life goes on slowly
或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録
 



 「スットコランド日記」の続編。って、もう7年前の本でかなり今さらなんだけど、なんとなく何を読もうか決められない時期にあって、苦しい時のタマキング頼みとか勝手に言って選んだ1冊である。
 武蔵野らへんらしいスットコランドでのタマキングの日常、なのは当然変わらず。ちょうど四国遍路の時期だったらしい。その合間に宮田家は自家用車買い替え、庭付き一軒家購入という二大イベントが今回の目玉であろうか。生活圏がさほど変わらなくても、見える景色が変わるとやっぱりいろいろ変化はあるよね。

 それはそうと、まずオナラ太郎に吹き、夫人のいつもながらに鋭い指摘に頷き、今作もときどきふっと現れる白昼夢なんだかちょっと小説的に何か入れたかったのか、という不思議なタマキングワールドが展開する。劇的ではない、誰もが経験しそうな日常をちょっとした表現で、微妙に笑えるものに変えてしまうこの文体がやっぱり好きだなー。
 それにしても、書くこと=自分を掘り下げること=自家中毒的なストレス、という夫人の指摘はすごい。なんだこの非の打ちどころのない納得感。そしてタマキングの夢の話はいつもSFっぽい。小説をいつか本当に出すのだったらSf書いてくれないかな。タマキングがどんな世界を創るのか見てみたい。

 あと、「ときどき意味もなくずんずん歩く」の増刷の話が繰り返し出てきて、おお、すごいすごい、おめでとうございます! と(今さら)思いつつ、息子さんのサッカーチームの対戦相手にずそずわFCだのでぞいますFCだのが出てくると、古いエッセイを読み返してみたくなってしまったぞ(笑)。ていうか、カースン・ネーピアさんの書き方が面白すぎる。タマキングがこんなにも恐れる人の実の姿をぜひ見てみたくなるのだが。
 終盤では新境地、なんと俳句にまで手を出してしまう(出してしまわなければならなくなった)タマキング。「鳥帰る」のお題が……もう、これこそ真骨頂って感じで(笑)。これをやってしまうのがタマキングですよもう。それと、法務局に封印された真実の書を手に入れに行った時の話も(笑)。

 というわけで、いちいち笑えるツボはそこここに出てくるのにあまりにもさらっと読めてしまうので、逆に深く語るところまでは行き着けないタマキング本だが、「深煎り」だけど「深入り」でもあったのだな、と最終章で気づく。前作は文庫になったから保管に楽でつい印税に貢献しちゃったけど(笑)今作もせっかくだからいずれ文庫にしてほしいんだけどね。
 しかし、今の今まで読んでいなかったおかげで、あの福知山線事故車両にタマキングが乗車していたことも(本当に今さら)初めて知った。いろいろのことを考えると一言で片づけられないお話にはなってしまうけれども、少なくともタマキングが無事であったことは何よりであった。合掌。

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 アメリカ国防総省にある、科学技術の訓練を受けた隊員から構成された、機密活動を行う軍事集団「シグマフォース」のシリーズ第1作。かなり前に、先に2作目「ナチの亡霊」を読んでいたのだった。良く行くの書店で新作が出るたびに面出しされてたり、端境期でもシリーズ全体が新館の棚に並べられていたりするという……(笑)。
 そんなわけで、次に何を読もうか迷ったときに、存在をなんとなく思い出したのでせっかくだからと一応1作目に手を出してみた。

 ドイツの聖堂での虐殺、盗まれた「骨」の秘密、そこに見え隠れするある組織。シグマフォースの面々はヴァチカンからの要請によって、イタリア国防省警察とともに虐殺をの犯人との手段となったものの正体を探ることになる。
 今回の、科学技術面でのキーになるのは当然この「マギの聖骨」なわけだけれども、タイトルがタイトルだけに聖書の内容にヒントが隠れていることも。他にもヴァチカンの在り方とか、キリスト教のことをよく知っていたら、ある程度推理なんかもできるのかもしれない。とはいえ、全然わからなくても全く問題なく読めるけど。

