ふわふわ

亭主と実母と家族
それは摩訶不思議な関係なり
不倫発覚後の家族たちの日常は如何に?

やれやれ その2(昔話)

2013-04-26 11:13:01 | 家族

その昔 あるところに 三人目の娘が生まれたそうな

一人目は男の子 二人目は女の子 

そして三人目がお腹に出来たとき この母は思った

 

こんなに元気に動く子だから きっと男の子

 

そして生まれた子供は 意外や女の子だった・・・今回お産した娘のこと

生まれたとき 思わずドクターに言ったものだった

あら~ お腹で男の子の印 付けそこなってきたみたい

その証拠に 幼稚園まで 兄のミニカーで遊ぶのが主だった

 

三人目となると おかしなもので うちではその子 その子のテーマカラー

自然と出来ていた

ただ単に 服とかの持ち物を混同しないためでもあったと思うが

もっと単純に 一人目は男の子だから 自然と青系のものが多かったし

二番目の女の子は 当然 赤やピンクが多かった

そして三番目になると 着せたい色はその ほかの色だと ふっと思ったのだ

青 そして赤・・・・じゃ 残りは黄色かと。。。おぉ 信号やがな

ぐらいのセンスしかなかったのも事実

しかも それすら気にならなくなって どうせ意思のない頃だからと

息子や姉のお下がりも 平気で着せていた 

昔はみ~んな そうだったのよね(言い訳?

ある時 おすわりも出来るようになって ベビーカーで買い物に出たら

顔なじみになった お婆ちゃんが声をかけてくれた

「あらぁ~ 今日はお姉ちゃんのお靴履いてるのねぇ~

???

この時 珍しく新調した赤い靴を履かせていたのだが・・・

ひょっとして ず~~っと男の子と思ってた???

「すいません この子 女の子なんですぅ~

「アラァ~? ごめんなさい いつも黄色や青い服が多かったから

てっきり男の子かと・・・・ ごめんね

 

後年 に言われたことだった

「私はいっつも黄色やお下がりばっかだね

黄色 いい色じゃん ひまわりみたいでさ

そう言えば 初めて買ったカーテンも 黄色だったし・・

 

この母だって 幼少の頃は 姉のお下がりをよく着てたけど

当時は 着られるようになったのが嬉しかったもんだった

そんな時代だったけど 娘には 違うようだった

些細なことが しっかり記憶に残るもんだね

あ~ 昔と違って 写真や8ミリフィルムがしっかり残っているから

きっと余計 上書きされたのかも知れない

 

赤ん坊の頃の髪型も 少し伸びると頬にかかるクセの毛質だった

赤ん坊独特の 涙 洟水で 頬に張り付くので なにかいい方法はと

寝ている時に 洟水でくっついたままハサミで 斜めにカットして 

我ながら 画期的な解決策だと思ったのだが 

やはり後年になってから 娘が幼い頃の写真を見て言った

「変な髪型にされた私って 可哀相~~~

 

え? 何を言う?

赤ん坊の髪型なんて 世話をやりやすけりゃいいじゃん

気にする年頃じゃないしさ

 

三人の子供のヘアカットも 小学生までは ワタシが切っていた

天パーの亭主のも 不倫が発覚するまで ワタシがカットしてたのだ

発覚してからは 断固断って今に至る・・・・触りたくないし。。。

 

話がそれた

 

息子も 天パーがあって多少 雑な切り方でもまとまったし

長女も猫っ毛だったので それなりにだったが 下の娘は

ワタシと同じで しっかり直毛で 前髪をちょっと雑に切ると 

斜めカットになってしまう

 

後年 聞かされたことには「怒られるからガマンしてた」ですと

 

三人目は ガマンすることが多かったらしい

御蔭で今や 産後数週間で ヘアカットにも出かけるし

(もちろん 赤ん坊はワタシが子守りしてるのであるが

大学生の頃は カットモデルにもなったことがある

不遇な幼少経験からの反動でっか?

