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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月23日・キース・ムーンの波紋

2017-08-23 | 音楽
8月23日は、詩人、三好達治が生まれた日(1900年)だが、ロックバンド「ザ・フー(The Who)」のドラマー、キース・ムーン(1946年)の誕生日でもある。

キース・ジョン・ムーンは、1946年、ロンドンのミドルセックスで生まれた。小さいころのキースはいつも動きまわって落ち着きがなく、とりとめなく空想にふける子どもだった。キースは12歳のとき、地元のバンドに加入し、最初ラッパを、やがてドラムを叩くようになり、学校帰りにドラムのレッスンに通った。当時の彼は他人にいたずらをすることと、家庭用の科学実験セットで実験するのが大好きで、とくに爆発に異常な関心をもっていた。
15歳のころ、テクニカルカレッジに入り、通信技術を学んだ。
ムーンは、ドラミングを教わった師匠たちが大きな音をたてて叩くタイプのドラマーだったこともあって、大きな音で、早く叩くのを好んだ。
昼間は会社の営業部で働きながら、夜はセミプロ・バンドのドラマーとして演奏する生活を送っていたムーンは、18歳のとき「ザ・フー」のメンバーとなった。
ムーンの加入によって、フーは活力にあふれたロックバンドとなり、天才ギタリスト、ピート・タウンゼントとともに破壊的なステージを繰り広げ、スターダムにのしあがった。タウンゼントが腕を振りまわしてギターを弾き、最後にはエレキギターをステージに叩きつけて壊し、ムーンはドラムセット蹴り倒し、スピーカーを押し倒した。ムーンがドラムに爆薬をしかけてコンサート中に爆発させ、メンバーともども大けがをしたこともあった。
フーは「マイ・ジェネレーション」「ピンボールの魔術師」「ババ・オライリー」「バーゲン」「無法の世界(Won't Get Fooled Again)」「フー・アー・ユー」などの名曲を発表。ショットガンのようにかき鳴らされるピート・タウンゼントのギターと、はげしく炸裂するキース・ムーンのドラム・ビートによって大成功した。
32歳の当時、ムーンは英国ロンドンに住んでいたが、アルコールとドラッグのために、長くドラムスティックをにぎっていられないほど、からだがボロボロの状態だった。依存症から立ち直るため、アルコールを絶っていたムーンは、医師から禁断症状をわやらげる薬を処方された。この鎮静剤は、アルコールといっしょに服用すると生命に危険だった。
1978年9月、ムーンは恋人といさかいを起こし、怒鳴った。
「いやなら出ていけ、くそったれ。(If you don't like it, you can fuck off!)」
彼女が出ていくと、彼は鎮静剤を32錠、口に放りこんだ。翌日の午後、恋人が様子を見にいくと、ムーンはすでに死んでいた。享年32歳だった。

亡くなる前年の1977年、31歳のキース・ムーンは米国カリフォルニア州、ロサンゼルスの西方、マリブに近いトランカスビーチに住んでいた。金持ちの大きな家が数軒あるだけの見晴らしのいい土地で、ムーンの家のとなりはたまたま映画俳優のスティーヴ・マックイーンの屋敷だった。マックイーンは燐家の乱痴気騒ぎ絵に怒ってムーンの家にショットガンをぶっ放したり、酔って海岸で溺れかけていたムーンを助けたこともあったらしい。

ムーンは、ロック・ミュージシャンでなかったら、ただの奇行好きの犯罪者だったかもしれない。彼のように才能があって、かつ常軌を逸した人物といっしょにいたまわりの人は、さぞや大変だったろうけれど、彼といっしょに人生の時を過ごせたのは幸福である。
(2017年8月23日)



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