life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「厭な物語」(著:アガサ・クリスティー 他/訳:中村 妙子 他)

2021-07-29 00:48:22 | 【書物】1点集中型
 そういえばソローキンとか久しく読んでないなあ、でもソローキンの長編は気合が要るんだよなあ、と思っていたところ見つけたアンソロジー。タイトル通り、いわゆる「イヤミス」的なやつ。クリスティとかフレドリック・ブラウンの名前があったし、そういや実はカフカもちゃんと読んでないぞ、ということで借りてみた。
 結論から言うとどれもこれもかなり、素晴らしく厭な物語である。後味最悪なんだけれども読み返さずにはいられない。秀逸。これだけの面子が揃えられただけあって、流石としか言いようがない。

 嫉妬や保身や悪ふざけといった自らの行動によって、人間は思いがけなく追いつめられていく。他人、あるいは家族であっても、自分以外の人間の心理などそう簡単に量ることなどできないのだと思い知らされるのがクリスティー、ハイスミス、ランズデールあたり。オコナ―もかな。ルヴェルは「孤独」の本質をおそらく誰もが身につまされる形で描いている。あり得るかもしれない、と思わせるところがこれまた「厭な物語」である。
 一見普通の世界の日常を描いているように見えて、実は想像するだにおぞましい世界だったりするのがソローキン(やっぱりな)と、ジャクスンにマシスン。マシスンのは家族が絡むだけになお恐ろしい。カフカとブロックは、前者が父親と息子、後者が犯罪被害者家族と加害者の「心理戦」といったところか。
 トリのブラウンは、そのストーリーに合わせて「解説」のあとに置かれるという心憎い演出。読み終わるはずのこの本の中に、最後の最後で引きずり込まれるのである。「厭な物語」の登場人物として。

「朽ちていった命 被曝治療83日間の記録」(著:NHK「東海村臨界事故」取材班)

2021-07-18 16:39:16 | 【書物】1点集中型
 ずっと読むつもりでいたけど何故か延び延びになっていた本。99年9月30日の茨城県東海村、JCOの事業所でのウラン燃料加工作業の際に起きた臨界、つまり中性子線による被曝という事故。そこで被曝した大内氏の、まさに想像を絶するその後の記録である。
 福島の原発事故は震災絡みだったのでこれでもかというくらい目に入ってきていたけど、こちらはそれに比べると当時の自分からの距離が遠くて、恥ずかしながらかつて事故があったことしか記憶になかったのだが、テーマの重さにしては想像したよりも薄い本で、それをまず意外に思った。だがいざ読んでみると、文章量と内容の厚さは比例しないという当たり前のことを思い知る結果になった。

 話はまさに被曝のその瞬間から始まる。そもそもこの臨界事故がどういうものだったのか、何故起きたのか。「何故」の部分を知ったときには信じられない思いだった。被曝の恐ろしさを重々知るはずの「唯一の被爆国」で何故、ここまで放射線の危険を軽視することができたのか。効率を求めたことや安全への過信などあるだろうが、何よりも「自分のこと」として捉えていなかったからだろう。大内氏の症状の経過を追っていくにつれ、そのあまりにも壮絶な、そして人間に無力感を突きつける現実に、そう思わざるを得なかった。
 大内氏は被爆直後に嘔吐、そして半日も経たずリンパ球が通常の1/10以下に激減した。しかしぱっと見では重症のようには感じられないほど、見た目も意識もしっかりしていたという。けれど放射線は確実に、かつ急速に被曝者の体内を蝕んでいく。1週間も経たずにリンパ球が完全になくなり、白血球自体も、血小板も大きく減少。免疫力がなくなるどころか、血を造ることもできなくなる。染色体が破壊されていたのである。血液のみならず細胞を造ることもできなくなり、最初は体表面には出てきていなかった異変が次第に、かつ加速度的に表れ始める。
 「放射線被曝の場合、たった零コンマ何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる」。運命とはこの場合、臓器が最終的には破壊されてしまうしかないということである。造血幹細胞移植をしても、人工呼吸器をつけても、放射線障害を食い止めることは叶わない。放射線を浴びた皮膚は徐々に水膨れになり、それが破れて体液や血液がしみ出し、細胞を造れなくなった身体から新しい皮膚も生まれない。それがどれほどの痛みを伴うものなのか、想像がつかない。原子爆弾で被爆した人々に生じた放射線の影響もこういうことだったのではないかと考えると、慄然とした。

