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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月25日・中村紘子の挫折

2021-07-25 | 音楽
7月25日は、『眩暈』の作家カネッティが生まれた日(1905年)だが、ピアニスト中村紘子(なかむらひろこ)の誕生日でもある。
いまでこそ、日本にはいたるところでクラシックが盛んに演奏されているけれど、以前はそうではなかった。日本の一般庶民には、クラシックは縁遠い存在だった。そんな日本国民に西洋音楽を聴かせ、啓蒙し、根付かせた功労者が、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎といった人々であり、中村紘子だった。

中村紘子は、1944年に山梨で生まれた。出生時の本名は野村紘子で、父親は軍人だった。疎開先で生まれた彼女は、3歳のころからピアノを習いだし、10歳のときには、全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部で第1位となった。
中学2年生のとき東京で、来日していたウクライナ出身のピアニスト、エミール・ギレリスのリサイタルを聴き、衝撃を受けた。
「ピアノとはこういう音が出るものなのか。ピアノとはこう弾くものなのか」(中村紘子『チャイコフスキー・コンクール』中央公論社)
以来、彼女はギレリスに教えてもらう日を夢見てピアノレッスンにいっそう励みだし、15歳のとき、日本音楽コンクールで第1位を獲得した。
16歳でピアニストとしてデビューしていた彼女は、小澤征爾や諏訪内晶子を輩出した音楽の名門、桐朋学園に在籍していたが、18歳のとき同校を中退して、奨学金を獲得し、ニューヨークのジュリアード音楽院に留学した。
21歳のとき、ショパン国際ピアノコンクールで第4位に入賞。以後、国内外でリサイタルを開き、ショパン・コンクールや、チャイコフスキー・コンクールなどの審査員を務めながら、作家としても活躍を続けている。
30歳のとき、作家の庄司薫(本名、福田章二)と結婚し、本名が福田紘子となった。
45歳のとき、エッセイ集「チャイコフスキー・コンクール」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。64歳で紫綬褒章を受章した後、2016年7月、大腸がんにより没した。72歳だった。

中村紘子の足跡は、天才ピアニストの順風満帆の人生と見えるけれど、実情はそうばかりでもないらしい。彼女自身の回想によれば、18歳で渡米し、ジュリアード音楽院に入ったとき、彼女はボロボロになったという。幼少時から教わってきて、全国で1位になり、ソリストとしても活躍し「天才少女」の名をほしいままにしてきた自分の、これまでの演奏法をすべて忘れて、基礎からやり直そうと教師に言われたからだった。
「それこそもうショックで無気力になって、壁を見つめて一日ボーッという感じで、ピアノにも触れないという状態が半年ほど続きましたね。十八歳だったからよかったけれど、三十八歳だったらほんとうに久野久と同じ投身自殺だったでしょう。」(中村紘子『アルゼンチンまでもぐりたい』文藝春秋)
それから3年後、ショパン・コンクールに出たときも、中村紘子はいまだに精神的にも技術的にもショックから立ち直っていなかった。風邪と下痢で38度の高熱をおしてコンクールのピアノを弾いた。それで4位入賞、最年少者賞受賞になった。
やはり人は、逆境でこそ、真価を問われ、真価を発揮するもの。
(2021年7月25日)



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