緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

母校マンドリンクラブ第50回定期演奏会を聴く(後編)

2018-11-30 23:04:00 | マンドリン合奏
1週間前の3連休に事情により実家のある北海道に帰省し、そのついでというわけではないが、母校マンドリンクラブ第50回定期演奏会に行ってきた。

演奏会会場のある某地方は前日に降った雪が積り、またその雪が凍結し、歩道を歩くのが大変だった。
でもこの寒さと雪が好きだ。
この地方都市の冬特有のどんよりとした空も。
不思議とこの寒さは寒いとは感じない。
気温は関東よりも10℃以上も低いというのに。
関東に戻ってきて、その身に染みる冷たい寒さにすっかりやられ風邪をひいてしまった。
関東、とくに東京というところはなんて冷たく感じるのだろう。
骨の髄にまで達する冷たさだ。
この冷たさの中、明日と明後日は東京で開催されるコンサートを聴きに行くのだが、咳が出ないかと心配だ。咳止めを飲んでおかないと。

前回の記事では、この地方都市を久しぶりに歩き、学生時代の断片的ではあるが蘇った記憶をいくつか描写的に書いた。
この町もバルブの毒に汚染され、一部はすっかり駄目になってしまったが、それでも愛着は捨てられるものではない。
昔から全く変わっていない所もたくさんあった。
学生時代に住んでいたこの町の思い出は、決して良い想い出ばかりではなかったが、楽しくても辛くてもこの町で多感な時代を生きていたんだ、という実感が今になっても記憶のかけらとなって蘇ってくるのである。
今年7月に開催された50周年記念演奏会当日には、30数年振りに同期や先輩、後輩の何人かと再会し、喜びを分かち合った。
しかし私にはもっと他に会いたい人もいた。
これをかなえることはたぶん難しいだろう。
でも会いたい。
自分の夢。
学生時代のメンバーと思い出の曲を弾きたい。
鈴木静一、熊谷賢一、藤掛廣幸などの曲を。

さて、演奏会当日に聴いた各曲目の感想を書こうと思ったのだが、1週間経過したら記憶が薄らいでしまい、細かい部分の印象を思い出せない。
もっと早く記事を書けば良かったのが、時間を確保できなかった。
なので、全体的な感想を書くにとどめたい。

当日のプログラムは下記のとおり。

第Ⅰ部
・還俗修道士 G.Flippa 作曲
・ヴォカリーズⅡ 内藤淳一作曲
・アイルランド民謡より「The Road to Lisdoonvarma」
・めぐる季節 高橋太志作曲

第Ⅱ部
・風林火山メインタイトルNHK大河ドラマ「風林火山」より 千住明作曲
・月の光 C.A.Debussy作曲 松田憲之編曲
・テルーの唄 谷山浩子作曲
・SUITE “THE PHANTOM OF THE OPERA” A.L.Webber作曲 遠藤秀安編曲

第Ⅲ部
・スペイン組曲より「Ⅲ.Pelota(ペロータ)」 C.Mandonico作曲
・子守歌 J.Brahms作曲
・Memory of The Wind マンドリンオーケストラのための「風の記憶」 長谷川武宏作曲

技巧的には関東県内で聴いた主要大学マンドリンクラブのトップクラスとほぼ遜色ないレベルであった。
今回の演奏会で最も関心し、素晴らしいと思ったのはギターパートの音。
柔らかく透明度が高く、伴奏パートながら静かな自己主張をしている所。
その自己主張の最大の要素が音色だ。
他パートの音量とのバランスも良く考えられている。
マンドリン系の音には出せない、ギターにしか表現できない、ギター特有の音の持ち味を真に理解した発音だと思った。
この音は素晴らしい。
関東の団体のトップクラス以上の音ではないかと思った。
ギタートップが素晴らしい。
このギタートップの音に対する信念がギターパート全体に浸透していた。
私はマンドリンオーケストラで今年から演奏を再開したが、マンドリンオーケストラのギターパートで正直、本当に美しく芯のある音を出せる演奏者はごくわずかなのだ。
独奏演奏の経験が少ないからだと思うのだが、マンドリンオーケストラでの「ギターの音」というものを真面目に追求した結果が表れたのだと、聴いていて感じた。

