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偏愛と放浪の記録

「診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち」(著:ロバート・D・ヘア/訳:小林 宏明)

2013-09-25 22:46:31 | 【書物】1点集中型
 「子供たちは森に消えた」の巻末で見て。「サイコパス」って言葉としては聞くし、なんとなく精神に異常のある犯罪者のことなの? というイメージだけはあったが、定義として知っているわけではなかった。
 で、この本を読んでみて、そういう曖昧な自分の認識がある程度是正された……ような気にはなっている。今は臨床名としては「社会病質者」と訳されるが、簡潔に言えば「良心が欠如」している「反社会性人格障害」。「精神異常ではあるが、もっとも不良な場合でも精神病ではなく、もっとも軽い例でも正常性や行為能力をもつとはみなされない」とか、なんとも微妙ではあるが、家庭環境などの後天的な要素によって引き起こされるものではない。「生まれつき」に近い人格障害だ。

 自己の利益のみを追い求め、周りの人間をそのための道具としてしか捉えていないというのはサイコパスのあり方の大きな特徴のひとつであるが、自分のために他者を利用したり「使い捨て」するという行為は、当然のことながら必ずしもサイコパスだけのものではない。逆に言えば、猟奇犯罪者や連続殺人者だからサイコパスである、という図式も100%成り立つものでは決してない。だから判定は簡単なことではないし、ややこしい。
 しかし、本書にあるサイコパスとされる人々の例を見ていくと、彼ら彼女らは自らの犯した暴力や殺人に関して、本当の意味で被害者の「痛み」を理解することができないのだということが実感できる。サイコパスは、そういう感情が「存在する」ことは知っているし、だからそれらしい演技をすることはできるけれども、自分がそれを「持つ」ことはできない。殺人ほどの重大な罪ではなくとも、詐欺を働いたり、ちょくちょく人からお金やものを掠め取ったり、そんなことを繰り返す。胡散臭さを通り越して自分を魅力的に見せる能力には長けているというのが厄介である。
 さらに、「嘘も方便」を地で行くのがサイコパスで、その嘘がばれても罪悪感を持たない。嘘も自分の目的を達するための手段のひとつでしかないからで、自分の目的のためならどんなことをしてもいいと信じているからだ。

 読めば読むほど、一般社会の常識が通用する相手でないことだけははっきり見えてくる。正直言って、この手の相手には関わらないことが一番だと思うのだが、たとえば家族ともなるとそうもいかないだろう。
 人間は、この障害を解決できる手段を見つけることができるのか? この本のなかでは、まだまだその道筋はつきそうにないように見える。それでも、サイコパスの本質を(あくまで知識としてだが)多少なりとも理解できただけでも、読む意味はあったと思う。どうしても越えられない壁というのは、やはり存在するのだ。


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