始まりましたね。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』
井伊=彦根。と思ってましたし、
ですから 井伊家のお膝元 遠江は、とおとおみ。なんて、
恥ずかしながら、読めなかったですし、
井伊といえば、井伊直政や井伊直弼しか知らなくて
女性でありながら城主となった 直虎って方は、ほんと お初なのです。
おんな城主。女性のお殿さま。
筑後にも、いらした。そうなのです。
その名は、立花誾千代(たちばな ぎんちよ 1569 ~ 1602)
なんと、7歳にして城主となっています。
直虎は29歳頃ですので、誾千代のほうが、幼くして家督相続されたのですね。
永禄12年8月13日(1569年9月23日)豊後国(現・大分県)で誕生、慶長7年10月17日(1602年11月30日)没。享年34歳。
直虎さんの出生は定かではないらしいですが、誾千代は、きちんとわかっているのですね。
34歳で、亡くなってるんだ・・。
あの、戦国の世
死ぬか生きるか、殺すか殺されるか、
武家社会 すさまじかった。でしょうね。
父親は37戦37勝した大友家の猛将、立花道雪である。道雪が57歳にして初めて授かった子だったため、彼は誾千代を溺愛し後継ぎとして育てた。
結果誾千代は武芸に秀でた姫となったが、全く話を聞かない姫にも育ってしまった。
ん?
わがままなお姫さまだったの?
「誾」とは「和らぎ慎む」という意味なんだそうですよ。
しばらくして道雪は同じ大友家の名将、高橋紹運に頼み込んで紹運の息子の宗茂を娘婿にもらう。
しかしこの夫婦の仲の悪いこと悪いこと。夫も後に日本屈指の名将となるのだが、夫婦というよりライバルという方があっている間柄だった。
そして、宗茂が豊臣秀吉の配下として九州平定に貢献し、13万2千石の大名として立花山の西方、柳川の城主となったあたりで夫婦の亀裂は決定的なものになる。
柳川の舟下りすると、
御花、または近くの沖の端が終点となります。
御花は、立花家の屋敷です。
江戸時代に藩主立花家の別邸だった「御花(おはな)」に、主に明治期に設けられた屋敷建物及び庭園があります。
誾千代は父の墓のある立花山から離れることを断固拒否、夫婦は別居するようになった。しかも宗茂が浮気をしている事を知った誾千代は激怒して本格的防御拠点・宮永館なる場所に居を移した。それから宮永館は「宮永殿」と呼ばれるようになる。
立花山(たちばなやま)は、福岡市東区、糟屋郡新宮町および久山町にまたがる標高367.1mの山。
関ヶ原の戦いの際は夫の柳川城が徳川方に攻められても一切援軍をよこさなかった。(そのかわり地元の農民に命じて徳川方・鍋島軍の船を使えないようにしている。)
説明文は、ニコニコ大百科より。
誾千代さんを大河の主役に。は、少し 偏りすぎているかしら。。。
歴史の分岐点。
当事者の身になれば、頭痛も胃痛も それはそれは格段のものだったことでしょう。
たくさんの人々の確執と覚悟の上に
今の、日本人は、生きている。のですね。
大河ドラマ 戦国時代が続きます。
今度こそ ちゃんと 官兵衛さん 出てきますように。
(前回の「真田丸」には 官兵衛さん登場しなかったので、怒っているのだ。私。)
※お花の画像は「虎の尾」です。直虎にかけまして。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』
井伊=彦根。と思ってましたし、
ですから 井伊家のお膝元 遠江は、とおとおみ。なんて、
恥ずかしながら、読めなかったですし、
井伊といえば、井伊直政や井伊直弼しか知らなくて
女性でありながら城主となった 直虎って方は、ほんと お初なのです。
おんな城主。女性のお殿さま。
筑後にも、いらした。そうなのです。
その名は、立花誾千代(たちばな ぎんちよ 1569 ~ 1602)
なんと、7歳にして城主となっています。
直虎は29歳頃ですので、誾千代のほうが、幼くして家督相続されたのですね。
永禄12年8月13日(1569年9月23日)豊後国(現・大分県)で誕生、慶長7年10月17日(1602年11月30日)没。享年34歳。
直虎さんの出生は定かではないらしいですが、誾千代は、きちんとわかっているのですね。
34歳で、亡くなってるんだ・・。
あの、戦国の世
死ぬか生きるか、殺すか殺されるか、
武家社会 すさまじかった。でしょうね。
父親は37戦37勝した大友家の猛将、立花道雪である。道雪が57歳にして初めて授かった子だったため、彼は誾千代を溺愛し後継ぎとして育てた。
結果誾千代は武芸に秀でた姫となったが、全く話を聞かない姫にも育ってしまった。
ん?
