あれからもう20年が経ったのか、という感慨。
あのときは京都に住んでおり、ちょうど学部の卒論の追い込み時期で忙しく、その朝たまたま5時くらいに目が覚めて電気も点けず布団の中でぼーっとしていたら大きな揺れに襲われたのだった。
当時まさか関西で大きな地震があるとは予想もできず、これは東の方ではもっと大きな地震がおきているに違いないと思い、すぐに名古屋の実家に電話したら母親が眠そうな声で出て脱力した思い出。
(まぁその後電話もかかりづらい状態が続いたから、そこでこちらの消息を伝えられたのは良かったのだけど)
そのあとテレビを点けたら、飛び込んできたのは阪神高速の高架橋がひっくり返り、建物が倒壊した映像だった…。
忘れようのない、あの日と、それから2ヵ月後のあの日。
友人知人の安否が分からず不安だった日々。
(当時はまだネットも携帯も普及していなかったし、ほぼ固定電話だけだった)
そして今、僕らはあの日に駅が倒壊し大きな被害のあった伊丹で暮らしている。
当時まったく予想していなかったことだが、これも人生。何かの縁。
あのときは京都に住んでおり、ちょうど学部の卒論の追い込み時期で忙しく、その朝たまたま5時くらいに目が覚めて電気も点けず布団の中でぼーっとしていたら大きな揺れに襲われたのだった。
当時まさか関西で大きな地震があるとは予想もできず、これは東の方ではもっと大きな地震がおきているに違いないと思い、すぐに名古屋の実家に電話したら母親が眠そうな声で出て脱力した思い出。
(まぁその後電話もかかりづらい状態が続いたから、そこでこちらの消息を伝えられたのは良かったのだけど)
そのあとテレビを点けたら、飛び込んできたのは阪神高速の高架橋がひっくり返り、建物が倒壊した映像だった…。
忘れようのない、あの日と、それから2ヵ月後のあの日。
友人知人の安否が分からず不安だった日々。
(当時はまだネットも携帯も普及していなかったし、ほぼ固定電話だけだった)
そして今、僕らはあの日に駅が倒壊し大きな被害のあった伊丹で暮らしている。
当時まったく予想していなかったことだが、これも人生。何かの縁。