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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月8日・ホーキングの運命観

2019-01-08 | 科学
1月8日は、デヴィッド・ボウイが生まれた日(1947年)だが、物理学者のホーキング博士の誕生日でもある。

スティーヴン・ウィリアム・ホーキングは、1942年、英国イングランドのオックスフォードで生まれた。父親は医学研究者で、母親は医学研究所で秘書として働いていた。戦争中でロンドン爆撃を避け、母親はオクスフォードへ避難し、そこでスティーヴンを産んだ。彼には妹が2人いる。
スティーヴンは頭脳優秀で、17歳の若さで奨学金を得てオックスフォード大学に入学した。大学では、講義内容がかんたんすぎ、しらけていたが、やがて気を取り直して、ボート部に入り、舵とり役のコックスを務めた。
オクスフォード大を卒業し、ケンブリッジ大学大学院に進んだホーキングは、そこで応用数学と理論物理を研究した。が、21歳のとき、筋萎縮性側索硬化症と診断された。これは筋肉がしだいる麻痺して死にいたる病で、彼は医師にあと2、3年の命だと宣告された。
絶望の底に突き落とされたホーキングだったが、やがて生きる意志に目覚め、23歳のときに結婚。25歳のときには長男が生まれた。
32歳のとき「ブラックホールの蒸発理論」を発表。ビッグバンによる宇宙のはじまりについて科学的説明をし、宇宙理論の世界的権威となった。
筋萎縮性側索硬化症は、ほとんどの患者が5年以内に死亡する難病だったが、ホーキングの場合は病状の進行が弱まり、彼の寿命は続いた。とはいえ、病状はしだいに進んで、歩行が困難となって車椅子生活となり、通常の発声も困難になってコンピュータの合成音声で話すようになったが、世界的理論物理学者として、精力的に研究や発言を続け、59歳のときには来日し、東京大学で講演をおこなった。
そして2018年3月、ケンブリッジの自宅で没した。76歳だった。医者の宣告より半世紀ほど長く生きたことになる。

テレビではじめて見たときには、すでに彼は口を動かさず、車椅子のなかにぶかぶかのスーツを着てしおれて収まり、電子音声でインタビューに応えていた。日本の古株の科学者には肉声時代のホーキング博士と議論した人もいる。

ホーキング博士は、貧弱なからだと対照的に、言うのに度胸のいる鋭い発言をぽんぽん吐く大胆不敵さで、強烈な印象がある。宇宙の創造について、博士は「神」なしでちゃんと説明できるとして、宗教界から批判された。
宇宙人との接触については、ヨーロッパ人によってネイティブ・アメリカンが南北アメリカ大陸で大量虐殺された歴史を参照して、接触しないほうがいいと言った。
人類の未来について、文明は高度に進むほど加速度的に自滅に向かう、とシニカルな意見を述べた。たぶん、博士から見ると、人類はサルのように見えるのかもしれない。

ホーキング博士は「運命論」について、科学の見地から言っている。
「全てのことは予めどうなるかが定められているのだろうか。答えは、イエスです。しかしノーといった方がよいのかも知れません。なぜならば、どのように決められているのかを知ることはできないのですから。(Is everything determined? The answer is , Yes, it is. But it might as well not be, we can never know what is determined. That is all.)」(S・W・ホーキング著、佐藤勝彦監訳『時間順序保護仮説』NTT出版)
このクールさがたまらない。
(2019年1月8日)



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