緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

金属の魅力-銀-

2019-07-28 21:05:42 | 金属
先日、東京オリンピックの金・銀・銅メダルが発表されていた。
この3つの金属のうち、銅は比較的頻繁に見ることができる。
最も身近なのは10円玉だ。
しかし金や銀はそう簡単に目にするものではない。
貴金属と呼ばれ、主に宝飾品に使用され、価格も金属の中で最も高い部類であるからだ。
すなわち、お金持ちの人でないと普段、日常で見ることが出来ないのである。

金・銀・銅の現在の価格を調べてみた。

金:4,990円/g → 4,990,000円/kg
銀:58,800円/kg
銅:700円/kg

金が圧倒的に高い。
銀も高い。
銀で思い浮かぶのは食器だ。
子供向けの外国の童話などでよく出てくる、あの銀の食器だ。
高級貴族が使っていたものだ。
何故、高級貴族が銀の食器を使っていたか、面白い話がある。
「銀が古くから支配階級や富裕階級に食器材料として用いられてきた理由の一つは、硫黄化合物やヒ素化合物などの毒を混入された場合に、化学変化による変色でいち早く異変を察知できる性質からという説がある」(ウィキペディアより)
昔のお金持ちは常に命の危険と隣り合わせの生活だったようだ。
しかし銀が高級とされるのは、やはり希少価値が高くかつ、いかにも貴金属らしい光沢を放つ魅力があるからだろう。
同じ銀色でもステンレスとは全く違う。

と言っても自分の家に銀がそうあるものではない。
探しに探して見つけたものは次の3点だった。

1つ目は歯に被せる金属としての銀だ。
銀といっても純銀ではなく合金のようだが一応銀が入っていることは間違いない。
下の写真は10年くらい前に歯を抜かれた時に歯医者にくれと言ってもらったものだ。
その時驚いたのは、お持ち帰り用の専用ケース(緑色の樹脂製)に入れてくれたことだ。









こんなケースがあるとは夢にも思わなかった。
しかこういうケースは手作りではなく、型で大量に製作するものであるから、結構出回っていると思われる。
私と同じように、自分の分身であった歯を抜かれた時、捨てられるのを惜しんで歯医者に頼んでもらった人が結構いるのではないか。
でなければこういうケースが用意されているとは考えにくい。

銀歯のうち黒っぽくくすんでいる方が銀の含有率が高いと思われる。
何故ならば銀は黒ずむ性質があるからだ。

2つ目はクラシックギター用の低音弦。



クラシックギター用の低音弦は、ナイロンの細い繊維を何本も束ねて、その周りを細い銅線で螺旋状に巻いていき、表面を銀メッキする。
このメッキが銀だ。
メッキとはいえ、一応銀だ。
銅製品には銀メッキが多い。錫メッキもあるが銀メッキが多い。もちろん工業用品だ。
私の勤め先も銅の加工品に銀メッキしたものをかなり購入している。

3つ目は金属同士を接着、結合させるための素材として銀だ。
いわゆる銀ロー付けというやつだ。
溶接のような大きな素材を接着するのではなく、ちっちゃいもの、細いものなどを接着するのに使われる。
下は以前使っていためがねが折れてしまったため、福井県の鯖江というめがね製造で有名な町へわざわざ送って直してもらったものだ。



左右のレンズ枠の間にあるアーチ橋のような部分の左側が折れてしまった。
これを銀ロー付けで直してもらったが、意外に仕上げ具合が良くなく、がっかりしてしまった。
これが限界なのか。あるいは鯖江でも技術のよくないところにあたってしまったのか。
この銀ローも純粋な銀ではなく、合金のようだ。

今回の対象金属は高級金属だったので、手持ちのものが無く、中途半端な記事となってしまった。
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作詞:谷川俊太郎 作曲:三善晃 合唱曲「沈黙の名」を聴く

2019-07-27 19:02:23 | 合唱
久しぶりに合唱曲を聴いた。
作詞:谷川俊太郎 作曲:三善晃 合唱曲「沈黙の名」
演奏:北海道立札幌北高等学校(平成12年度NHK全国学校音楽コンクール全国大会高等学校の部)

この「沈黙の名」は合唱曲の名曲中の名曲である。
混声合唱のための「地球へのバラード」という組曲の中の1曲なのであるが、単独で聴いてもその素晴らしさを十分に感じられる完成度の極めて高い曲だ。
作曲は三善晃であるが、かつて難解な現代音楽を中心に作曲活動をしていたのと並行して、このような純粋に美しい曲を作曲していたことに驚嘆する。

