パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

宗教と私

2021年09月30日 | Weblog
9月30日(木)晴れ

昨夜、ツィッター見てて笑ってしまった。
大好きな作家さん「岸田奈美さん」のツイート

おばあちゃんちのお仏壇のお性根抜きをする時のすったもんだが書かれていて、いやあ、笑ってしまった。
まるで自分を見るようで・・・
とはいえ、彼女はまだ30歳。
お若いのに、色々と背負っておられて、現にこの『お性根抜き』という言葉も彼女のツィッターのおかげで知った57歳主婦のワタクシとは格が違います。
(先日の、売買契約時でのお祓い事件も、知識不足によるところが大きいのだとしみじみ反省中)
と、彼女のことを語りだすと長くなるので是非彼女の「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」を読んでください。

今日ワタクシが語りたいのは、「宗教観」(今までも結構語ってますけどね)
我が両親はまったく不信心だった。
そんな親に育てられたワタクシが、熱心な仏教徒になるわけがない。キリスト教に入信するわけがない。新興宗教は認めてすらいない。
かと言って、神様を信じていないわけでなく、やおよろずの神がおられるという、ある意味大きく、ざっくりとした宗教観は持っている。
ただ、何かあった時の(お葬式とか)宗教的なものの知識がなさすぎて、いや、もう、まぢで、お恥ずかしい。
お恥ずかしいを通り越して逆ギレしそうになる。

父が亡くなり、葬祭場の方との打ち合わせで宗教を聞かれ、元気良く「仏教ですっ!」
宗派は?
じょ、じょっ、浄土真宗だっけ?
東本願寺ですか西本願寺ですか?
ひ、いや西本願寺・・・よねぇ?って、かあさん、誰に聞いてるの?
目が泳ぎまくる老母とその息子、娘。
さらには、東本願寺の納骨堂は家の近所だが、西本願寺の納骨堂は遠いと聞くと、頭付き合わせてごにょごにょ相談し始める親子である。
「かあさんは今は元気にしゃんしゃん歩くけど、納骨堂は近いに越したことないんじゃない?」
ってことで「すみませ〜ん、東本願寺に変えま〜す。」と軽く宗旨替えまでしちゃう。

お通夜の時、お父さんが横たわっている枕元に、お線香を立ててくださいと言われ...
1本でいいの?3本?寝かせるもの?真ん中に立てるの?
ままよ!で立てたら、そのあとに葬祭場の方が寝かせてお線香あげてた・・・
(それ以降、毎朝お仏壇には3本を寝かせてあげてるのだが、今、ちょっと検索したら、浄土真宗本願寺派は1本を二つに折って、それを寝かせるとあった・・・何もかも間違っている)

それでも、お通夜お葬式は慌ただしく過ぎていき・・・
あっという間に四十九日。納骨だ。
仏壇に手を合わせて、父の遺影に向かって「じゃあお父さん、行ってくるね〜」と言った後、はっとする。
あたしゃこれからどこ行くの?
お父さんに、行ってくるね〜って言ったけど、お父さんの骨を納骨堂に納めに行くのだ。
「行ってくるね〜」で合ってる???
という思いは、以来、納骨堂に行く時に必ず湧く思いである。
♪私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません♪と思わず歌ってしまう今日この頃。

わからない。仏壇と納骨堂(お墓)の力関係(←力関係なんてことを気にするあたりが、ダメなのか?)

今日の一枚は、八重の棚田の彼岸花。
つい先日、82歳の老母が初めて知ったという顔で「赤い彼岸花って仏壇にあげちゃダメなんだって!!!」と教えてくれ
57歳の娘は「え〜〜っ!?何で?綺麗なのに?ダメなの!?知らんかった〜〜」
コメント (3)
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