経済からその後の経済低迷までの検証は別の機会に記事にしたいと思う。

最近のニュースで児童虐待とか、パワハラだとか、いじめによる自殺などが連日報道されているが、これも今の日本の世相を反映している。
何故、児童虐待やいじめをするのか。
それは自分の不快感情を無関係な他人にトランスフォーム(置き換え)していることに気付かないからだ。
自分の不快感情の本当の原因を自分で認めようとする人間が昔に比べて激減したからだ。
今、このような人が氾濫している。
昔に比べていい人が少なくなった、生きづらくなったと感じるのは、このためである。
このようなトランスフォームを平然とする人をサイコパスと呼ぶが、このようなタイプの人間が増えてきているし、このサイコパスに悪影響を受けて苦しんでいる人も増加している。

精神的に生きづらい時代に入ったと言えるが、このような悲観的な見方は出来るだけしたくない。
サイコパスのような人間も、その悪影響を受けた人も、耐えがたい心の傷を負っているからなのであるが、このような耐えがたい傷をいかに和らげていくかが経済面とは別に、今後最も重要で必要な要素となると思う。
私はこのための手段として音楽があると考えている。
音楽が生み出す、感情エネルギーや精神的エネルギーの作用に関心を持っているが、できればこのエネルギーと癒しとの関係も今後記事に出来ればと思っている。
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リア・サイド内張り交換(3)

2019-02-17 19:40:43 | 
昨日からの続き。
運転席側の縞鋼板(サイドパネル)をダンボール紙で型取りする。



これで穴の位置を特定するための型が揃った。

これをまず助手席側のリアサイドに仮置きし、ボディ側に空いている穴目指してきりを突き入れる。





きりだけだとボルト径のサイズまで穴が開かないので、ドライバーをきりで開けた穴に突き刺し、穴を拡げる。



今日作成した運転席側の型もリアサイドに嵌め込み、同じように穴を開ける。



今日の作業はここまで。
あとは穴の空けたダンボールの型を縞鋼板に重ね、穴にマジックで印を付け、ドリルで縞鋼板に穴を開ける。
穴の径は6mmであるが、恐らく±1mm程度の誤差は出てくるだろうから、その場合は金属ヤスリで穴を微調整する。
この金属ヤスリ、棒状で柄がオレンジ色のを持っていたのが、工具箱等をひっかきまわしても出てこない。
これだから整理整頓の苦手な人間は困ったものである。

ボルトのサイズはM6×15が手持ちであったので、このサイズでまず確かめてみよう。
スプリングワッシャを挿入したら長さが足りないかもしれない。その場合はワッシャだけでもいいか。
M6×20だと手持ちにないのホームセンターまで買いに行かなければならない。

あと縞鋼板に塗装をしたい。
シャーシーブラックが大量に残っているので、ブラックを塗ることにしよう。

下の写真は以前、荷台にはびこっていた大量の浮き錆をPOR-15を塗布して封じ込めた跡である。
さすがPOR-15だ。
完全に錆をシャットアウトしている。2度と錆びることはないであろう。

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神尾真由子演奏 メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲ホ短調を聴く

2019-02-17 00:00:39 | バイオリン
神尾真由子のヴァイオリン演奏を聴いた。
先日、海野義雄演奏のメンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲ホ短調を聴いたが、自然にこの曲の演奏を他にもっと聴きたい気持ちになっていた。
元よりこの曲の演奏はかなり聴いてきたのだが、この曲の人気が高いせいか録音が豊富にあり、ベストの演奏を探し当てることはかなりの時間を要する。

Youtubeで探してみたところ、日本人女性のライブ演奏であった。
神尾真由子であった。

Mayuko Kamio(神尾真由子)Plays Mendelssohn Violin Concerto 1st.avi


日本人のヴァイオリニストでこの曲のライブ演奏を聴いたのは、諏訪内晶子と庄司紗矢香。
しかし神尾真由子の演奏はそれ以上の演奏だった。
20歳くらいの頃であろうか。
物凄いエネルギッシュで、音が生気に満ち溢れ、骨太で力強い。
だからと言って力みがあるわけではない。寧ろ繊細さも持ち合わせている。
残念ながら第1楽章しか聴けない。

この演奏は自分の求めているものに殆ど一致している。
以前記事にしたヨハンナ・マルツィやチョン・キョンファと共通したものがある。
チョン・キョンファはショルティとの共演のライブ演奏をYoutubeで聴くことができる。

もしかすると神尾真由子はチョン・キョンファに影響を受けたのかもしれない。
演奏スタイルが似ている。

メンデルスゾーンのこのヴァイオリン協奏曲ホ短調はバイオリン曲で最も好きな曲だ。
メンデルスゾーンは裕福な家庭で育ったと言われているが、物凄く感情豊かで感受性が強く感じられる。
まさに音楽を作るためにだけ生まれた人だったのであろう。

ヴァイオリンは今まであまり聴いてこなかった。
今一つ音が好きになれなかったせいもあるが、ここ2、3年で見方が変わった。
そのきっかけとなったのがこのメンデルスゾーンのこのヴァイオリン協奏曲ホ短調だ。
この好きな曲で、様々なヴァイオリニストの演奏を聴き比べると、色々なことが分かってくるし、自分の求めている音楽表現を誰がしてくれているのかも分かってくる。
ヴァイオリニストの音もだいぶ聴き分けられるようになってきた。

神尾真由子はチャイコフスキー国際コンクールで優勝(日本人で2人目)した実力派である。
しかし意外に録音は少ない。
現在はロシア人のピアニストと結婚し、活動しているとのことだ。
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