この曲は曲も詩もシンプルで短いが、とても深いものを持っている。
何度この曲を聴いても考えさせられる。
永遠に答えの得られないもどかしさを感じながら。

この曲を演奏するのは物凄く難しい。
生半可な演奏では全く太刀打ちできない。
表面的な上手さだけの演奏を聴くと、言っちゃ悪いけど笑いたくなってくる。
しかしこの曲の演奏の中で、唯一、もうこれしかないというほどの演奏がある。
それが冒頭に書いた、平成12年度Nコン全国大会での札幌北高等学校での演奏なのだ。

札幌北高等学校のこの「沈黙の名」の演奏についてはこれまでも何度か記事にしてきたが、初めて出会ったのが上野の東京文化会館音楽資料室での視聴覚室だった。
10年くらい前であったが、当時Nコンの録音をここでかたっぱしから探して聴いていた。
その時に出会ったのだ。
初めて聴いた時、男声パートの独特の歌い方に驚いたが、2回目に聴いたときには並の演奏ではないと気付いた。
そして次の歌詞を聴いたときであった。

それらの小さなやさしい名が
彼女らを愛に誘うだろうから


この部分を聴き終わったとき、自分でも信じられないほどの感情が心の奥底から湧き出てきたのである。
この体験は自分でも驚きだった。
この日、この演奏を何度も聴いた。
そして東京へ出たついでに上野の音楽資料室へ立ち寄った時は、必ずこのCDを借りた。
だいたい6時半頃から聴き始め、閉館時間の8時まで、この札幌北高等学校の「沈黙の名」を間を置かず、ずっと繰り返し聴いていたのである。
この曲は時間にして4~5分なので、1度の視聴で20回連続は聴いたであろう。
4年くらい前にこのCDを中古で手に入れたので、それからは音楽資料室で聴くことはなくなった。

10年前に合唱曲を聴き始めてからNコンのブロック大会と全国大会は毎年欠かさず聴いているし、実際に生演奏も聴きに行った。
しかしこの平成12年度の札幌北高等学校や平成21年度の愛媛県立西条高等学校ほどのレベルの演奏に出会ったことはなかった。
表面上は非の打ちどころない音質、ハーモニー、統一されたリズム、読譜の正確性、大きく豊かな音量などが際立っているが、どれも本質を忘れたつまらない演奏に感じる。
中にはいい演奏だな、と感じるものもあるが、極めて少ないし、札幌北高等学校や西条高等学校のレベルにははるかにおよばない。

指導者から細かいところにあれもこれも注文を付けられ、完全な統一を要求されているのではないか。
演奏者たちの心の深いところから出てこなければいけないものが、抑制され、遮断され、代わりに得られた表面上美しくときにダイナミックな演奏が素晴らしいと感じているだけなのではないか。
要はこのような演奏を何千回聴いても聴き手の魂を揺さぶることはないのである。
演奏者である高校生たちがある意味でかわいそうに思う。

しかし聴き手の魂を揺さぶることの出来る演奏は、並大抵のものではない。
一歩間違えば総崩れでお粗末な演奏になりかねない。
しかしこれが実現できた、ということは物凄いことであるし、逆に聴き手は無意識に、演奏者たちが発し、達成したその物凄さに驚き、しびれて、心の底から感動するのである。
これが実現された演奏って、今までどのくらいあるのだろう。

谷川俊太郎の「沈黙の名」の詩は難しい。
「私がくり返し呼ぼうとして ついに呼びえなかったものの名」、「名づけられぬものの名」とは一体何なのか。
この詩の主人公は先の第二次世界大戦の体験者であることは間違いないあろう。
この主人公は娘たちに美しい植物や動物の名前を教え、彼女たちに幸福感を与えることに喜びを感じていたが、他に伝えたいものがあった。
恐らく戦争体験者として伝えたいなにかがあった。
しかしついにその伝えたい「もの」の名を彼女たちに明かすことは出来なかった。

「呼ぼうとして、ついに呼びえなかったもの」、「名づけられぬものの名」
なにか「もの」を表す名、これは単純に物質的なものでもなく、抽象的なものでもないと思う。
しかし「戦争」に関わるものではないかと思う。
何故ならば、このものの「名」は、「彼女らを不幸にするばかりだから」、「故知らぬさびしさに誘うばかりだから」。

主人公は恐らく戦争で体験した感情を誰かに表出したいと無意識に望んでいたに違いない。
しかし、戦争を知らぬ平和な世代の人間に伝えることの無意味さも同時に気付いていた。