 

あ~~ぁ~ 洟垂れて ア~ウ~言ってる時が 

親も子もシアワセだったのやも 

 

 


やれやれ

2013-04-24 16:20:37 | バトル

娘に 二人目が生まれた

娘の家は 我が家から しっかり小一時間・・・渋滞なら一時間かかるところ

夫婦とも同じ会社に勤めていて 家はそこから歩いて10分

上の孫が通う保育園は 会社の裏手にあって 街中である

非常に 恵まれて便利な環境にある

 

それに引き換え 我が家はいわゆる郊外・・・ド田舎とも言う

大都会からUターンしてきてから やっとこさ車の免許を取って

毎日の生活も出来ている

車は いわば自転車代わりである

 

イナカで慣れた運転も 街中となると しかもはかなり緊張するもんである

そんな中 娘のお産の後 連日 イナカから街へ往復すること はや四週間

 

婿どのの親一週間交代で 赤ん坊と上の孫 付随して娘たちの

世話をしようと意気込んでいたが 所詮 年金世代だから お互い気力 体力

日を追うごとに下降線をたどるのは否めない

上の孫がいなきゃ 実家の我が家で面倒はみてもよかったが

なんせ 保育園のこともあって 送り迎えしなくてはならず

婿どのの両親は遠方なので 娘宅の周りは不慣れとあれば 母上だけでは 

車の運転もできず 父上まで泊り込みでの送迎を敢行していただいた

 

もちろん 娘の入院中は 孫と息子とひとときの水入らずの一家団欒だったようだ

ワタシはその間 産院と自宅 仕事場と しゃかりきでいた

それだけで疲れる毎日だった・・・ホンマ

 

さて娘と赤ん坊が退院して 婿どのの両親と一週間過ごすことになった

たぶん 娘にしたら結婚以来 初めてだったらしい

 

少々ワタシにしては 娘にはよい機会だと思っていた

というのも 上の孫の時もそうだったが 生んだ後から

娘は非常にナーバスな状態に・・・

器用じゃない分 とかくそれを埋めようと マニュアル信棒に偏ってしまうのだ

 

オッパイあげたのに なんで泣く?に始まって どっか痛いのかとか

心配のあまり こちらがテレビを見て笑っても 協力しないと怒りだすのには

呆れたを通り越して 大丈夫かいなと心配したものだった

姉娘と 今回のお産を前に言ったことだった

「まぁた 同じなんだろうな。。。はぁ~~~~~~ワタシ

「・・・・かもね。。。。姉娘

 

案の定であった

さすがに 『なんで泣く?』のはなくなったが その分 周りに完璧を

求めるのだ・・・特に ワタシにだ ナゼ?

たぶん ワタシが何でもワカッテルから 頼って安心したいのだろう

結果 スムーズに結果がでないと 超フキゲンになるのだ・・Why?

 

なんかに似てる。。。  あの亭主にだ

ヤツの因子も入ってるから そりゃ当然か

産後の疲れも加わって ムリもないことだが

いや待てよ ワタシが子供を生んだとき こないなことにはならんかったで

 

母に聞いてみた

「うん アンタはあんなことなかったな・・・なんでやろな

けど 似てるな。。。」 とクビをすくめて声をひそめる

 

婿どのの母上も 産院で 娘がしきりに携帯メールを見たり 送ったりしてるので

「私らのときは 産後は本も読まない方が・・・って言われたもんですよね」

心配げに言ったら 娘が まるでワタシに言うように

「仕方ないもん・・・」だと

 

アワワ アカンがな アンタ 嫁でっせ

病室の外で 母上に平謝りしたが 母上は笑って

「産後ですからね?」と大目に見てくださった 冷や汗しきりである

そして退院しての 同居一週間後

バトンタッチで ワタシの番になって行ったらば たった一週間だったのに

何かにつけて うちの冷えた夫婦像とは違うと褒めちぎっていた婿の両親のはずだったが

不満タラタラだった

 

母上は健康食品ばかり買ってくるだの 赤ん坊の沐浴も さぞや嬉しかろうと

してもらったら 一回で 落とすと可哀相だからと断られたとか

父上に関しては トイレのドアを閉めないでするとか 何かにつけて後始末ができないとか

 

 

結局 次のサイクルは気の毒だからと言い分けつけて 来てもらうことを

断ってしまったらしい

え? ちょっと待ってよ その穴埋めって・・・ワタシがするんだよね?

 

ピンポ~~ン

 

 家族にグチったら 返ってきた答え

 

そう育てたのは アンタやんか

 

あぁ~~~ ワタシが生んだ娘とは思えんな。。。