 しかし、のっけからいきなりグレイの家族の問題の話が出てきて面食らったが、人格の背景描写と捉えていいのかな。それとキャットがまだグレイとモンクに対してよそよそしいというか、あんまり近づいてない感じがするんだけど、これが2作目にしてだいぶ変化することを思い出すと不思議な感じ。まだ上巻だからか? 下巻ではまた雰囲気が変わるのかな? 上下巻ものはたいていそうだけど、上巻はまだ起承転結の「起」止まりな感じ。
 なので、下巻の追い上げがさてどうなるかと思いつつ進んでみると、さすがにここからは諸々の展開が待っていた。謎解きも謎解きでいろいろあるのだけれども、もともと真意が不明なセイチャンはともかく、あの人やあの人が! といういくつかの転回が起こる。そういう動きがあって、やっとスピード感が出てきたかなと。

 に、しても、グレイがレイチェルに気を散らす描写やあるいはその逆が多いので(笑)、そんなにちょいちょい盛り込まなくても良かったのになぁ。せっかくのアクションの雰囲気をぶった切るように小さいのをちまちま入れるより、ここぞのタイミングで大きめに入れてくれるだけでいいのに、と思いつつ読んでいたものだった。っていうか、シグマの隊長としてのグレイの芯がまだちょっと定まってない? なんとなく迷いや頼りなげなところが多かったような。わざとかな。「ナチの亡霊」ではそんなに気にならなかったような気がするんだが。
 あとどうしても引っかかったのが、「皇帝閣下」という表現かなー。表の職位がアレだったから? それがヒントだったということなのかな? まあ、どうでもいいといえばいいんだけど(笑)

 「ナチの亡霊」はあんまり細かい突っ込みどころとか気にしてなかったんだけど、今回はこんな感じでけっこう気になった。また3作目を読んだら違っているかもしれないので、読んでみたい気はしている。モンクとキャットがどうなるか、2作目で気になったまま終わってたし(笑)

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 著者の出世作と言えるのであろう「テルマエ・ロマエ」も映画をTVで見たことがあるくらいで、さほど詳しくは知らなかったけど、メディアから洩れ聞こえる氏の人生の来し方には「何だか凄そうだ」と漠然と興味を持っていた。で、いざ読んだら思った以上に凄かった。

 エジプトに留学していたという話はどこかで見たような気がするのだが、そもそもポルトガルにも住んでらした時期があったのだな。ポルトガルの住宅環境もかなりハードだが(暖房がない冬なんて、暖房・防寒大国北海道在住経験がある氏には、想像以上に辛かったことと思われる……私も想像したくない)、イタリアのファミリー事情もハード。モーレツ! ってまさにこのことだなと(笑)。多少は個人差もあるであろうが、こういうところにもお国柄があるんだなぁ、と今さら認識したものであった。お姑さんからの振り回されっぷり、吐き出さないとやってられなかったんだろうな。人さまのことだからど――しても笑っちゃうんだけど、存在自体がハリケーンのようだよ、実際。
 で、それをそのまんま本にするのも凄いが(笑)それこそ氏のバイタリティの産物であろう。勘弁してくれ! と思いつつも真っ向から突進して蹴散らそうとする(が、跳ね返される)みたいな関係か? 笑いっぱなしの中で、旦那さんや息子さんとのやりとりにちょっと癒されます。自分にはとても真似はできないけど、読むだけでストレス解消を感じられるような気もする。

 あと、ポルトガルという国そのものについて無知だから全くイメージできてなかったんだけど。氏が「謙虚で温かくて人情深い人々」と評する土地を少し、(行くのは相当な勇気がいるのでまずは写真とかでもいいから)感じてみたくもなった。

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 その昔「死刑の基準 『永山裁判』が遺したもの」で考えさせられたので心して臨んだが、今作もその取材の綿密さたるや相当なものだった。
 発端は、ある検事のもとに届いた、検事自身が死刑を求刑した犯人その人、長谷川武からの便りである。恨み言を連ねたものかと思いきや、感謝の言葉さえ綴られたものであった。「お世話になったお礼を一言申し述べたくて」という長谷川の真意を測りかねたその担当検事、土本武司氏に対し、著者は「長谷川君がどんな人物で、どうして手紙を書いてきたのか」調べることを持ちかけたのである。