私の親も谷川俊太郎と同世代の人間だが、戦争中のことは殆ど話さなかった。
しかし母方の伯父が亡くなったとき初めて、伯父が回天という人間魚雷の特攻隊の生き残りだったことを明かした。
このことを私が子供時代に聞いたとしたら、どう思ったであろう。


谷川俊太郎作詞 「沈黙の名」

夏よ
ことしも若い娘たちに教えるがいい
花々の名を
樹々の名を
小鳥の名を
それらの小さなやさしい名が
彼女らを愛に誘うだろうから
だがかつて
私がくり返し呼ぼうとして
ついに呼びえなかったものの名は
夏よ
ことしも黙っているがいい
何故なら
名づけられぬものの名は
彼女らを不幸にするばかりだから
故知らぬさびしさに誘うばかりだから――

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金属の魅力-鉄-(4)溶融亜鉛メッキ

2019-07-26 22:08:03 | 金属
鉄素材の表面に施す防錆処理方法には、塗装、亜鉛メッキ、亜鉛溶射(メタリコン)などがある。
亜鉛メッキには電気亜鉛メッキと溶融亜鉛メッキの2種類があり、鉄に施すメッキとしてはこの2つが殆どである。
しかし使用頻度としては溶融亜鉛メッキの方が多い。
鋼管、L鋼、H鋼、ボルト類、縞鋼板などの土木・建築資材に多用されている。

溶融亜鉛メッキは溶解した亜鉛が入れられたメッキ槽に現物を浸して処理するが電気を使用しないことから電気亜鉛メッキよりもコストが安く、またデッピングすることからドブメッキとかテンプラメッキとも言われている。
設計図面では一昔前は、HDZ45などと表記されていた。
私が工場に配属された27年前の当時はよくテンプラメッキという言い方がされていたが、この言い方はそのうちされなくなり、生産管理の方などはドブメッキという言い方をしていた。
設計部門の方は溶融亜鉛メッキという言い方をする人が多かった。

溶融亜鉛メッキの特徴は仕上げがあまり美しくなく、見た目を気にしなくてもいいものに使用されるということだ。
つまり見栄えはどうでもいいから、安いにこしたことはない、塗装など面倒なことはしなくてもいい、というものに使用されるのだ。
日常よく見かけるのは建築現場などの足場を組むための鋼管、送電線の鉄塔、十字の浮き出しも様のついた縞鋼板、サイズの大きなボルト類だ。

メッキ直後は表面がざらついて鏡面ではないものの、銀色に輝いているが、次第にその輝きは失われどんよりとした灰色に色あせてくる。
家にあるもので溶融亜鉛メッキのものを探してみたら次のようなものがあった。

まず変わった形のボルトとワッシャだ。
ボルトはUボルトであるが、これは溶融亜鉛メッキではユニクロメッキだと思われる。



これは車のターボチャージャーのブースト圧を高めて、加速性能を向上させるというふれこみでヤフオクで出品されていたのを買ったものだが、結局使わなかった代物だ。勿体ない。

次に何の目的に使われるか分からない金具。
内側にタップが切ってある。





爪を磨くための道具として購入したと思われる。
まだ実際に使用していないから、銀色に輝いている。

溶融亜鉛メッキは塗装と異なり、浸食により表面のメッキが剥がれて鉄の生地が顔を出しても、その周囲の亜鉛が鉄よりも先に溶け出し、鉄の表面を保護する自己犠牲防食作用を持つと言われている。
しかし、その防食作用はあまり効果がない。
いくら周りの亜鉛が溶けだし、剥き出しとなった鉄の表面を覆ったとしても、それは一時しのぎに過ぎない。
下の写真がそのいい例だ。
自動販売機を固定する金具であるが、比較的新しいのにも関わらず、赤錆が出始めている。



錆びていない方の金具が下の写真だ。比較的新しいものだ。



溶融亜鉛メッキとて完璧に錆の発生を防ぐことはまず不可能だ。
鉄の酸化作用の力は強力で、亜鉛の自己犠牲防食作用をも簡単に凌駕してしまう。
鉄の酸化作用の力に耐え切れず、負けてしまった鋼管が下の写真だ。