あと最終曲で見せたベース(3人とも女性)の、むずかしいパッセージで見せたところ。
3人のうちの1人が物凄いオーラを出してした。
これは半端なく最高にかっこいいと思った。
こういうのは意識したらだめ。
本当に音楽に無心で集中している姿だった。
こういう目に見えない、波長でしか伝わってこないものに感動するのだ。
何か、高い壁に挑んで何度も挫折を乗り越えてきた、その苦しいプロセスがこの一瞬のわずかなパッセージに表出される。
このプロセスが知らずとも伝わって聴き手は感動するのだ。

今回の演奏会は、選曲のせいもあるだろうが、私には今一つ物足りなさを感じた。
技巧レベルは高かったが、聴き手の魂を動かすものに欠けていた。
決してパフォーマンスではない、本当にマンドリンオーケスト曲が好きで、その曲を演奏する喜び、メンバー達との一体感、困難を乗り越え戦ってきた過程からしか生まれ得ない極めて集中度の高い精神力、心の底から湧き起るエネルギー、そういったものを聴き手に感じさせて欲しかった。

母校の今後の演奏を見守っていきたい。
今後の一層の精進を願ってやまない。

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母校マンドリンクラブ第50回定期演奏会を聴く(前編)

2018-11-25 22:03:13 | マンドリン合奏
9月上旬に発生した北海道地震の後、父が体調を崩し入院、また体の不自由な母の介護をしてきた兄がこの連休中不在となるため、私が代役として故郷の北海道にほんの短い間であるが一時帰省した。
格安航空券を利用して成田を出発し、千歳空港に降り立った時、気温はマイナス1.7℃であった。
また雪が積もっており、関東との気候とのギャップを大きく感じたが、何故かこの寒さが自分をほっとさせるのには不思議な感じがした。
この寒さは関東の寒さとは異質だ。
関東の寒さは嫌いだ。骨身に染みる冷たい寒さだ。
故郷の寒さを久しぶりに感じてみると、この寒さが自分に心地よいのが分かってくる(自分はホッキョククマか?)。

実家に着くとすぐに病院へ向かう。
衰弱した父を見るのは忍びなかった。1日も早く回復することを祈る。
翌日の24日は偶然にも、母校のマンドリンクラブの定期演奏会だった。
母の面倒も見なければならないのであるが、せっかく来たんだから聴きに行ってきたらと言われた。
正直、母校の演奏を聴きたかった。

母校の定期演奏会を聴くのは3回目だ。
OBになってすぐの1986年に聴いた時は熊谷賢一の「バラードⅥ 河の詩」がメイン曲だった。
そしてそれから30年経過し、2015年11月に聴きに行った。
この時のメイン曲は藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」だった。
今年は50周年ということで、記念演奏会に出演するという貴重な体験をさせてもらった。
遠方なので練習を毎回出席というわけにはいかなかったが、事前練習は3回参加、100%の出来ではなかったが、自分としては悔いのない演奏が出来た。
同期の連中とも30数年振りに再会し、演奏だけにとどまらぬ感動を得た。本当に感謝に堪えない。

昨日は午前中、入院している父を見舞い、昼過ぎに母校のある地方都市に着いた。
開演まで約2時間。
駅周辺を少し歩いてみることにした。
学生時代、この町の住人だった。
学生時代はややさびれていた。しかし落ち着いた風情のある町だった。昔はにしん漁で栄えた商業の町だった。
私はこの町が好きだった。思い出のある町だった。
しかし卒業後、バブルの時にテレビで紹介されてから一変した。
本州から資本がなだれこみ、昔の風情が失われた。嫌な町になった。
それからこの町に行くことは殆どなくなった。

それでも昨日この町の駅を降り立った時は、雪のせいであろうか、30数年前の昔の風情をかすかに感じ取った。
坂の多い町で、歩道は溶けた雪が凍結し、すべって2度もころんだ。
駅近くのアーケード街を歩いてみた。
このアーケード街近くの飲み屋でよくコンパが行われた。
「ヨシヤ」という古い衣料品店がしぶとく生き残っていた。
この「ヨシヤ」で学生時代、演奏会で着る黒ズボンを買ったのを思い出した。
格安だった。貧乏学生でも買える値段(1500円くらいだったか)だったと思う。
今でもその場面ははっきり覚えている。
このアーケード街を歩いていると、次々に懐かしい店の名前が目に入ってきた。
学生時代の時の記憶が蘇ってきた。
「オランジュ」という喫茶店が記憶に蘇った。
アーケードから脇に入った所にある小さな喫茶店だった。
学生時代、弟子と行った喫茶店だ。
たった1回だけだったがその時のことはよく覚えている。
今でも思うのだが、何故もっと弟子の面倒を見なかったのだろうと。
卒業してもずっと折にふれ、そういう思いが湧き起ってくることがあった。
このオランジュには弟子と私の同期の女性と3人で言った。
弟子と同期は今どうしているのであろう。もう再会することはかなわないのであろうか。

