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夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

「まあつひ」ってなんだ?!

2007年10月03日 | 旅行
気分がすっかり自殺念慮モードなので、少し明るい話題を。

忙中閑あり、9月の連休に父と夫と三人で「信州方面に」旅行した。

父は免許を取った瞬間から50年以上ペーパードライバーなので、「家族とドライブ」という経験自体が初めてで、夫の運転する車に楽しそうに乗ってくれた。

私の父は、生まれてから現在まで一冊も小説というものを読んだことのない人で、およそ教養というものとは縁がないので、いろいろな傑作語録がある。

私がHarvard Law Schoolに合格した時も、
父「お父さんな、お前が行く大学知ってるぞ。」
私「え?!」
父「日本語にしたら『港大学』っていうんだろ?」
私 (絶句)
(HarborとHarvardの区別がついていない)

Harvard Law Schoolの卒業式の後、父を呼んで、一緒にニューイングランドや中南米を旅行したのだが、ボストンで、
私「お父さん、ここが、アメリカがイギリスから独立したときの戦争があった場所なんだよ」
父「えええええ!!アメリカってイギリスから独立したの?!じゃあ今でも仲悪いのかな、どうしよう(おろおろする)」

冗談でもなんでもないのでよろしく。

今回も新たに父語録が加わった。

今回、黒姫高原の一茶記念館に行ったとき、

父「小林一茶って女だよな」
夫「お義父さん、もしかして、樋口一葉とまちがえてませんか?」
父「あ、そうだった。名前似ているからまちがえたよ、ははは」
私「ていうか、一しかあってないじゃん!」

一茶記念館の裏庭の句碑の前で
父「なあ、『まあつひ』ってどういう意味だ?」
私「それはね、『これがまあつひのすみかか雪五尺』っていう句でね。一茶が50歳で骨を埋めるつもりで生まれ故郷のこの村に帰ってきたのが旧暦の11月でね、もう雪がたくさん積もっていたのを見てそう詠んだのよ」
父「『まあ』ってどういう意味だ」
私「だから感嘆詞だってば」
父「かんたんしってなんだ?なんで『い』なのに『ひ』って書いてあるんだ」
私「お父さん本当に昭和一桁?その頃旧仮名遣いだったでしょう?」

とこんな調子である。

ちなみに、「痩せがえる、負けるな一茶ここにあり」ってどこで詠まれたか知ってます?
小布施にある、北斎の天井画で有名な岩松院の庭の池で、繁殖期にたくさんのオスがえるがメスを争っているのを見て詠んだ句なんだよ、と父に説明しても、あまりよくわかってないようだった。

一茶旧居にいったら、売店のおじさんが話しかけてきて、なんと、長野オリンピックで清水選手が金メダルをお母さんにかけてあげたのを見て感動して60歳でスピードスケートを始めて、全国大会にも出るレベルになったそうだ。

ナウマン象博物館で知ったが、野尻湖の発掘って毎年やっていて誰でも参加できるそうだ。

父はこんな人だけど、ものすごく性格がよくて、一緒にいると本当に癒される。

翌日、千畳敷カールに行った時、天気が悪くてロープウェイの窓がすっかり曇っていたが、一生懸命自分のタオルで窓の曇りを拭っては、近くにいる見知らぬ親子連れの小さな男の子に、「ほら、僕、見えるでしょう?」といっている。それが全然わざとらしくないのだ。

だから、若い人にも失業者や非正規労働者の多い今日、74歳の今でも、常勤の仕事が続いている。

教養はないけど、性格がすごくいい父、
それに対して、教養はあるかもしれないけど、性格が…な私、
こんな極端に正反対な二人が本当に親子なんだろうか。

知識を得るという私の人生の目標が無力化されそうな気もする。
私が命がけでやっていることって大して重要ではないのだろう。

父に孫の顔を見せてやれないことには心が痛む。
(妹二人はバツ一で再婚の見込みはない)

父に心配させてしまったのは、煙草のこと。

だって、自然保護のためにマイカー規制されていて、ごみも全部持ち帰らなきゃいけない場所で煙草を捨てるなんて人のやることでしょう?注意するのが当たり前じゃないの?

でも、逆切れされて、車で発車した後も追いかけられてボディを叩かれた、怖かった!!
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