life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「荒野へ」(著:ジョン・クラカワー/訳:佐宗 鈴夫)

2016-10-28 22:20:30 | 【書物】1点集中型
 今年のナツイチをチェックしてて気になったので借りてみた本。
 恵まれた環境で育ち、優秀な成績で大学を卒業したその夏、青年クリスは周囲のすべてに訣別した。そしてひとりアメリカを横断し、カナダからアラスカの荒野に分け入り、やがて命を落とした。ただのアウトドア生活ではない、装備らしい装備も持たない中で、土地与えてくれるものだけで生きていくことを目指したのである。

 彼は荒野に向かう旅の中で、それでも彼はまったく人間を拒絶していたわけではない。アレックスと名乗っていた当時のクリスと触れ合ったさまざまな人々の言葉から、単に「世捨て人」の一言では片付かない姿が浮かび上がる。多くの人々は彼に好感を持ち、クリス自身もそうした人々に折に触れて便りを出してもいて、その場限りではない交流もうかがえる。
 自分だったら、最初の考えがどうであれそんな人々の中で居心地の良い場所を見つけたら、そこにそのまま留まりたくなるだろうと思うのだが、クリスはそうではなかった。文字通りすべてを捨てて荒野に向かった青年の心中を、完全に汲み取ることはできないし、ほとんど無謀な行動には違いないけれども、そんなこと本人は9割方承知だっただろう。自分の価値観を自分が本当に納得できる形で実現することを目指したというか……。

 本来、それはある意味自分の可能性や限界を知ることにも繋がっていて、2カ月を過ぎた荒野での生活を経て、何かしら自分自身への確信のようなものが生まれたのではないかと感じられる。そうした時期に自然が彼の行く手を阻むことになった(結果的に)のは、皮肉と言えるかもしれない。また、彼を批判する側からしてみれば、事前にこの地域について学ぶなりせめて地図を備えておくなりしておけば回避できたことであった、という話にもなる。
 通りかかるかもしれな人々に宛てたSOSのメッセージから受ける死への恐怖は幾分生々しい。ただ、彼の残したさまざまなメモや日記には後悔の言葉は見当たらないのが、彼の思いを象徴している気もする。

 彼の行動を美化しようとは思わない。ただ、自分なら発想もしないこと、したとしても取り組もうとは思えないことを彼が実行したことは紛れもない事実である。

「私を通りすぎたスパイたち」(著:佐々 淳行)

2016-10-26 23:30:08 | 【書物】1点集中型
 スパイものノンフィクションと言われて食指が動かないはずがあろうか、というわけで(笑)。日本のインテリジェンスという話になると「外事警察」が真っ先に思い浮かぶが、著者はまさしくその公安の外事課やら、香港総領事やら、防衛庁への出向やらの錚々たる経歴を持つ。

 戦前・戦中・戦後の、ある意味日本の諜報活動が表にも出てきやすかったころのエピソードが中心で、ゾルゲ事件はもちろんのこと、フォーサイスあたりとの交流話なんかも興味深い。しかし、戦前の治安維持法や国防保安法などを一気に廃止したことが逆に治安機能を混乱させ弱体化させた、というのは初めて知る見解だった。そんな中での日本の外事警察の黎明期が、サラリーマンの悲哀も交えて語られるのはなんだか妙なおかしみもあったりする。
 ひとつ実感できたのが日本という国のスパイへの甘さであって、確かにろくに罰せられることもないとわかっていれば跳梁跋扈されても不思議ではないな、ということ。特定秘密保護法なんかには全然ピンとこなかったのだが、こうした歴史を認識したうえだと、もっと踏み込んで考えて判断する必要があると感じた。今更だけど。著者の経験がつぶさに語られ尽くした後で「おわりに――一九六三年の危惧」を読めば、納得がいく。

 で、最終章であまりにもたくさん「スパイ本」が出てきたので、読みたいけどこんなにたくさん読めないよーとか思ってしまった(笑)。でもラストボロフやレフチェンコはこの本で初めてわかったので、このあたりはいろいろ読んでみたくなった。あと、CIAvsKGBといういかにもな構図をもっと知るのもいいかな。とは言ってもまだまだ、自分とは縁遠い、映画のような世界のこととして捉えてしまいがちだけど。

「考えすぎた人」(著:清水 義範)

