ONE DAY: RYOKAN's Diary III

誰にだって訪れるさ どうしたって悪い日は 地雷と番犬と腰に機関銃 ドイツ製でもダメでしょう

広島の朝

2007-08-08 10:12:44 | 日記
「真夏の夜もさだまさし」を最後まで見て、爆睡。ヘンな時間帯に目が覚めてしまい二度寝。
 明日まで泊まるホテルは平和記念公園の川向こう、原爆ドームの少し南に位置する。朝、出掛ける際に原爆ドームの前を通り、市民球場の前を通ってみた。市民球場では明日の仕込みが始まっていた。クレーン車でスタンドをまたぎ超す形で資材を搬入しているようだ。お馴染みのさだまさしコンサートツアーのフリーフライトのロゴマークの入ったトランスポーターやNHKの機材車も球場周囲に駐車、準備に入っている。
 球場正面の入口には明日のコンサートの開催を告げる大きな幕が張られていた。そして、事前に公表されなかった「他」のゲストのひとりがここで判明。去年も来て一人で何人分も演っていった方ですな。うーむ、ますます顔触れが去年とかぶってきたな…。昨夜の「真夏の夜もさだまさし」の様子では、他にもシークレットゲストがあるんじゃないかという気がするのだが、さて。
 隣の中郵便局でいくつか郵便物を出し、そのあとアストラムラインに乗って学会会場の某女子大へ。

アストラムラインは広島市中心部から新興住宅地の安佐南区へ向かう新交通システムで、ゴムタイヤの小型車両にホームドア装備と東京の「ゆりかもめ」等と同じようなものだが、都心部では地下を走行し法規上も地下鉄扱いになっているらしい。もっとも市内の基幹交通は今も路面電車(広島電鉄)であり(市内に川が多く地下鉄が建設しにくいという事情があったらしい)、宮島口行きなど超低床連接の長大な編成が街中を走るが、アストラムラインは地下から抜けて高架区間に出ると緑や山に囲まれた中を走っていく。
 20分ほどで会場のある最寄り駅へ。大学の入口自体は駅のすぐ近くにあったが、校舎建物は山の上にあり、専用の屋根付きの階段と一部区間エスカレーターが延々と連なっていた。会場の大学の校舎も丘陵地に建っているので、校舎の移動も坂を上り下りしなくてはならない。このクソ暑い中、坂道はキツイ…しかもスーツ姿…。

今日の午後は発表はなく講演会と懇親会なので、そちらには出ず宮島に出掛けることにした。昼過ぎに一度宿に戻り着替えて、路面電車で横川に出て、そこからJRで宮島口へ。連絡船(フェリー)はJR(青函と宇高が廃止された現在は唯一残ったJR航路)宮島末大汽船があり、横川駅で買った切符の都合でJRの船で海を渡る。10分ほどの船旅だが、会場から有名なあの鳥居を海から眺め、そのあと桟橋に降り立った。鹿だらけ。桟橋から厳島神社までは食事処と土産物屋が並ぶ。僕の中では宮島というと風呂さんの名曲「宮島の落日」の印象と先入観なのだが、残念ながら? 落日にはちと早い時間帯の宮島散策となった。
 宮島口駅前にある有名な「うえの」が定休日のため宮島に渡ってからあなご飯を食べる予定にしていたので、厳島神社に向かう途中で「梅山」に入ってあなご丼を喰らう。うまうま。
 商店街を抜けて海沿いの道を歩き、やがて厳島神社へ。神社で拝観料をとるところは珍しいのだが、此処の場合は構造上、維持費がかなりかかる(西日本に大きな台風が来る度にどこかしら壊れているしな…)から仕方ないだろうな。世界遺産にも指定されたし。
 厳島神社を後にしてまた商店街を歩く。途中の店で焼牡蠣を食べる。1個だけ頼んだのに、2個の牡蠣もこじあけて中身を1つの殻の中に入れてくれ「はい、サービス」。美味しかったです。
 帰りの船は宮島末大汽船に乗り(料金も船の形もJRと大差ないが)、宮島口からホテルまでは広島電鉄の電車に乗って戻る。広電宮島線は路面電車でなく通常の電車路線だが、広島市内の路面区間に乗り入れるため長い編成の路面電車になっている。最近はノンステップ超低床車両の導入が盛んで、その構造上5両編成(1両1両が極端に短いが)の最新型電車が市内の道路を走っていく風景はちょっとヨーロッパ的かもしれない。JRに比べて時間はかかるが料金も安く、ゆっくりと広島市内へ戻る。

