ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

春、うらら

2017年03月06日 | 本/図書館/言葉

 昨日(3/5)は、二十四節気のひとつ啓蟄(けいちつ)、暦本には “ 陽気地中に動き、縮まる虫、穴を開き出ればなり ” とあるとか。

 桃の節句(3/3)、啓蟄が過ぎて、東大寺・二月堂の修二会のお松明のクライマックス(3/14)ともなればもう春分(3/20)、春うららだ。

 そんな兆しを感じさせたその日、日差しに誘われて主日(日曜)ミサに与かった。
 復活祭(4/16)に受洗される方の洗礼志願式も行われてい、20年ほども前、カタリナ とペトロ が初々しくも?受洗した頃のことを思い出し乍ら遠くから式を拝見した。

 少し早めに教会を辞した後、持参のジェフリー・アーチャーの 「クリフトン年代記 第6部」を開き乍らランチ、そこで、面白い言葉を拾った。

 それは主人公が、母親の追悼式で、かつて母が語ってくれた話を紹介する場面。
 母は “ 是非とも天国に行きたいものだわね。だってペテロとパウロと主に言ってやらなくちゃ ” と言う。

 訝しむ息子に母は、“ 聖ペテロには、主の傍にいた女性の誰一人として彼を拒絶しなかった。まして<三度も拒絶>するなんてあり得ないと指摘してやるのよ、まったく凡庸な男なんだから ” と。

 そして、“ 聖パウロには、メッセージを受け取るまでに何故あんなに<長くかかった>のを訊かなくちゃならないわ ” と続け、“ 主にはこう頼むの、あなたが神の息子なら全能の父親に伝えて貰えないかしら、宗教が一つだけなら世界は遥かにいいところになる筈ですって ” (新潮社刊/戸田裕之訳)と。

 カトリックにとって大切な四旬節第一主日だったこの日、さすがシェイクスピアの国、洒脱な言葉に箸を止めてにやつく爺さんに、近くにいた方からは 「春も近いからねえ・・・」と、思われたかも?

 それはとも角、今日(3/6)は<カタリナデー>、彼女が好きだった 「菫(すみれ)」は無理だから、春の花を持ってデートと洒落ようかな。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1273

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