昨日の「週アル」では、「さぁこれから『メモリアルブック』の『内田潤とアルビレックス新潟』を読むか!」ってところで終わったのですが、実際に読んでみてボクは感激しましたよ。ウッチーの生き方や考え方がよく理解でき、サッカー選手:内田潤、いや人間:内田潤がますます好きになり、尊敬をするようになりました。
○ウッチーが鹿島で戦力外通告となったきっかけとなったのは、2006年、鹿島のサブチームと流通経済大の練習試合でのこと。1-5と大学生にリードされたところでアウトゥオリ監督が激怒し、ゲームは打ち切りに。その後、ウッチーは監督に呼ばれ事実上戦力外通告を受けることになるのだけれど、このゲームの流通経済大側には、当時大学2年生の三門雄大がいたという運命的な出会いがあった。
へぇ~そんなところでウッチーと三門が運命的な出会いをしていたんですね。そして、その二人が今、新潟というチームで一緒にプレーをしている。運命ですなぁ…。
○ウッチーが鹿島時代と大きく異なり、チームでリーダーシップを発揮するようになったのは、2007年が転機。同僚となった同い年の坂本將貴と、新潟のサッカーについて常に意見交換をするようになったことが、ウッチーを変えた。
このエピソードは、初めて知ったのでビックリでした。坂本は「1年で千葉に戻ること」について、毎日ウッチーに「悩んでいる」と電話をしてきたとのこと。今までボクらは、「このヤロー、坂本!」的な発想ばかりで彼を語ってきたけど、そろそろ「悩んだ末の彼の決断」を好意的に認めてもいいのかもしれないと思うようになりました。「千葉一筋だった彼のキャリアの中で、1年だけ新潟に在籍したのはむしろすごいこと。新潟も盛り上がったし、今まで一番の成績をその年に残しているし。その事実を忘れちゃいけない。出会いがあって、別れの悲しさ、辛さ、いろいろなものがあるだろうけど、でも彼がどういうプレーをしたのか、彼がいたことで新潟に何が起こったのか、何を残してくれたのかも考えなきゃいけない。すべての人に納得してほしいとは言わない。でも、こういうことがあったよ、というのは知っていてほしい。」という、ウッチーの言葉に心が動かされました。
○ウッチーが慶行さんと「新潟のすごさ」について話をしていた時のこと。「鹿島の時は負けたらブーイングだったから、新潟に来た時、あれ?って思った。スタジアムまで応援に来て、チームが負けて悔しいはずなのに、『次、頑張れ!』っていう考え方、精神力にグッとくる。我慢して言ってるだろうし。それを思うと、自分たちもしっかり応えなきゃ、と思う。新潟のサポーターはすごいね、っていう話をコバとしました。」
これも嬉しいですねぇ…。選手にこんな風に思ってもらえるって、サポーター冥利に尽きるじゃありませんか。色々な考え方の人もいると思うけど、ボクはこれを新潟スタイルとしてずっと継承してほしいなぁ…と願っています。いつも、「ブーブー」言っている皆さんは、こんなウッチーの言葉を読んでどんな風に感じますかね?
今回の「メモリアル」、このウッチーの「内田潤とアルビレックス」のコーナーだけでも、買って読む価値がありますぜ!
試合後、勝利なら万歳!\(^-^)/
負けなら拍手
‥それがアルビなら当たり前の雰囲気であり、チーム&選手たちと共に自分もいる感覚が良いですね。
苦境の場合でも内田潤選手含め、次への活力として響いてくれてると知って嬉しいものですね♪
ウッチーが初めてビッグスワンに立った試合をわたしは見ていたんですね!
彼のことは覚えていませんが、ファビーニョがゴールを決めて鹿島に勝ったのは覚えてます!
あの時ウッチーがいたんですか~!!
そして坂本
わたしは千葉に戻った時、彼のコメントを読んで肯定していたのでうれしいかな~
ビッグスワンでものすごいブーイングを受けていた彼に拍手を送って友人と気まずくなったものです。
ウッチーが坂本を認めているのがうれしい! そして許してやろうかなとおっしゃる八百政さんがありがたいですm(_ _)m
負けなら拍手。そしてアルビコール。
「それがアルビの文化だ!」と、みんなが共通理解して
実行できるといいけど、それは無理なのかな?
>まありんさん
あれから時間も経過しましたしね。
坂本選手の活躍に胸をワクワクさせた事実は真実です。
ウッチーとのエピソード。今回のメモリアルの記事の中
では、もっとも価値あるものでした。
あの歴代の選手一覧表(写真付き)にも
大笑いでしたね。