宮島からホテルに戻ってきてもう一度着替え、また広電に乗る。土橋で風呂さんと待ちあわせ、近所の風呂さん行きつけのお店「海人」へ。まもなく発表する新作「四番風呂」の歌詞カードのデザイン編集を今回もまた担当したので、その印刷用データ等を直接納品。実は風呂さんと直接お会いするのはけっこう久々なので互いの近況報告をしたり店のマスターと話をしていると、奥の座敷で飲んでいた方々に風呂さんが呼ばれて、やがて我々も一緒になって飲み食いして、なぜか昔のマンガや最近のお笑い芸人の話になって盛り上がった(笑)。

飲みながらの話で興味深かったのが「被爆地・広島は長崎のことをあまり気にしていない」という話。たしかに長崎では「被爆地の広島・長崎」と二つの都市を並べて語ることが多い気がするのだが、広島では長崎のことはあまり話に出ないという。都市の規模がかなり違うこともあるのだろうけど、長崎では8月6日午前8時15分に町中にサイレンが鳴って黙祷するのに対して、広島では8月9日午前11時02分にサイレンが鳴らない地区も結構あるようだ。
 当時から人口規模的にも広島の方が長崎より大きく、また長崎は地形的な特徴から爆風が山に遮られたことと投下時の米軍機の問題で市中心部に投下できなかったこともあって、爆弾自体は長崎に投下されたものの方が強力だったにもかかわらず被害は浦上に集中し長崎市中心部での被害が意外に少なかった点は広島との大きな違いで、そのことや最初の被爆地という意識によるものか、元々の地域的な気質の問題なのか、どうなんだろう。風呂さんが「次男は長男を意識するが、長男は次男を何とも思わない」という言い方をされていたけど。
 だから、地元の方によれば「さだまさしが"広島の日に長崎で歌う"と考えたのは長崎出身の人だからこそできる発想」であり、広島出身のアーティストには8月9日に広島でコンサートをやるという発想は出なかっただろう、とも聞いた。成程。「それだけに今回のコンサートが何かのきっかけになれば、という期待もある」そうだ。

 さんざん盛り上がって日付の変わる直前にお開きになり、電車に乗るまでもないと(電車のルートに比べると、店から僕の宿までは直線距離ではかなり短い)いうことで徒歩で風呂さんに送っていただき、ホテルへ戻る。今回は自分の発表がなくてよかった(苦笑)

西へ

2007-08-07 21:12:25 | 日記
昼過ぎに京都を出発、鈍行乗り継ぎで広島へ。
 乗った新快速が姫路止まりだったため、姫路で後続の播州赤穂行き新快速を待って乗り換え、相生で山陽線普通に乗り換え。久しぶりに緑+オレンジの国鉄型電車に乗った。つい最近までは東海道区間では何も珍しくない電車だったのになぁ。
 岡山でさらに乗り換えたが、このまま鈍行だけで乗り継ぐと時間がかなり遅くなるため、いろいろ検討を重ねた結果、福山から新幹線に乗車することに。やって来たのは700系レールスターで、実は乗るのは初めて(まぁ自分が山陽新幹線区間に乗ること自体が滅多にないからな)。広島まで約25分間のショートリリーフだが、そのまま鈍行乗り継ぎなら2時間近く余計にかかっていた(三原から先の接続が悪いため)はずなので、かなり効果は高かった。おかげで駅ビルの「麗ちゃん」でおいしいお好み焼きにありつけました。ウマー。そのあと駅前大通を歩いて、今年「公遊会」で泊まる宿の位置を確認した後、路面電車に乗って紙屋町へ向かい、そこから歩いてホテルへ。風呂に入った後に寝てしまい、「真夏の夜もさだまさし」冒頭の部分を見逃した・・・さて「内証のゲスト」って誰だろう?