2月28日は、世界最初のエッセイスト、モンテーニュが生まれた日(1533年)だが、ザ・ローリング・ストーンズのリーダーだったブライアン・ジョーンズの誕生日でもある。
ルイス・ブライアン・ホプキンス・ジョーンズは、1942年、英国イングランドのグロスターシャー州で生まれた。父親はウェールズ人の航空技師で、ピアノやオルガンを弾き、教会の聖歌隊のリーダーで、母親はピアノ教師という音楽一家だった。
ブライアンは4歳のとき、喉頭炎にかかり、その後の生涯ずっと喘息をひきずった。十代のころ、両親に買ってもらったサキソフォンとアコースティックギターを弾き、学校でクラリネットを吹いた。
ブライアンは知能指数が135あったが、まったく勉強に興味を示さず、学校や権威に対して反抗的で、ほとんどの教科のテストで0点をとった。それでも物理、化学、生物など理科系は成績優秀だった。
17歳のとき、14歳のガールフレンドを妊娠させ、フライアンは退学となり、ギターを片手に夏の北欧を放浪してまわった。路上でギターを弾いてはお金を稼ぎ、知り合った人にたかってその日その日をしのぐ旅だった。旅の後、ロンドンに出て、デパート店員をしながら音楽活動を続けていたブライアンは、20歳のとき、ジャズクラブでミック・ジャガー、キース・リチャーズに出会った。意気投合した3人はロンドン市内の安アパートで共同生活をはじめた。
彼ら3人に、ベースギターのビル・ワイマン、ドラムのチャーリー・ワッツが加わり、創成期のザ・ローリーング・ストーンズのメンバーがそろった。彼らはあちこちのクラブで演奏をし、1963年6月にレコードデビューを果たした。
5人組のストーンズは、すでに人気絶頂だったザ・ビートルズと対照的に、不揃いな、不良のイメージを押しだす戦略で人気を得た。
マネージャーの意向でミックとキースの作詩作曲コンビが作ったオリジナル曲を演奏するようになったストーンズのなかで、リーダーのブライアンはしだいに疎外感を募らせ、麻薬びたりになった。そしてついに音楽演奏が困難になり、自分が作ったバンドから追放された。
1969年7月、ブライアン・ジョーンズは、自宅のプールに沈んだ姿で発見された。27歳だった。ブライアンの死は、アルコールとドラッグによる溺死、事故死とされているが、他殺説も存在する。
ブライアン・ジョーンズのいたストーンズの曲はカラフルで独特の色気があった。マルチプレイヤーだった彼はシタール、ダルシマー、メロトロン、マリンバ、リコーダーなど多くの楽器を演奏した。初期のストーンズの名曲「黒くぬれ」や「アンダー・マイ・サム」はブライアンなしでは考えられない。彼なき後のストーンズは、ギターとドラムとヴォーカルのストレートな、男臭いロックバンドになった。
(2023年2月28日)
●おすすめの電子書籍!
『デヴィッド・ボウイの思想』(金原義明)
デヴィッド・ボウイについての音楽評論。至上のロックッスター、ボウイの数多ある名曲のなかからとくに注目すべき曲をとりあげ、そこからボウイの方法論、創作の秘密、彼の思想に迫る。また、ボウイがわたしたちに贈った遺言、ラストメッセージを明らかにする。ボウイを真剣に理解したい方のために。
『ロック人物論』(金原義明)
ロックスターたちの人生と音楽性に迫る人物評論集。ブライアン・ジョーンズ、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ジミー・ペイジ、デヴィッド・ボウイ、スティング、マドンナ、マイケル・ジャクソン、ビョークなど31人を取り上げ、分析。意外な事実、裏話、秘話、そしてロック・ミュージックの本質がいま解き明かされる。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
ルイス・ブライアン・ホプキンス・ジョーンズは、1942年、英国イングランドのグロスターシャー州で生まれた。父親はウェールズ人の航空技師で、ピアノやオルガンを弾き、教会の聖歌隊のリーダーで、母親はピアノ教師という音楽一家だった。
ブライアンは4歳のとき、喉頭炎にかかり、その後の生涯ずっと喘息をひきずった。十代のころ、両親に買ってもらったサキソフォンとアコースティックギターを弾き、学校でクラリネットを吹いた。
ブライアンは知能指数が135あったが、まったく勉強に興味を示さず、学校や権威に対して反抗的で、ほとんどの教科のテストで0点をとった。それでも物理、化学、生物など理科系は成績優秀だった。
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彼ら3人に、ベースギターのビル・ワイマン、ドラムのチャーリー・ワッツが加わり、創成期のザ・ローリーング・ストーンズのメンバーがそろった。彼らはあちこちのクラブで演奏をし、1963年6月にレコードデビューを果たした。
5人組のストーンズは、すでに人気絶頂だったザ・ビートルズと対照的に、不揃いな、不良のイメージを押しだす戦略で人気を得た。
マネージャーの意向でミックとキースの作詩作曲コンビが作ったオリジナル曲を演奏するようになったストーンズのなかで、リーダーのブライアンはしだいに疎外感を募らせ、麻薬びたりになった。そしてついに音楽演奏が困難になり、自分が作ったバンドから追放された。
1969年7月、ブライアン・ジョーンズは、自宅のプールに沈んだ姿で発見された。27歳だった。ブライアンの死は、アルコールとドラッグによる溺死、事故死とされているが、他殺説も存在する。
ブライアン・ジョーンズのいたストーンズの曲はカラフルで独特の色気があった。マルチプレイヤーだった彼はシタール、ダルシマー、メロトロン、マリンバ、リコーダーなど多くの楽器を演奏した。初期のストーンズの名曲「黒くぬれ」や「アンダー・マイ・サム」はブライアンなしでは考えられない。彼なき後のストーンズは、ギターとドラムとヴォーカルのストレートな、男臭いロックバンドになった。
(2023年2月28日)
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