緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

タレガ作曲「アラビア風奇想曲」難所練習②

2022-04-30 22:28:53 | ギター
タレガ作曲「アラビア風奇想曲」をレパートリー化するために、まず難しい箇所を抜き出して徹底的に繰り返し練習するということをやっている。

単に繰り返し練習するだけでなく、録音してみて意図した演奏になっているかを実際に聴いてみてチェックする、という練習法を試しているが、大きな効果があると感じている。

アラビア風奇想曲で注意しなければならないのは、拍の長さを正確に取る、ということだと思う。

自分がとくに注意しているところは、

まず、冒頭のハーモニクスの和音。



ここは3拍分ちゃんと保持しなければならない。
ここの和音を結構短くしている奏者が多いように思う。
(自分も昔は短かった)

次に、以下のフレーズ。最も難しい箇所だ。



ここも16分と32分の連符はそれぞれ1拍の長さで弾かなければならない。
とくに32分の連符は音価通りに弾くことはかなり難しい。

次に転調後の上昇半音階。



ここもクレッシェンドしなから音価を守って弾くのは容易でない。
最後の5連符をそれより前の16分と同じ速さで弾くことは避けたい。
(録音を聴くとまだまだ)



今日、この部分を前回に引き続き録音して弾いてみた。
やはり音価を正確に弾くことは難しい。でも継続していくうちにいつかは実現できると希望を持っている。

1.アラビア風奇想曲難所練習①_220430_1455

2.アラビア風奇想曲難所練習②_220430_1458

3.アラビア風奇想曲難所練習③_220430_1500

4.アラビア風奇想曲難所練習④_220430_1501
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ブローウェル作曲「ペル・スオナーレ・ア・ドゥエ」を聴く

2022-04-30 21:37:03 | ギター
1960年代から1970年代にかけて様々な現代音楽、前衛音楽というジャンルの曲がたくさん作られた。
現代音楽には様々なものがあるが、自分としては、人間の深層心理に潜む闇の世界と哲学的難解さを融合したような音楽、より具体的に言うと、これ以上ないくらい恐ろしく暗く荒涼としていて、かつ不気味で、人間が普段意識することを拒む闇の感情を哲学的難解さを持って表現したような曲を聴きたい。
一方、表現領域における単なる実験的要素の強い「奇抜さ」を前面に出した種類の現代音楽も数多くある。
今回聴いたレオ・ブローウェル作曲「ペル・スオナーレ・ア・ドゥエ」(PER SUONARE A DUE 、1973年)もそのような部類の曲なのかもしれない。



ただ、奇抜さにも興味がそそられるのも正直なところある。
意外性というのか、心地よい音楽だと思って聴いていたら突然「え、何?」と驚くような不気味な音楽に切り替わったり、楽器演奏なのに演奏者の奇声が聴こえてきたり、そういうなにかスリリングな展開を感じるのもときに悪くはないと思う。

この曲は以下の5つの曲で構成されている。

①プロローグ又はエピローグⅠ



②間奏曲



③グラン・パ・ド・ドゥー



④プロローグ又はエピローグⅡ



⑤スケルツゥオ・ディ・ブラヴーラ



印象に残るのは第3曲と終曲。
第3曲は、耳になじみやすい穏やかなアルペジオを1stと2ndギターがかわるがわる弾くのであるが、所々、一方のパートがバルトーク・ピチカートという弦をつまんで強くフレットに叩きつける技法を挿入して意外性を喚起させているところが興味深い。
終曲は「手を叩く」、「叫び声」、「スナップ音」、「グリッサンド」、「ピチカート」などあらゆる意表を突くような特殊表現技法を用いて曲に彩りを加えている。

この曲を初めて聴いたのは、恐らく大学生の頃、1980年代初め頃だったと記憶しているが、NHKテレビでブローウェルと鈴木一郎のテュエットによる生演奏だったと思う。
鈴木一郎の発する「アー」という声が印象に残っていた。
確かそばでこれを聴いていた父が嘲笑しながら馬鹿にしていたのを憶えている。

次に聴いたのが1990年代半ばに買ったCD、「ペニーレイン/レオ・ブローウェル&鈴木一郎」だ。



今日、久しぶりに聴いたがやはり凄く上手い。
この曲はトゥルビオ・サントスとオスカー・カセレスのために作曲された。
初演は彼らによるものだと思われる。
Youtubeには彼らの演奏もブローウェル&鈴木一郎も無かった。

