life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「クォンタム・ファミリーズ」(著:東 浩紀)

2021-03-28 16:58:38 | 【書物】1点集中型
 「シャッフル航法」の巻末の解説目録(に載ってたNOVAシリーズに未だに手を出せていないんだけど)を見て。量子論はやっぱり気になるし、三島由紀夫賞というのもあって読んでみた。

 テロ容疑者として逮捕された「父」に、実在しないはずの未来の「娘」からメールが届く。端からタイムトラベルかパラレルワールド(って言い方は時代遅れか)か、ってタイトルそのまんまの話である。……なんだけれども、難解である。絡み合う世界が多いのである。単に並行する世界だけでなく時間軸の違う世界も絡む。マルチバースと捉えるとそりゃ当たり前の話なんだけども、うわあどれがどれやらわからん、と思いながらわからないまま読み進めたのであった。解説筒井康隆氏はグラフを作ったそうだが、それをやらないと正確に理解はできないだろうなぁ。
 正直、1回読んだだけでは理解できたとは全然思えない。ただ、「検索性同一性障害」なる精神疾患が出てくると、この世界の必然性を少しだけわからせてもらえる気がする。自分が行った行動と行うかもしれなかった行動、記憶の中の現実とifの区別も、さらにその記憶に連なるすべての人間関係の中の現実とifの区別もつかなくなるということを想像してみると、確かに脳の処理能力がパンクしてしまいそうな気がしてくる。
 けれどその中で、選べたかもしれない自分の人生を今なら掬い取ることができるかもしれないという誘惑にかられたとき、人は何を望むだろう。

 最終的には、理想の家族を追い求めた女と男の物語ということになるのかもしれない。しかしそれをこれほどに入り組んだ世界で描き切るのは単純にすごい。倒錯している性がキーになっていたり、全体的にはどちらかといえば陰にこもった感じなんだけれども、世界観はぐいぐい迫ってくるように感じる。倒錯してる分余計にそうなのかもしれないけど。

 ちなみに、要所で引き合いに出された「世界の終わりとハード・ボイルドワンダーランド」をはじめ村上春樹作品はほとんど読んでない。読まなきゃわからないような話になってないんだけど、リテラシーとして読んでおくべきかなーと思わされた次第である。ディックもよりによってまだ読めてない作品の話出てきちゃったからな……(笑)

「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」(著:東畑 開人)

2021-03-12 20:06:32 | 【書物】1点集中型
 臨床心理士によって語られる沖縄のとあるデイケアの日常。そもそも精神科のデイケアってどういう場所なんだかそういえばまったく知らない。というか、精神疾患のケアってどんなことなのか、というのもまったくわからない。そんなこともあって読んでみた本である。

 人は、自分が今いる場所に「いる」ことを多分当たり前だと思っている。しかし著者がデイケアで最初に躓いたのは「ただ座っている」ことの難しさだった。確かに、人は何か役割を、あるいは立ち位置――「居場所」を確保した状態でこそ無意識に「ただ、いる」ことができる。知らない土地で、あるいは見知らぬ人たちの中にひとり放り込まれたときの居心地の悪さは、つまり「居場所」がまだ定まっていないからだ。なるほどね。やっぱり、「いてもいい場所」がないと、人は何も考えずに自分のままでいることができなくなってしまうのだ。

 それにしても、先輩職員たちは次々に退職していった。デイケアで働く人たちが肉体的にも精神的にも大変さを抱えていることにはなんとなくのイメージ(だけ)を持っていたのだが、やっぱりそうなんだな、という印象。しかし辞めるにあたって、デイケアに通ってくる人々(メンバーさん)に、自分がいなくなることをどう受け入れてもらうのかを辞める人それぞれが考えているのが興味深かった。心のケアを必要としている人たちをケアするのが役目なのだから当たり前のことなのかもしれないが、一般企業にいて辞め方を考えるのとはやっぱり違うんだなあと。

 ……と、臨床心理士と患者さんたちのコミュニケーションの話だけかと思いきや、最後には社会におけるデイケアという施設のあり方とその課題に言及がある。それはいわゆる介護・福祉の世界が抱える課題そのものである。「『いる』が経済的収支の観点から管理されている」デイケア。その場を維持していくために、現実として収支をマイナスにするわけにはいかないのは当たり前のことなのだが、利益追求が第一になってしまうと本来の目的から道が逸れてしまうことがある。
 本当は、誰もデイケアを必要としないようになれば、それに越したことはない。ないけれども、それはありえない。生産性(あまり好きな言葉じゃないんだけど)を上げるのは確かに、労働者人口が少なくなっていく中で避けて通ることのできない命題ではあるが、それだけを求めてはいけないはずなのだ。デイケアだけじゃなく、社会全体において。だってそういう社会に生きてきた結果、デイケアに通うことになった人たちがたくさんいるのだ。そして、自分だって、自分の身近にいる人たちだって、いつ何をきっかけに同じ立場になるかもわからないのだから。

「富豪刑事」(著:筒井 康隆)

2021-03-10 01:32:58 | 【書物】1点集中型
 筒井作品はSF系が好きでそっち方面はいくつか読んでいるものの、ドラマになったりアニメになったりしているこちらは長いこと未着手だった。で、そのBULを観る機会があって、じゃあやっぱり読んでおくかと手を出した次第。当然、全然話は違っているわけだけども。そもそも原作に加藤春自体いないし。大助のキャラの空気感も全然違うし。まあBULはBULで先入観がなかったので(ドラマは観てなかったから)面白く観たし、シャーロック・ホームズ原典と「エレメンタリー」ほどの違いはなかったので、全然問題なかったんですけども。

 それはそうとこの「富豪刑事」原典であるが、ちょっとおどおどしてる感のある大助が微笑ましかったのである。あー、そういう理由で富豪刑事なんだねーというおおもとの父親のキャラクターがバカでまたいい。そもそもこんな捜査方法は現実的にはあり得ないだろうから、その発想の飛躍も筒井作品だなあと。いかにも「らしい」ドタバタ満載のエンタメなのでそういうところのリアリティは必要ない、とそんな感じで割り切ってしまえる感じ。登場人物が突然読者に語りかけたりするあれなんかも、本来だったら小説でそれやるか、と思っちゃうのだが筒井作品のこのノリにかかるともはやどうでもよくなる(笑)。というか、それが問題なくなる雰囲気の作品なわけだ。同じ筒井作品であってもたとえば「旅のラゴス」でこれやったら絶対にマッチしないんだし。
 その意味では、漫画的なこの世界観も、こういうのもいいよねなんせ筒井ワールドだし、と思える範囲に収まる絶妙のバランスなんだろうなあと。多分に実験的要素が見られるようなつくりも含めて。まあ、自分自身がナンセンス系のやつ(筒井作品もそうだけど、バカSFとかも)が好きだからというのも多分にあると思われるが。

 筒井作品の刑事ものというかミステリというか、この手のジャンルは初めてだったんだけれども、結果的には筒井康隆以外の何ものでもなかった。筒井康隆といえばついついSFとかブラックな短編とかのほうに手を出してしまうのだけど、やっぱり「ロートレック荘事件」も読まないと。