わがままなお姫さまだったの?
「誾」とは「和らぎ慎む」という意味なんだそうですよ。
しばらくして道雪は同じ大友家の名将、高橋紹運に頼み込んで紹運の息子の宗茂を娘婿にもらう。
しかしこの夫婦の仲の悪いこと悪いこと。夫も後に日本屈指の名将となるのだが、夫婦というよりライバルという方があっている間柄だった。
そして、宗茂が豊臣秀吉の配下として九州平定に貢献し、13万2千石の大名として立花山の西方、柳川の城主となったあたりで夫婦の亀裂は決定的なものになる。
柳川の舟下りすると、
御花、または近くの沖の端が終点となります。
御花は、立花家の屋敷です。
江戸時代に藩主立花家の別邸だった「御花(おはな)」に、主に明治期に設けられた屋敷建物及び庭園があります。
誾千代は父の墓のある立花山から離れることを断固拒否、夫婦は別居するようになった。しかも宗茂が浮気をしている事を知った誾千代は激怒して本格的防御拠点・宮永館なる場所に居を移した。それから宮永館は「宮永殿」と呼ばれるようになる。
立花山(たちばなやま)は、福岡市東区、糟屋郡新宮町および久山町にまたがる標高367.1mの山。
関ヶ原の戦いの際は夫の柳川城が徳川方に攻められても一切援軍をよこさなかった。(そのかわり地元の農民に命じて徳川方・鍋島軍の船を使えないようにしている。)
説明文は、ニコニコ大百科より。
誾千代さんを大河の主役に。は、少し 偏りすぎているかしら。。。
歴史の分岐点。
当事者の身になれば、頭痛も胃痛も それはそれは格段のものだったことでしょう。
たくさんの人々の確執と覚悟の上に
今の、日本人は、生きている。のですね。
大河ドラマ 戦国時代が続きます。
今度こそ ちゃんと 官兵衛さん 出てきますように。
(前回の「真田丸」には 官兵衛さん登場しなかったので、怒っているのだ。私。)
※お花の画像は「虎の尾」です。直虎にかけまして。
・・・
知りませんでした
浜名湖のあたりですね
田舎親爺 うなぎに餃子はよく知ってますが・・・
近江は都に近いところ、遠江は都から遠いところ
琵琶湖 浜名湖をさしていたのですね
勉強になりました
ありがとうございます
おはようございます。
座布団1枚!
ユーモアがいつも感じられて素敵ですね!
そんな感性が大好きです。
『おんな城主 直虎』の1回目は見たのですが、二回目見たいという気がおこらず、見ていません。録画はしてありますが・・・。どうしようか迷います。二回目見ると最後まで見てしまいそうで。
素敵なお花と見とれていました。「虎の尾」という名なのですね。
娘は 「真田丸」が終わっても、まだ興奮冷めやらずです。
戦国時代の本を次々と読んでおります。
はなこころさんとお話できたなら、娘 すごーく喜ぶだろうと思っていまs。
官兵衛さんも NHKブック揃えておりますし。(^_^)/
さんは名将・勇将で有名で関ヶ原で改易なった大名
で大名に復帰稀なのに唯一地元にカムバック果たし
た大名何で大名→浪人→大名と波乱に富んでるの
で大河にしても面白いにのでは?
官兵衛さんも盟友、徳川に降伏するように説得もし
たので登場きっとあるはずです(笑)
最後にネタ晴らしがありましたね^^;
無ければ「虎の尾」のことを書こうと思ったんですけれどね^^。
確か柴咲コウが出られますよね。
見ていないですが面白そうだなとは思っていました。
女性のお殿様も昔はいらしたのですね。
戦国時代はすごい時代だったのでしょうね。
「虎の尾」というお花は初めて知りました。
さすがに楚々としたお花ですね。
綺麗ですね~~
歴史もなかなか興味深いですね。
今度のは久しぶりに見てみようと思っています!
龍馬伝以来です
遠江は、とおとおみ
もちろん私も読めませんでした
したっけ。
頑張ってほしいなぁ。
虎の尾の写真がとっても素敵