 手紙が出された経緯を追うことは、当時、彼と何らかの形で関わりがあった人々の言葉から長谷川武という人間を再構築することだった。「猫のように大人しく、とても感じのいい青年だった」長谷川。彼の生涯に関わった人々は、彼に幾許かの影響を与えるとともに、彼の犯した罪と裁かれた結果から影響を受けることになる。
 彼の職人としての腕を惜しむ自動車工場社長、一審の裁判官、控訴以降の彼の弁護を請け負った弁護士、拘置所の職員、そして長谷川自身の母親、さらには長谷川自身とは面識のない彼の実の弟。実に多くの人々がいて、長谷川に対するそれぞれの思いがある。時には、それ以降のその人の考え方や生き方にも影響を及ぼす。罪と罰は、決して罪を犯した者だけのものにはならないのだと感じた。

 勿論、被害者側の苦しみは筆舌に尽くしがたいはずである。しかしこの本は、「そして、私たち」にあるように敢えて被害者側の人々の心理に踏み込む取材はされていない。被害者感情を無視することは到底あってはならないことだが、それでも死刑は「国家による報復」であってはならないということも肝に銘じておかねばならない。土本氏が立ち会った死刑執行(長谷川の刑ではない)の描写を見れば、絞首という執行方法が果たして国家の下す刑罰としてふさわしいものなのか、思いを致さずにはおれない。死刑は、国家の名の下に、人に人を「殺させる」行為でもあるのだ。

 「死刑というのは、(中略)単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。それほど死刑というものは重いものであるはず」
 「犯人がどんな残虐な行為をしたとしても、国家は決して同じことをしてはならず、残虐ではない人道的な方法で罰を与えねばならない」


 これらは土本氏の言葉である。土本氏は元来、死刑廃止論者ではないそうだが、それでもこのように考えている。私自身、現状では死刑という刑自体を個人的には否定しようとは思っていない。ただ、こうした土本氏の考え方には納得できる。反面、死刑になりたいからという理由で残虐な事件を起こしたような犯人に対し、死刑をもって報いるのが本当に正しいことなのかどうか、という疑問も当然生じるわけである。
 かように、刑罰の問題とは、画一的な答えの出せない問題である。筆者は言う。

 「死刑制度を支えているのは、(中略)その責は、法治国家に生き、その恩恵を享受している私たち市民ひとりひとりにあります。私たちは忌み嫌われる仕事を一部の人に押し付けて、決して愉快ではない議論から目をそらしています」
 「人を裁くということは本来、『罪と罰』のあり様を考えることでもあります。実際に絞首刑は残虐なのか、残虐でない死刑はありうるのか、死刑によって何が解決されているのか、真剣に議論する必要があります」


 完全ならぬ人が人を裁くことの重大さに今作でもまた向き合わされたし、死刑存置・廃止だけでなく、死刑であれ懲役刑であれ、刑そのもののあり方についても考えねばならないのだと思う。

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 前作「魔術師[イリュージョニスト]」を読んでから実に2年経ってしまった。
 リハビリに取り組み出したちょっと前向きなライムの前に現れた新たな事件は、ライムの苦手な「子供」を連れてきた。やりにくそうにしているライムがなかなか新鮮である。かと思えば、捜査の過程でセリットーは思わぬトラウマを抱えることに。

 およそ人間らしい感覚を持たない周到な犯人は、今回も難敵。この犯人自体は読者にはわかっている状況で話が進んでいくが、その動機がわからない。わからないまま、犯人は少女を狙って新たな刺客を放ってくる。黒人の公民権運動、ハーレムに暮らす人々の様子など、ストーリーに重要な意味を持つアメリカならではの文化的な部分も勉強になる。
 ストーリーがそういう、現在の事件と140年前の謎を関連がわからないままに行ったり来たりするので、いつものライムシリーズに比べると展開のスピードは落ち着いて感じる。今までのシリーズ作品とまた違った味わい。上巻は肩慣らしって感じで(笑)、下巻に入って捜査チームに犯人が見えてきてからが本番。とはいえ、意外にあっさりと逮捕となった印象なので、まだまだ転回が待っている……という状況。

 要するに実行犯の後ろに何かがあり、それによってすべてが展開されてきたわけだが、その動機に基づく現在と過去の事件の結びつきの種明かしが最後にして最大の見せ場になった。ストーリー的にはボイドの戦術の緻密さも面白かったが、今回はやはりジェニーヴァの事件が解決してからがディーヴァーならではの大転回本番かと。何よりも、そんなに話が大きくなっちゃうんだ! という点に驚いてしまった(笑)。ラキーシャの話だけがちょっと尻切れトンボだった感じかな?

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