 大量出血、体液の浸出、それを補う大量の輸血と点滴、24時間透析、心停止、そして蘇生。ありとあらゆる治療と処置が施されたが、もはや誰にその苦痛を直接訴えることもできない壮絶な闘いの中で、大内氏の身体は確実に滅びに向かっていた。結果が変わらないかもしれないという思いに捕われながら治療にあたる医療スタッフの方々の葛藤もまた、心身ともに極限状態を強いるものだっただろうと思う。看護師の花口氏の「大内さんの声が聞こえないかぎり、ずっと自分がやってきたことが正しかったのか、大内さんにたいしてものすごく重大なことを強いてしまったのか、わからない」という懊悩も、「どっちかの答えを大内さんからもらいたい」という言葉も、とても悲痛だ。
 そして大内氏ご自身も、その傍にいつづけたご家族も、「何故こんなことになったのか」という思いや怒りや悲しみや、じわじわとしかし確実に終末へ向かっていることへの恐怖をずっと抱き続けなければならなかったのではないかと思うと、到底言葉は見つからない。また、この本(番組)の「85日間」は大内氏のものだが、この事故ではもう1人、大内氏とともに作業にあたっていた篠原氏がいる。大内氏の死を知ったあとの篠原氏の心情も、とても想像が及ばない。ただひとつ確かなのは、これはオブラートに包むことなく語り継がれるべき過ちだということだ。単に同じ核がかかわるからというだけでなく、戦争の記憶を語り継ぐことの大切さもまさしくそこにあるのだろうと、これほどに納得したことはない。

「凶悪 ある死刑囚の告発」(編:「新潮45」編集部)

2021-07-11 21:44:56 | 【書物】1点集中型
 「『新潮45』編集部編」シリーズには、興味があったものの全然読めていなかった。たぶん久々に寄った本屋で見かけて思い出したのではないかと。
 副題の通り、上告中の死刑囚から別の死刑囚を介して雑誌編集者の宮本氏に届けられた犯罪の告発文書から話が始まる。死刑囚・後藤良次が、死刑判決を受けた事件のことではなく余罪を自ら開示する形で共犯者――その事件の主犯である不動産ブローカーの“先生”――を告発したのだ。のちに、死刑囚を新たに別の殺人事件で裁くという前代未聞の事態ということもあり「上申書殺人事件」と呼ばれることになるいくつかの事件のことである。

 「上申書殺人事件」のことは知らなかったが、ご多分に漏れず読み始めると止まらなくなる迫真のノンフィクション。弱みを持った人を食いものににし、その命を金に変わるものとしてしか見ていない”先生”。暴力を以てそれに加担する後藤。表題通り「凶悪」以外の何ものでもない。サイコパスとはこういう人物を指すのだろうか、と読み進めながら思う。
 他に類を見ないほど狡猾な”先生”が、既に証拠隠蔽工作を進めてしまって久しい事件。しかも、被害者の名前すら定かではない。それを宮本氏は批判的精神を持ちながら地道で丹念な取材によって少しずつたぐり寄せていく。こういうノンフィクションを読むたび、「事実は小説よりも奇なり」という言葉の本質を思い知らされる。

 その取材が実を結び、いよいよ茨城県警が動く。そして遂に”先生”を被告人席につかせることを果たす。
 だが話はそれで終わりではない。”先生”三上静男に相応の報いを受けさせるためには、事件の真相を明るみに出さねばならない。「家族の同意を得て」保険金目当てに栗山裕氏殺害に及んだ事件の詳細は、目を覆わんばかりの残虐である。「助けてください」と懇願する相手に罵声を浴びせ、文字通り浴びるほど酒を飲ませ、さらにはそれに覚醒剤まで混入し、挙句の果てには何度も感電させていたぶる。これが現実とは到底信じられず、何故そこまでできるのか、常人の理解の及ぶところでは到底ない。
 後藤は、自分が逮捕されたときに弟分の後事を託したにもかかわらず、“先生”がその弟分を見殺しにしたことから”先生”と決裂し、復讐のために余罪を告発することを選んだ。そこには贖罪の意識も加わっていたことは確かだが、復讐に懸ける怨念の印象がどうしても拭えなかった。その怨念が世に果たした功績は決して小さくはない。だが、だからこそこの事件をどう捉えるべきか考えてしまう。宮本氏が「あとがき」で述べたように、そして後藤自身が認識しているように、後藤はその告発を以てだけ償いを終えられるものではないのだろう。