一応他の奏者の録音を貼り付けさせていただく。

PER SUONARE A DUE (Leo Brouwer), por Dúo Islas (1988)


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いかめし作ってみた

2022-04-30 20:39:46 | グルメ
前から作ってみたいと思っていた「いかめし」。
いかめしを初めて食べたのは30歳くらいのとき。
公団に住んでいたときだったが、徒歩*電車で40分くらいの所にあるイトーヨーカドーで、いかめしを調理しながら売っているのをたまたま見つけて買ったのが最初。
値段は高かったが、これはうまかった。

次に食べたのが30代後半の頃だったと思うが、北海道の実家に帰省するとき青春18きっぷをつかって普通列車を乗り継いていたとき、函館本線の森駅で買って待合室で食べたとき。
これもうまかったな。サイズはちょっと小ぶりだったけど、確か箱に2個入っていたはずだ。

次に食べたのが、2年くらい前に群馬県高崎市で萩原朔太郎展というマンドリン合奏のフェスティバルを聴きにいったとき、たまたま車を止めた先の大型スーパーに立ち寄ってみたら、初めて食べたときと同じように調理しながら売っていたので、つい食べたくなって買って家で食べたときだ。

4月の初めに山口県産のいかがスーパーで売っていたので、これを冷凍しておいた。
大型連休ということもあり、今日早速作ってみることにしたのである。

材料はこれ。
米はさすがにこれのためにもち米を買うわけにはいかないので、レトルトのもち米もどき(うるち米+麦)を使うことにした。



解凍したいかをまな板にのせる。
いい大きさだ。



頭を切断する。



足は捨てないで取っておく。

次に胴体の中に入っているはらわたを取り出すために、指をつっこんではらわたを引っ張り出す。
意外に引っ張りやすかった。はらわたは2種類あったが、いずれも袋の中に収納されており、指でつまんで簡単に引き抜くことができた。



骨も取り出す。



胴体の中が空っぽであることを目視で確認する。



もち米もどきをレンジでチンする。

胴体にチンしたもち米もどきをスプーンですくって詰め込む。



大きなスプーンよりも柄の長い小さなスプーン(ハチミツをすくうヤツ)の方が入れやすい。



もち米もどきは3分の2ほどしか入らなかった。余った分はもちろん捨てずに食べる。

満杯になったら胴体の入り口をつまようじ2本でチャックする。



次はタレを作る。
お湯をわかす。



お湯がわいたらめんつゆを入れる。醤油を少々足す。



もち米もどきを詰め込んだいかをタレの中に入れる。足もいっしょに入れる。



上下を時々入れ替えながら10分ほど煮込む。





いいあんばいになったら火を止める。



いかめしと足を皿に乗せる。



包丁で食べやすい大きさにカットする。完成だ!。



味はどうか。
もち米もどき意外にタレがしみ込んでいなかった。鍋のタレを振りかける。
あと、やはり本物のもち米でないので米にねばりがない。パラパラしてしまっている。
ただ味はそう悪くない。
初めて作ったにしては上出来だ。

次はちゃんともち米を使って作ろう。余ったら普通のごはんのようにして食べればいいだけのことだ。
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三枝成彰:作曲、平峯千晶:作詞「あしたはどこから」を聴く(6)

2022-04-30 02:09:05 | 合唱
もうこんな遅い時間だけど、1日の締めくくりとしてこの曲を聴いた。
立て続けに5回聴く。

三枝成彰:作曲、平峯千晶:作詞の「あしたはどこから」
演奏:神奈川県立多摩高等学校(2003年(平成15年)第70回Nコン全国大会)

これは真に素晴らしい演奏だ。
長きに渡って何度聴いても強い感動の感情が湧き起ってくる。

前半と後半の表現の対比が素晴らしい。
とくに転調後の後半の演奏は物凄く強い感情を引き起こす。

この演奏の最大の魅力とは何か。
それは、野心とか評価とかを超越した、完全な無心の境地で演奏していることだ。

あしたはどこから 混声合唱(神奈川県立多摩高校)
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額に汗をかかなくなったアルハンブラ

2022-04-30 00:28:01 | ギター
夕飯前のちょっとした時間にアルハンブラを弾いてみた。
ちょっと速度を落としてみた。

2回目の転調後の途中でミスったのが惜しい。

額に汗をかかなくなったのは何故か?、寒いからか、アルハンブラを弾く2022年4月29日17:24
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