2016-10-08 20:20:44 | 【書物】1点集中型
 哲学には少しは興味あるけど、いきなり学者の著書に取り組むほどの度胸はなく(笑)「ユーモア小説」という点に期待して読んでみた。著者はパスティーシュやユーモア系が得意分野なのだそうだ。
 注釈にはちょっと鬱陶しい書き方もあるが、本編はまあまあ笑える。手を変え品を変え、バラエティに富んだ切り口。ソクラテス、プラトン、ウィトゲンシュタインあたりが個人的に面白かった。アリストテレスは……こういうの好きだけど、序盤からネタがバレバレすぎだったのが若干惜しい(笑)。

 それぞれの表現を細かく語るとネタバレになってつまらないから措いておくが、全体に、清水氏はこう読み解いたんだなという「なるほど」感がある。ああ、こういう風にデフォルメしちゃうとちょっとわかったような気分になれるかも、みたいな。それでも後半は本当にわけがわからなくなってきて(笑)、哲学に対峙する著者の苦しみも伝わってくるようだったけど。(笑)
 作中、哲学者と対話する登場人物は読者の疑問の代弁者でもあると思う。なので、そうした人物を通して著者にも親近感がわくような気もした。ここまで視点をこちら側に近づけてくれてありがとう! と言いたくなるかな(笑)。

「ザ・カルテル(上)(下)」(著:ドン・ウィンズロウ/訳:峯村 利哉)

2016-10-02 22:11:01 | 【書物】1点集中型
 以前、ご多分に漏れず「犬の力」に相当な衝撃を受けたのである。メキシコの麻薬界の現実に、カルチャーショックなどという言葉だけでは片付かないような衝撃を。
なのでその続編、あの、一応は片が付いた形をとっていた物語をある意味「蒸し返す」ことになるものがあると言われたら、これは読まないわけにはいかないだろうと。

 とはいえ、前作読んでから2年以上経ってるのでざっくりしか覚えてなかったけれども、そんなことはどうでも良いほどの骨太さというか、胆の据わりっぷりというか……。人物多すぎて細かいところまで把握しきれないのが難だが、アートとアダンを取り巻く人々の姿もそれぞれに鮮烈で、そして容赦のない惨劇が続くさまも壮絶で、ゴリゴリと骨を削る音さえしそうな苛烈さがこれでもかと続く。そこから目を逸らしたくなりながらもやっぱり引き込まれる。とにかく勢いで読み進めた。
 人が殺され、町は消え、政治は口をつぐむ。虐げられる人々の悲しみと怒りが渦を巻く。麻薬の世界に染まる者たちも、その世界の流れに翻弄されてあちらへ流れ、こちらへ流れていく。「敵の敵は味方」だったり、「昨日の友は今日の敵」だったり……

 そして市井の人々のささやかな日常や、心和ませる愛や感情の交流が大切に描かれるからこそ、それを壊されることの残酷さが浮かび上がる。特に「野生の少年」登場からは、タイトルの意味するところをはっきり伝える表現になっており、ウィンズロウのこの作品に懸ける思いを叩きつけられたように感じた。なんといっても、物語はフィクションではあるけれども、ここで描かれている世界自体は架空のものではないのである。どんなに凄惨な表現であっても、逃げることはできない。知らなければならないのだ、と無条件に思わされるのである。その意味では、冒頭にあるおびただしい数の人々に向けられた献辞からしてが、読者への、あるいはメキシコ麻薬界への挑戦なのだろう。

 それにしても、アートとアダンが手を結ぶ展開も意表であった。「憎しみは憎しみさえも打ち負かす」という言葉がすべてに火をつけた感じだ。それだけに、最後にアートとアダンがどうなるのかとずっと考えながら読んでいたけど……終わってみて、2人が迎えた結末の意味をまた考えさせられるようになった。そしてチュイ少年の行く先にも。
 とにかくこの作品でも、ウィンズロウの怒りが文中に激しく脈打っている。それを感じるために読む価値のある物語だと思う。「声なき人々」の声は、この作品そのものである。「姿なき人々」への墓標でもあり、捧げられる鎮魂歌でもあり、変わらぬこの世界への断罪と糾弾である。そして踊らされていることを知ろうとしない者たちへの警告であり、反対にこのような世界があることから目を背ける者たちへの、まさに血のにじんだ叫びなのである。