夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

荻原碌山と中村屋インドカリー

2007年10月06日 | 旅行
週末に夫と前々から行きたかった安曇野の碌山美術館に行ってきた。

キリスト者の碌山にちなみ、小さな教会のような建物の中に彼の作品やゆかりの品を展示している。

改めて、彼の人生が、尊敬する師であり友人である相馬愛蔵の妻であるがゆえに、いっそう禁忌である黒光への許されぬ愛に貫かれたものであることを確認した。

「優雅とは禁を犯すものである。しかも至高の禁を」三島由紀夫『春の雪』

もちろん、黒光をモデルとし、膝を地につけ、手を後ろで組み、上半身と顔が限りない高みを目指している(地面から離れない膝が妻であり母であり中村屋の経営者であるという逃れられない立場や地上のしがらみであり、上半身が本当の気持ちを象徴しているのか?後ろに持っていった手は必死の自制心の象徴か)有名な「女」もそうだが(この世では叶わない何かを天上に求めているかのように、見ている者の胸を締め付ける)、ほかにも、以下のような展示物があって、彼の苦悩を思い、胸が苦しくなった。


日記に「ちくまの鍋」という題をつけていたこと。
これは、滋賀県にある筑摩神社に、鍋を被って詣でれば、不義が許されるという言い伝えにちなむもの。

また、「文覚」という彫刻作品。
(いうまでもなく、文覚=遠藤盛遠と袈裟御前の伝説を自分になぞらえている。
が、京都出身で読書家の夫がそれを知らなかったのにはびっくりしたが。
ヨーロッパの哲学者や政治思想家、現代史のことなら、ものすごく詳しいんだが。こういうのを灯台もと暗しというのか)

それにしても、荻原守衛という本名は、明治時代の農村の農家の五男坊にして、フランス人みたいな名前じゃないか(姓はオーギュスト=碌山がパリ時代に指導をうけたというロダンの名に似ているし、名前はモリエールみたいだ)。

実は、私が相馬黒光を知ったのは、碌山の思い人としてでなく、ボースという、インド独立運動家の義母であり、庇護者としてが先である。

夫に勧められて読んだ(恥ずかしながら勧められなければボースの名も知らなかった、この辺が夫と私の守備範囲の違い)

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義 (単行本)
中島 岳志 (著)

に詳しい。

インド独立運動の中心人物であり、暗殺されそうになって日本に亡命していたボースを庇護し、長女俊子と結婚までさせたのが相馬愛蔵夫妻なのである。
本格的な味であるインドカリーを開発したのは婿であるボースだったのだ。

もちろん、小さなパン屋をあそこまで大きくする実業家としての才覚もすごいし、危険を顧みずボーズを保護したり、碌山をはじめたくさんの芸術家をパトロナイズして、サロンのような場所を提供していた。

あの時代の女性にはどんなにか大きな制約があっただろう(旧民法では妻は無能力だったのだから)に、なんと先進的なキャリアウーマンなのだろうと憧れの気持ちを持ったのである。しかも、ビジネスにも、政治、芸術にも通じるだけでなく、年下の碌山に生涯渇仰されるほど女性としての魅力もあったのだろう。

今年の2月に、『碌山の恋』というドラマを、平山広行、水野美紀の主演でやっていたが、なかなか面白かった。

それにしても、相馬愛蔵は、二人の関係をどう考えていたのだろうか?
中村屋の敷地内に碌山のアトリエを建てたくらい(碌山が黒光に看取られ亡くなるのは完成直後)なんだが、まさか、クリスチャンの彼が三島の『獣の戯れ』のようなシチュエーションを好むほど倒錯的だったはずはないし。

中学生の頃、遺族から訴えられた『事故の顛末』(川端康成の自殺の原因が若いお手伝いさんへの失恋だとする小説)を読んで以来、読んだことなかった臼井吉見の『安曇野』を読んでみようと思う。

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