10年来の愛読書 アラン『幸福論』を再読中。
アランは、最も幸福な人間として、“警視総監”を挙げている。
それは、そのまま“教師”にも読み替えが可能。
今年を振り返ると、色々あった。
色々あるから、色々あるけど、教職は幸福な仕事だと思う。
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行動する人
私の好みでいえば、警視総監はもっとも幸福な人間である。なぜか。彼はたえず行動しているからだ。しかもたえず、新しい、予見できない条件のなかで行動しているからだ。やれ火事だ、水害だ、地すべりだ、圧死だ。泥のこともあれば埃のこともあり、病気のこともあれば貧乏のこともある。さらにはまた、喧嘩の仲裁をしなければならないこともある。こういうぐあいに、この幸福な人間は、ひっきりなしに、決然とした行動を要求する猶予のない問題に直面している。
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保護者から、こんな質問。
「クラスで“いじめ”はありますか?」
正直、返答に困ってしまう(と答えた)。“いじめ”の定義次第だからだ。
マスコミで騒がれて(煽られて)いるような“いじめ”は、存在しない(だろう)。
しかし、“いじめ的”なことは、日々存在する。
(アンケート結果によると、学年4クラスの中で“いじめられていると思う”と
答えた児童は、私のクラスが最も少ない。しかし、そういう問題ではない。)
“いじめられている”と思う人がいる限り、いじめは存在する。
いじめは“グラデーション”だと思う。
白と黒の間に、無数の灰色が存在する。問題は白に近いか、黒に近いか。
従って、「いじめはありますか?(白か黒か)」という問いが少し違う。
このような前置きをした上で、
「いじめ的なことはあります」と答えるのが真摯な対応だと思う(実際そうした)。
そして、少しでも「白」に近づけていく努力をしたいと伝える。
2学期最後の授業は「いじめ」を取り扱う。
いじめの「グラデーション構造」を理解して欲しいと考えて。
事前に子どもから「いじめだと思うこと」を書いてもらい、私が10項目選ぶ。
その10項目について、各個人が「いじめ度合い」を10段階で評価する。
今度はグループでコンセンサス実習(多数決なしで納得)をする。
そして、考え方のズレを明確化していく。
子どもからの感想。
「話し合っていやなことをいいあって、すっきりしました。でもほんとうにいじめは、いけないと私は思いました。今、いじめでじさつする人がいるけど、にげ道はそこじゃないと思います。」
いじめのない、いや、限りなくいじめの少ない社会を望みます。
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2学期最後の学級通信の裏に、上記の実践結果を載せました。
写真を拡大すると数値も見れます。コメント覧にも貼り付けます。
「いじめの根絶・激減」は、家庭の協力が必要だと思います。
ご家庭でも、長い冬休みを利用して、話し合って頂けたら幸いです。
約2ヶ月、入院している子がいる。
1ヶ月は意識がなく、もがき苦しむか、寝ているかの、どちらか。
生死の淵も、さまよった。
2学期最終日、私は「あゆみ」を渡しに病院へ。
2週間前にお見舞いをした時より、ずいぶん良くなっている。
車いすに座って、ご飯を食べさせてもらっている!ほんの少し、声も出る!!
見舞い者と患者・家族を隔てる黄色い線を挟んで、私はあゆみを渡す。
どの子にもするように、私はその子の頑張りや良いところを語りかける。
(私はあゆみを教室でなく、廊下で渡すようにしている。
1対1でじっくり、話したいからだ。)
すると、2学期の彼女の頑張りを話しながら、思わず涙してしまう。
「こんなに強い○○さんだから、大丈夫。
こんなに早い回復も流石としか言いようがないよ!流石だね。」
これまでの見舞いでは、本人の前では絶対泣かないと心していた。
しかし、今回は泣いた。やっと泣ける状態になったのだ。
病室を離れ、真っ暗な駐輪場で一人、そのことに気付いて、思いっきり泣いた。
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今日は、朝から闘う決意をしていた。
昨日の放課後、クラスのやんちゃ娘が「いじめにあっている」と訴えて来たからだ。
(数日前に、その件で保護者とも面談をしている。)
中休み、二人で充分作戦会議(ストーリーの検討)をし、昼休みに、いざ勝負。
“いじめた側”は二人組。
一人は、感情的な子。もう一人は、クールな“賢い”子。(クラスの裏のボス?)
“賢い子”は自分の手を汚さない。“感情的な子”に話をさせる。
しかも、薄ら笑いまで浮かべて。
私は、その表情を見逃さず、すかさず強く注意する。その場は収まる。
しかし少しすると、また、薄ら笑いを浮かべる。
その表情を確認した瞬間、私は烈火のごとく怒る。
「真剣に話しているのに、笑うとはどういうことだ。理由を言ってみろ!」
私は、怒りで自分の唇が震えていることに気付く。
遅れて、彼女の目に涙が浮かんでいることにも気付く。
結局3人は、互いに謝り、“仲直り”をした(二人で考えたストーリー通り)。
しかし、闘いは始まったばかり。今後が勝負。注意して見守りたい。
ひとまず、“いじめられている子”が、
そのままの気持ちで、年末年始を迎えなくて良かったとは心から思う。
教師になって、初めて心の底から怒った。
少し誇らしく思う一方で、とても切なく感じる。
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“正しいかどうかは、分からない。しかし、無為が最大の罪だと信じたい”
2学期最後の体育は、跳び箱。
クラスで1人、跳べない子がいる。
そこで、向山式跳び箱指導法を試みる。
すると、ものの10分で本当に跳べるようになる。
授業の最後、大げさに言う。
「今日、生まれて初めて跳び箱が跳べた人がいます。やってもらいましょう!!」
みんなの前でも、見事6段を成功。拍手が起こる。
体育館の外にいた、次のクラスの子供からも、自然に拍手が舞い上がる。
跳び箱が、跳べるようになる。
本人にとって、小さなことではない。 友だちや、教師にとっても。
思いが強いのは当たり前。
“技術”を身につけたいし、生み出したいと思う。
“ 人生は短く、技術は長い ” ヒポクラテス
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