1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月16日・アムンセンの甘露

2016-07-16 | 歴史と人生
7月16日は、作詞家の松本隆が生まれた日(1949年)だが、探検家のアムンセンの誕生日でもある。南極点に人類ではじめて立った人である。昔は、英語発音風に「アムンゼン」と表記されていた。

ロアール・アムンセンは、1872年、ノルウェーのボルゲで生まれた。船主、船乗りの海運業一家の四男として生まれた。母親はロアールに海の仕事でなく、医者になってほしいと願っていて、ロアールは母親の希望をいれて、医学の道を進んだ。しかし、彼が21歳のとき、母親が没すると、彼は本来の希望であった探検家の道に進むべく、大学を中退して船乗りになった。
南極探検船に乗りこみ、氷に閉じ込められて南極で越冬するなどの経験を積んだ後、アムンセンは34歳のとき、大西洋からアメリカ大陸の北をまわって太平洋に達する北西航路の横断に、人類ではじめて成功した。
北西航路の横断は、それまで多くの先人が試みて、いまだ成功していなかった快挙だった。北西航路に挑んだ英国海軍の艦隊が全滅した悲劇さえあった。
アムンセンにしても、北西航路に挑んだものの、氷にはばまれ、3度も北極圏で越冬して、3年越しでようやく太平洋側へ出たのだった。2度目の越冬の際には、アムンセンは氷の上を800キロメートル歩いて電報を打ちにいき、また同じ距離を歩いて氷に閉じ込められた船までもどったという。
アムンセンは北極点到達を目論でいたが、彼が36歳のとき、探検家のロバート・ピアリーが北極点到達を成し遂げた。これを聞き、アムンセンは自分の目標を南極点に変更した。
38歳でノルウェーを出航したアムンセンは、1911年12月、39歳のときに人類初の南極点到達を達成した。そして、年が開けた翌年の1912年1月には、一人の犠牲者も出すことなく帰還した。
55歳のころ、新聞社の招きデアムンセンは来日している。
そして、1928年6月、北極で遭難したイタリアの飛行船を捜索するため、アムンセンはフランス製の飛行艇で飛び立ち、そのまま行方不明となった。55歳だった。
捜索がおこなわれ、飛行艇の一部が海で発見されたが、機体やアムンセンらの遺体はいまだに発見されていない。

科学の進んだ現代に生きているわれわれは、南極点到達の方法に関して、アムンセンよりもずっと優位な状況にある。日本人の高齢者たちが嬉々として南極ツアーに参加する昨今である。しかし、現代人はけっしてアムンセンを追い抜くことはできない。それが人類初の快挙という事業の、時間軸上における偉大さである。
まだ誰もやったことがないことに挑む快感。それは、人間のなかのある種族とっては、命を差しだしても手に入れたい、至上の甘露なのにちがいない。
(2016年7月16日)


●おすすめの電子書籍!

『大人のための世界偉人物語』(金原義明)
世界の偉人たちの人生を描く伝記読み物。エジソン、野口英世、ヘレン・ケラー、キュリー夫人、リンカーン、オードリー・ヘップバーン、ジョン・レノンなど30人の生きざまを紹介。意外な真実、役立つ知恵が満載。人生に迷ったときの道しるべとして、人生の友人として。

●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 7月15日・ベンヤミンの現代性 | トップ | 7月17日・丹波哲郎の大物 »

コメントを投稿

歴史と人生」カテゴリの最新記事