クールな生活

日々の雑感と意見

のぞみ刺殺は新幹線対策の怠惰

2018-06-11 09:04:43 | 時事問題 社会
38才の会社員はまったくの死に損である。武器もなく無防備で女性を助けに凶悪犯に立ち向かったのは勇敢であったが、自分をも無にしてしまって、全く残念至極である。無私の気持ちで女性を守ろうとしたのは、国民栄誉賞ものの行為である。新幹線会社はもちろん、国としても何らかの礼をしなければならない。新幹線における乗客による事故では、3年前に同じ新横浜―小田原間で焼身自殺事故があった。その際、新幹線乗車時の手荷物検査が話題になったはずである。それから2年11ヶ月、何もなかったかのように、新幹線の会社のJR東海も国も何もしていない。いつでも何かが起こりうる状態なのである。秋葉原の誰でもよかった凶悪殺人からちょうど10年、同様の事件は起きていないが、これもいつでも起こりうる状態である。

いつでも起こりうる、というのは、この間、再発防止のために何らの対策がとられていないということである。何もしないといったが、3年前の事故の後、新幹線では車内に防犯カメラを設置したが、それが防犯になっているのかは、実際どうなのであろうか。今回、防犯カメラは作動していたのであろうか。作動していたとして、リアルタイムで見ていたという人はいたというのであろうか?今回、防犯にはなっていなかったということは言える。

上記の3件はいずれもテロであるという認識を持つ必要がある。いつでもテロが起こりうるのである。その対策をきっちり取らなくてはならなくなっているのである。それをしないのは、当事者の怠慢といっていよい。当事者とは、JR各社であり、国である。新幹線の場合、最低、手荷物検査にはもって行く必要がある。そのために時間がかかっても、金がかかってもよいという認識、すなわち安全にはコストがかかるという頭に国民がなることである。コストには便利さを犠牲にすることもありうるということである。安全が絶対であるという考えである。まず安全があって、安全のために不便さを会感じたら、その不便さの中で便利性を改善していくものであるという観念である。

テロはISばかりでない。ふつうの顔をした人の中にもテロがあるとして、単発性のものでも対応して行かなくてはならないという時代である。手荷物検査に時間がかかるというのでなく、今は時間がかかっても、時間をかけずにできるようにしていく技術を日本が有するようにしなければならない時代である。
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