アーケード街を登っていくと、館というケーキ屋の先に「ウーシャン」という店内は小汚いが、腹いっぱい食べさせてくれる中華料理屋があるのを思い出した。
ボーリング場の手前だったはずだ。
中華丼がめちゃくちゃおいしかった記憶がある。
そこで昼飯を食べようと思って向かったが、その店は見当たらなかった。
少し落胆したが、引き返すことにした。
今度は下り坂だ。
滑ってころばないように神経を集中させて歩く。
途中でマンドリンクラブの飲み会で定番だった「三川屋」という古い飲み屋を通り過ぎた。
定期演奏会の打ち上げの一次会や新歓コンパはいつもこの店だった。
定期演奏会の打ち上げはいつも2次会、3次会とはしごし、24時間営業の駅前の喫茶店、何と言ったっけ、エンゼル?、そこで夜を明かすのが定番だった。
この喫茶店に来る頃には酔いつぶれて、胃の中はからっぽという状態が常だった。
この喫茶店でいつだったか、私の後輩の一人がもっと親身に指導して欲しかったと、辛い心境を先輩に訴え、先輩が心を痛めていたことがあったのを思い出した。
私も学生時代にやり残したことは多々ある。
今思えばもっともっとこうしておけばよかったと思うことが今になっていくつも心に昇ってくる。
30年以上たって、母校の演奏会に足を運ぶのはもしかすると、この気持ちが潜在的に動かしているのかもしれない。
もしかすると昔の弟子、先輩、後輩、同期に出会って、かつて出来なかったことを再現させたいと思っているのか。

あまりぶらぶらしても時間がもったいないので、駅近くの「桂苑」という中華料理屋に入った。
ここは学生時代に1回だけ入って食べた記憶がある。
チキンライスを注文したが、量は少なかった。
昔この店を出たあと青色のスポーツバックを買ったことを思い出した。
確か980円だったはずだ。
この近くに「まるた」という安い焼き鳥屋があったはずだが、見当たらなかった。
廃業したのか。
ここには学生時代よく行った。雀の焼き鳥も食べた。
それから「ジーパン」というカクテルを出す店を思い出した。
「ドラキュラ」というトマトジュース割や、カツゲン割などを面白がって飲んだ。
そういえばここで、「オイルサーディン」というものを、「何だろう」と先輩と言いながら、食べてみようといって注文したことを思い出した。
今でもやっているのか。


昼飯を食べてもまだ時間があったので、駅前の長崎屋に入ることにした。
この長崎屋もしぶとく生き残っていた。
確かここで学生時代、バーゲンセールで売っていた半袖のポロシャツと冬物のセーターを買った記憶がある。
このポロシャツとセーターのデザインは今でも覚えている。
何せ学生時代の買った洋服などわずかしか無かったからだ。
それと確かここで、演奏会に着る衣装の赤いネクタイも買った。
この赤いネクタイが4年生の時の夏の演奏旅行の前日に探しても見当たらなく大騒ぎになり、演奏旅行に行けなくなった後輩に夜遅くに電話し、翌日の朝、それは演奏旅行の出発当日であったが、早くに家に行くから貸して欲しいと言って、朝4時くらいに兄の車でこの後輩の家まで行ったことがあった。

(続く。次回は演奏会の模様を紹介します)
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クラウディオ・アラウのライブ録音「ピアノソナタ第23番熱情」を聴く

2018-11-23 00:23:54 | ピアノ
ピアノの巨匠、クラウディオ・アラウの最盛期と思われるライブ録音を聴いた。
曲はベートーヴェンのピアノソナタ第23番「熱情」。

ピアノソナタ第23番の録音は今まで数多く聴いてきたが、印象に残っているのはマリヤ・グリンベルクの旧録音、タチアナ・ニコラーエワのライブ録音などであるが、このクラウディオ・アラウのライブ録音も素晴らしい。
ピアノのライブ演奏の中でも屈指の名演と思う。