 「文庫版あとがき」で宮本氏は雑誌ジャーナリズムの衰退に触れ、この報道は「雑誌にしかできない仕事だった」と述べている。ジャーナリストとしての矜持、雑誌というメディアに対する矜持がひしひしと感じられた。それだけにその後、当の「新潮45」が事実上の廃刊といえる休刊となったことに痛恨の念を禁じ得ない。しかも常識では考えられない、まるで自殺行為のような記事によって。
 「ジャーナリズムは死なない」。こうした本に出合うと、その志を持った人々があり続けてくれることを、切に願う。

「書き下ろし日本SFコレクション NOVA+ バベル」(責任編集:大森 望)

2021-07-04 22:57:20 | 【書物】1点集中型
 大森氏によるアンソロジーシリーズは、NOVAに限らずずっと気にしつつも手を出せずにいるうちにどんどん巻が重なってしまうのだが、やっと思い切って手を出すに至った1冊。「+」からになっちゃったけど。
 なので実は初読じゃない作品も混じっていて、ああ、これ読んだのは覚えてるな~と思いながら中身を覚えていない(笑)というのが円城塔「Φ」でした。「シャッフル航法」買っちゃってたんだもんねえ。いかにも円城作品らしい、「文字」を駆使したSF。筒井康隆的実験性もありますね。
 あともう一つ、月村了衛「機龍警察 化生」。短編集で読んだ作品。こっちは誰が主人公のやつだったっけ、と読み始めた(やっぱり中身は覚えていなかった)。夏川主任(と沖津部長)の話。ようやっと特捜が戦うべき相手がはっきりしてきたあたりの話ということになるかな。まあ、そんなこんなでこの2作品も初読と大差ない。

 で、正真正銘の初読だった諸々について。
 巻頭は安定感の宮部みゆき「戦闘員」。宮部氏のSF作品はいかにもSFって感じではないんだけど独特な雰囲気がある。SFは苦手だけどミステリは好き、みたいな人に勧めてみるのもいいかもしれないな、と思った。酉島伝法「奏で手のヌフレツン」は物語世界の独特さかな。こうやって見るとやはりSFとファンタジーって相当近いというか境界が曖昧なんだなと思う。ただファンタジーの世界観って理解できるまでにものすごい時間がかかることが多いので、実は結構苦手だったりする。これも私にとってはその口だったかなあ。でもこの世界の描き出し方はすごいと思う。創造力を見せつけられた感じではあった。
 藤井太洋「ノー・パラドクス」宮内悠介「スペース珊瑚礁」。藤井太洋は「銀英伝列伝」で読んだばかりだったが、この2つはおおもとのネタがとっつきやすいというのもよかったけど、キャラクターが面白かった。SF推理小説って感じですね。「スペース金融道」シリーズをちょっと読んでみたくなった。アニメ化とかもできそうだけどね。
 表題作「バベル」は、なるほどなーと思わされた。ハリムが作る羽目になった退職予測システムは、なんだかどっかの人材紹介会社とかが入れてそうな気がする。その予測システムが世界の人々のストレスとリンクするという、ぶっ飛んでるけどこうして説明されると「こんなに日々ストレスにさらされていたら、こういうこともなんかあり得そう」と納得してしまう不思議。それが現代的な社会問題とも絡み合うという面白さとスケール感は表題作として相応しい。舞台づくりという意味では、野崎まど「第五の地平」も、チンギス・ハーンとSFかー! と思うとそれだけでわくわくする感じ。それが次元の話だからなあ。スケール感と爽快感がある。

 かように、アンソロジーは新規開拓したいときには手っ取り早いのだが、その反面手を出したいものが増えすぎるという欠点もある。だからなかなか手を出しにくかったのかもしれない(笑)。でもあらためて「NOVA」シリーズの執筆陣を見るとやっぱこのシリーズは(相当今さら過ぎるが)読んどかないとなあ、と思ってしまうのだった。