ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

小さな暮らしのなかで

2017年03月22日 | 日記

 独り暮らしになって、しなくなったことのひとつが、家でお茶を飲むこと。
 正しくは少なくなったということだが、お茶に限らずコーヒ、紅茶など淹れて飲むことがめっきりと減った。

 外食が多い昼食は別にして、夕食時にはビールや日本酒を飲むことに加えて、米飯を殆ど食べないので別になくとも差し支えないこともある。

 以前、文明国の中で、水だけで食事をするのはアメリカ人だけ、と聞いたことがある。
 勿論、ジョークだろうけれど、いわばそれに似た非文明的?な暮らしをしている。

 二人の頃は、彼女 が淹れてくれる日本茶やコーヒ、たまに薄茶を点てて貰ったりもして、ゆったりとした時間を楽しんだものだったけれど・・・。

 そんな小さな日々にも季節は春を、茅屋のベランダの彼女の遺した幾つかの鉢にも届けてくれた。
 椿が多かったけれど、その殆どは逝った冬に枯らしてしまったが、残った数少ない 「春蘭」が可愛い花弁を覗かせた。

 花と言えば、連休も明けた雨の日(3/21)の東京、観測木の蕾が開いたとTVが賑やかだ。

  世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし (在原業平/古今集)

 妻子を捨てて出家、諸国行脚の<無責任男>の “ その如月(陰暦二月)の望月の頃 ” じゃないが、花の下でお茶ならぬお酒で、浮世の憂きこともひととき忘れ、長閑(のどか)に花を愛でることとしますか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1281

コメント
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