これほどのピアノの音を引き出せるピアニストは現在はもちろんのこと、過去においても殆どいない。
物理的な力ではない、何か精神的、人間の感情的な強い力が音に変換されているとしか言いようがない。
だから聴いていて物凄い感情が湧き起ってくる。
ベートーヴェンの心情を真に表現できるのは、彼のようなピアニストでなければ出来ない。
表面だけさらってそれらしく弾いているピアニストがいかに多いかが分かる。

この演奏はとくにギター奏者に聴いて欲しいと思う。
クラシックギター界が過去30年の間、失っていたものの答えがこの演奏にある。
ピアノとギターとでは楽器は違うが、音楽は共通だ。

真に素晴らしい音楽や演奏は、理屈や頭での解釈を超えている。
そのようなものを受け付けない、というか、そのようなものが入り込む余地が全く無いほどの超越したものだと思う。
聴き手はただただ、音楽に身を任せるしかない。

音楽の原点が人間の根源的な感情であることに今さらながら教えられる思いだ。

Claudio Arrau Beethoven "Appassionata" (Full)
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アンドレス・セゴビア作曲「Remembranza(リメンブランツァ)」を聴く

2018-11-18 21:21:28 | ギター
クラシックギターの巨匠、アンドレス・セゴビアは作曲もしており、数は多くはないが、中には印象に残る優れたものがある。
セゴビアの自作の中でも最も知られているのが、「毎日の練習曲」と名付けられた3曲のうちの2曲と「光のない練習曲」だ。

「毎日の練習曲」
1.Oracion(祈り)
2.Remembranza(回想)
3.Divertimento(嬉遊曲、2重奏)

私はこの中では「光のない練習曲」とともに「Remembranza(回想)」が好きだ。
「Remembranza(リメンブランツァ)」とは回想、追憶、思い出などを意味する。

この曲に初めて触れたのは、音楽之友社から出ていたセゴビア・クラシックアルバムで「光のない練習曲」を弾いていた頃だと思う。
この時は録音が無かったので、楽譜を頼りに弾いていた。
録音は後でクリストファー・パークニングのアルバム「A Tribute Segovia(セゴビアに捧げる)」で聴いた。



最初のロ短調の主題が何とも言えない素朴な美しさを持つ雰囲気に惹かれた。



次の部分は分かりにくい。



アルペジオのように弾いている奏者がいるが間違いだと思う。
ファ-ファ、ラーーラ、ソーファミレドシとメロディラインを浮き彫りにしなければならないと思う。

そしてこの曲で最も好きな部分が次のフレーズだ。







この部分が暗く、神秘的でリメンブランツァに相応しい曲想を醸し出している。
メロディラインはアポヤンドで浮き彫りにさせたい。

このあと第2の主題となる長調に転調するが、それまでの暗い雰囲気とは対照的に進行し、その対比がこの曲のいいところでもある。
長調の主題の後に、アクセントのあるやや激しいフレーズを繰り返し、最初の主題に戻って静かに曲は終わる。

この曲のテンポは♩=120でかなり速い。
この速度でこの曲を弾くのは結構難しい。
とくに左手は脱力し柔軟でなければ上手く弾けない。

セゴビアの自作で代表作である、「Oracion(祈り)」、「Remembranza(回想)」と「Estudio sin luz(光のない練習曲」)はどれも暗い独特の雰囲気を持つが、一見、華やかに見えたセゴビアの人生の中のある一面を表しているように感じる。

Youtubeで録音を探したがプロの演奏は意外に少ない。
アリリオ・ディアスとMatthew Andersonというギタリストの演奏が参考になる。

ndrés Segovia - Estudio Remembranza


Remembranza (Segovia) - Matthew Anderson, Guitar


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加古隆作曲「君がいなくなった日」を聴く

2018-11-17 22:36:37 | ピアノ
加古隆のピアノ曲を初めて聴いた。
「君がいなくなった日」という曲。
「水の前奏曲」という曲集の中の1曲のようだ。。

純クラシック曲ではなく、ポピュラー?、ジャズ系?。
形式やジャンルはどうあれ、素朴で美しい曲だ。
心にしみじみと響く。

(加古隆略歴)

大阪府出身。東京藝術大学作曲家卒、同大学大学院修了。パリ国立高等音楽院卒。
ジャズ、クラシック、現代音楽の要素を融合させた独自の作曲形式を確立しており、ピアニストとしては、自身の作品の演奏を中心に活動している。
(ウィキペディアより抜粋)

加古隆  君がいなくなった日
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