3月31日は、「我思う、ゆえに我あり」と言ったデカルトが生まれた日(1596年)だが、映画監督、大島渚の誕生日でもある。
自分は、大島渚監督よりもまず、奥さんの女優、小山明子さんのファンだった。はじめてテレビで彼女をみたときから、
「なんときれいな、やさしそうな、品のある人だろう」
と、子ども心に、この美人女優にあこがれていたところ、しばらくして、彼女には夫がいると知れた。それが、大島渚という映画監督だというので、
「なんだ、監督が女優に手をつけてはいかんじゃないか。まるで駄菓子屋の店員が商品のお菓子をつまみ食いするようなものだ」
と憤慨したのだったが、自分が生まれたときには、すでに二人は結婚していたのだった。
大島渚は、1932年に、京都で生まれた。父親は役人で、水産試験場に勤務していたところから、「渚」と命名されたらしい。
京都大学法学部に入学し、学生時代は、劇団活動のかたわら、京都府学連の委員長として学生運動にも参加した。
22歳のとき、松竹大船撮影所に助監督として入社。
28歳の年には、「青春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」と、3本の作品を監督し、「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の監督して名を馳せた。
これら大島作品は、いずれも社会性が強い、反体制的な作風の映画だったが、とくに「日本の夜と霧」は安保闘争を真正面から扱った政治色の強い映画で、松竹は封切りから4日後に自主的に公開を中止。これに怒った大島渚は、松竹を退社。仲間とともに映画制作会社、創造社を設立し、独立プロダクションの船出となった。
以後、経営的な困難、官憲側との闘争などに苦しみながらも、刺激的な作品を発表しつづけた。
作品に「天草四郎時貞」「白昼の通り魔」「忍者武芸帳」「日本春歌考」「無理心中日本の夏」「絞死刑」「帰って来たヨッパライ」「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「御法度」などがある。
64歳のとき、「御法度」の制作発表した直後に脳出血で倒れた。治療、リハビリテーションを積んでなお不自由なからだを押して、「御法度」を完成させた後、2013年1月、肺炎により没。80歳だった。
世界を見渡しても、大島渚監督ほど個性の強い映画監督はすくない。
作品の一作一作が、体制側に対する闘争宣言であり、観客に突きつけた最後通牒であり、社会正義の訴えだったと思う。
パゾリーニやゴダールよれも、もっととんがった天才監督、そういう感じがする。
初期の作品の感性のとんがり具合もさることながら、年をとり、いっそう過激になったとんがり具合もすばらしい。
ポルノグラフィーを撮るのなら徹底的にやろうじゃないかと、露骨な性描写を敢行して、いまだに無修正完全版が日本でみられない「愛のコリーダ」や、ビートたけしや坂本龍一といった、後に映画界で世界的に活躍することになる才能を起用したホモセクシュアルの戦争映画「戦場のメリークリスマス」は、そのとんがった感性の記念碑的作品だと思う。
大島渚は、あこがれの女優をものにした憎い男ではあるが、やはり、日本の誇りである。
さて、大島監督が小山明子さんと結婚式を挙げたのは、「日本の夜と霧」の公開中止の直後のことだった。このとき、怒って松竹を飛びだした大島監督の伴侶ということで、自然と小山明子さんも松竹から干されてしまった。
もともと女優は望んだ職業ではなかったという小山さんは、ちょうどいいから、この際、エプロンをかけて待っているような奥さんになろう、とそう考えたらしい。彼女はこう言っている。
「女優をやめようかなと思ったけど、現実には彼は仕事がないし、家をつくっちゃったから、借金を返さなきゃいけない。これは私は働かなくっちゃと思って。それで仕事をまた始める」(大島渚『大島渚1968』青土社)
それ以後も、大島監督のところは、独立プロダクションだから、映画が興行的に失敗して莫大な借金を負ったりしているし、つぎの映画制作費を稼ぐために、奥さんも働き、監督もテレビに出、と、夫婦共稼ぎで苦労しつづけた。
そして、大島監督が倒れてからは、小山明子さんはその介護で大変な苦労をし、彼女自身もうつ病になったりした。それでも、彼女は最期まで大島監督を支えつづけた。夫もたいした監督だったが、奥さんも、まったく、たいした女性で、いい女だなあ、と思う。
それにしても、大島渚監督の人生は、闘いにつぐ闘いの人生だった。
その後を生きる自分たちは、彼の作品から、何かを受け継がなくてはならない、そう感じさせるだけの生きざまだったと思う。
ご冥福をお祈りします。
(2013年3月31日)
著書
『新入社員マナー常識』
メモ、電話、メールの書き方から、社内恋愛、退職の手順まで、新入社員の常識を、具体的な事例エピソードを交えて解説。
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句2』
「ガリヴァ旅行記」から「ダ・ヴィンチ・コード」まで、名著の名フレーズを原文で読む新ブックガイド。第二弾!