錆び前。



錆び後。



あの自動販売機の固定金具もいずれこのような状態になると思われる。


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鈴木静一のギター独奏曲の楽譜 ついに発見

2019-07-25 22:11:04 | マンドリン合奏
ついに暑い夏がやってきた。
夏と言えばスイカだ、盆踊りだ、夏休みだ、灼熱地獄だ。
実は今日、明日と仕事は夏休みなのである。
こういう平日が休みの時に、どう過ごすか。
よく思い浮かぶ過ごし方は、朝早く東京方面とは逆方向の電車(しかも空いている)に乗って、ボーっと何も考えず頭を空っぽにして、窓の景色を見ながら田舎を目指す。
目指すのは北だ。
体が北へ行け、と言っている。
福島あたりだと思う。
栃木はあまり好きではない。
勤め先で栃木に工場があるので、時々栃木に行くが、どうも栃木の人や言葉が好きになれない。
福島から北がいい。
福島あたりで降りて、これもあてもなくボーっとして、静かな所、たとえば和室のある小さな旅館で本を読んでゆっくり過ごす、といったことをやってみたいと思い浮かぶのである。

あとは、平日でないとできないことをしよう、という気持ちになる。
こういう時こそ、普段手にすることの出来ない楽譜や資料、文献などを探しもとめて大きな図書館に行くことが多い。
よく行くのが国会図書館、都立図書館、上野の東京文化会館音楽資料室、それから音楽大学の図書館などだ。
前から実行しようと考えていたのは、雑誌」現代ギター」を創刊号から読んでいくこと。
あとは大学時代のゼミナールの先生(原価計算、管理会計)の論文を探して読むこと。

今日は普段より2時間ほど遅く起きて、国会図書館に向かった。
そして「現代ギター」の閲覧を申し込み、創刊号(1967年)から1970年くらいまで読んだ。
このへんの感想は別記事にしたい。
あと大学時代の先生の論文は意外にも大学のあるサイトから自由に読んだり印刷できたりすることが判明、これには嬉しくなった。
しかし今日は全く偶然にも、もっと嬉しい発見があった。

以前、マンドリン・オーケストラ界で多大な貢献をし、その独特の作風で多くのマンドリン愛好家を魅了した、鈴木静一という作曲家のことを何度か記事にしたが、たまたま大学時代にマンドリンクラブの部室から発見した「フレット」という雑誌の広告で、鈴木静一のギター独奏曲があることを発見した記事を書いた。

鈴木静一の独奏曲はあるのか?」

「哀唱」という曲だった。



鈴木静一の曲の中にギター独奏曲があればどんなにいいか、と以前から思っていたが、実際にギター曲があったことは少なからず驚きだだったし、同時に嬉しくもあった。
この事実を発見してからこの「哀唱」というギター独奏曲を探したが見つけることはできなかった。
インターネットで、あらゆる図書館で検索を掛けたが発見できなかった。
しかし今日、この探しに探したこの曲を、全く偶然のきっかけで見つけたのである。
もしこの何気ないきかっけがなかったならば永遠に探し出せなかったかもしれない。
この楽譜を目にしたときには、子供の時のように心が躍った。
早速複写を申し込んだ。



今日家に帰って早速初見で弾いてみる。
冒頭の序奏は、あの名曲「細川ガラシャ」を彷彿させるものだった。
哀しい日本的情緒に富んだ、いかにも鈴木静一らしい小品だった。
この曲の感想はいつになるか分からないが、記事にしたい。

それとこれも驚いたことに鈴木静一の独奏曲が他に3曲あることが判明した。

①「主題と変奏曲」(箏曲桜々による)1934年
②日本民謡風旋律による狂想曲 1965年
③夢と太鼓 Capricho 1967年2月
 (前題名「日本北方の民謡歌舞<ぢょんがら狂想曲>1966年の改題)
④哀唱 Elegia 1968年11月

「哀唱」の楽譜発見という夢は実現した。
今度は上記残り3曲の探索を是非やっていきたい。

明日の過ごし方は未だ決めてないが、福島あたりまで行ってみるか、音楽大学などの図書館にいってみるか。

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雑草の魅力(2)

2019-07-21 00:05:51 | 植物
道を歩いていて目にとまった雑草の花をスマホで撮り始めた。
前回いくつかの写真を記事したが、今回は第2弾。
何故か、花壇の花よりこっちの花の方に目が向く。

しかし何故こんなことを記事にするようになったのか。
表向きは生活の記録だなんて言っているが、深層心理を手繰ってみると、普段の寡黙な生活の満たされない気持ちの現れにすぎないのではないかと思う。
でもまあ、いいか。
花を見ることはそう悪いことではない。











なんとたんぽぽがまだ咲いていた。一輪だけ。
すごい生命力。



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