『12月生まれについて』
ゴダール、ディズニー、ハイネなど、12月誕生の31人の人物評論。ブログの元のオリジナル原稿収録。12月生まれの取扱説明書。
『コミュニティー 世界の共同生活体』
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を具体的に説明、紹介。
『ポエジー劇場 子犬のころ2』
カラー絵本。かつて子犬だったころ、彼は泣いているリスに出会って……。友情と冒険の物語。
自分は、大島渚監督よりもまず、奥さんの女優、小山明子さんのファンだった。はじめてテレビで彼女をみたときから、
「なんときれいな、やさしそうな、品のある人だろう」
と、子ども心に、この美人女優にあこがれていたところ、しばらくして、彼女には夫がいると知れた。それが、大島渚という映画監督だというので、
「なんだ、監督が女優に手をつけてはいかんじゃないか。まるで駄菓子屋の店員が商品のお菓子をつまみ食いするようなものだ」
と憤慨したのだったが、自分が生まれたときには、すでに二人は結婚していたのだった。
大島渚は、1932年に、京都で生まれた。父親は役人で、水産試験場に勤務していたところから、「渚」と命名されたらしい。
京都大学法学部に入学し、学生時代は、劇団活動のかたわら、京都府学連の委員長として学生運動にも参加した。
22歳のとき、松竹大船撮影所に助監督として入社。
28歳の年には、「青春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」と、3本の作品を監督し、「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の監督して名を馳せた。
これら大島作品は、いずれも社会性が強い、反体制的な作風の映画だったが、とくに「日本の夜と霧」は安保闘争を真正面から扱った政治色の強い映画で、松竹は封切りから4日後に自主的に公開を中止。これに怒った大島渚は、松竹を退社。仲間とともに映画制作会社、創造社を設立し、独立プロダクションの船出となった。
以後、経営的な困難、官憲側との闘争などに苦しみながらも、刺激的な作品を発表しつづけた。
作品に「天草四郎時貞」「白昼の通り魔」「忍者武芸帳」「日本春歌考」「無理心中日本の夏」「絞死刑」「帰って来たヨッパライ」「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「御法度」などがある。
64歳のとき、「御法度」の制作発表した直後に脳出血で倒れた。治療、リハビリテーションを積んでなお不自由なからだを押して、「御法度」を完成させた後、2013年1月、肺炎により没。80歳だった。
世界を見渡しても、大島渚監督ほど個性の強い映画監督はすくない。
作品の一作一作が、体制側に対する闘争宣言であり、観客に突きつけた最後通牒であり、社会正義の訴えだったと思う。
パゾリーニやゴダールよれも、もっととんがった天才監督、そういう感じがする。
初期の作品の感性のとんがり具合もさることながら、年をとり、いっそう過激になったとんがり具合もすばらしい。
ポルノグラフィーを撮るのなら徹底的にやろうじゃないかと、露骨な性描写を敢行して、いまだに無修正完全版が日本でみられない「愛のコリーダ」や、ビートたけしや坂本龍一といった、後に映画界で世界的に活躍することになる才能を起用したホモセクシュアルの戦争映画「戦場のメリークリスマス」は、そのとんがった感性の記念碑的作品だと思う。
大島渚は、あこがれの女優をものにした憎い男ではあるが、やはり、日本の誇りである。
さて、大島監督が小山明子さんと結婚式を挙げたのは、「日本の夜と霧」の公開中止の直後のことだった。このとき、怒って松竹を飛びだした大島監督の伴侶ということで、自然と小山明子さんも松竹から干されてしまった。
もともと女優は望んだ職業ではなかったという小山さんは、ちょうどいいから、この際、エプロンをかけて待っているような奥さんになろう、とそう考えたらしい。彼女はこう言っている。
「女優をやめようかなと思ったけど、現実には彼は仕事がないし、家をつくっちゃったから、借金を返さなきゃいけない。これは私は働かなくっちゃと思って。それで仕事をまた始める」(大島渚『大島渚1968』青土社)
それ以後も、大島監督のところは、独立プロダクションだから、映画が興行的に失敗して莫大な借金を負ったりしているし、つぎの映画制作費を稼ぐために、奥さんも働き、監督もテレビに出、と、夫婦共稼ぎで苦労しつづけた。
そして、大島監督が倒れてからは、小山明子さんはその介護で大変な苦労をし、彼女自身もうつ病になったりした。それでも、彼女は最期まで大島監督を支えつづけた。夫もたいした監督だったが、奥さんも、まったく、たいした女性で、いい女だなあ、と思う。
それにしても、大島渚監督の人生は、闘いにつぐ闘いの人生だった。
その後を生きる自分たちは、彼の作品から、何かを受け継がなくてはならない、そう感じさせるだけの生きざまだったと思う。
ご冥福をお祈りします。
(2013年3月31日)
著書
『新入社員マナー常識』
メモ、電話、メールの書き方から、社内恋愛、退職の手順まで、新入社員の常識を、具体的な事例エピソードを交えて解説。
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句2』
「ガリヴァ旅行記」から「ダ・ヴィンチ・コード」まで、名著の名フレーズを原文で読む新ブックガイド。第二弾!
『12月生まれについて』
ゴダール、ディズニー、ハイネなど、12月誕生の31人の人物評論。ブログの元のオリジナル原稿収録。12月生まれの取扱説明書。
『コミュニティー 世界の共同生活体』
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を具体的に説明、紹介。
『ポエジー劇場 子犬のころ2』
カラー絵本。かつて子犬だったころ、彼は泣いているリスに出会って……。友情と冒険の物語。