~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

投票好きです

2009年08月31日 16時02分22秒 | 雑感
昨日の選挙はまあ、予想通りといえばそう、びっくりといえばそれもそう、な感じなんですが、政党名が相変わらず頭に入らなくて苦労しました。

共産党、公明党はまあいいとして・・
自民党って自由民主党よね、なのに民主党が別にあって(これはまあ常識的に頭に入ってますけど。でも自由民主党に相対する言葉としては(不自由)民主党なのか・・みたいな)、
社民っていつから?民社じゃなくて?(・・民社って古すぎですが・・)
あとは「国民」「幸福」「日本」はまあいいとして、「みんな」って何?
・・・的な専業主婦の世間オンチ丸出しの疑問が次々。

まだ頭の中には、「さきがけ」とか「二院クラブ」とか「新自由クラブ」とかが残っている人なので、もう全然ついていけてません。

若いころは何かを知らなかったり常識がないのは恥と思って頑張って覚えたりもしましたし、政治はこうあってほしいなどとも思いましたけど、わからないもんはわからないし、知らないことはきけばいいし、テストもないので(爆)、テレビや旦那に教えてもらって、たまには馬鹿にされながら、でも自分は相変わらず何も覚えないという・・・(笑)。

でも、好きです、選挙(爆)。

もともと私はワイドショー的野次馬人間で、文学も文学そのものよりもその作家がどれだけ逸脱した人生を送ったかということに興味があります。作曲家しかり、数学者しかり、政治家しかり。
なので、たとえば大杉栄なんかひところとても好きだったりなんかしたのですが、別に彼の思想書を読んだわけでなし、誰と恋愛してどうしてどうなったとか、その大杉を殺したといわれる甘粕がその後満州で何をやっただとか・・そういうことばっかり詳しかったりするわけです。
大学の時に先生が「卒論に書く作家はよく考えて選ばないと、だんだん調べていくうちに嫌いになってしまうことがあるよ」とおっしゃってましたが、たしかにすばらしい作品だとほれ込んでいても人間的には「どうよ?・・」みたいな方が多いのも芸術の世界。ただわたしはその「どうよ?・・・」のほうにのめりこんでしまって、そっちの資料が大量。気がつくと「〇〇をめぐる女たち」「〇〇にみる精神病理」のようなものばかり(笑)。・・学問の名を借りたゴシップ読みです。
だったらたとえば、私小説型といわれる作家が好きなんじゃないかといわれるとそうでもなくて、露悪的なタイプはあまり好みではありません。すくなくとも30代半ば以降はそうです。
一見、常識的な人間、良い人っぽい人間で、もしかしたら自分でもそう思ってるかもしれない人が、実は「トンデモ・・」という話がたまりません。


そのうちにですね、組閣が始まったりするとまたまた「トンデモ話」をスッパぬく週刊誌などが出てくるはずですが、下世話な関心でもって、これまた楽しみ(殴)。

・・・選挙のたびに、自分がいかに俗人であるかということを思い知らされます。よいこのみなさんは、こんな大人にならないように。



当たり!?

2009年08月30日 20時13分26秒 | 雑感
8時からの選挙速報をテレビで見て、娘、大喜び。

「おお・・・当たり、当たり、当たり、当たり・・すごい大当たりだね!」

当たった方はいいですけど、「当選確実」の一方で「落選確実」まで画面に出るという・・・(泣)。

それにしてもまだ10分くらいしか経ってないじゃないですか。
朝までやる必要あるの・・・

どういうわけかマラソンと選挙結果は見続けてしまう私なんですが、今日は朝までつきあわずに寝ようっと。


椅子&足台で

2009年08月29日 21時20分13秒 | ピアノ
今日、娘が弾いたあとのピアノをそのまま弾いてみました。
別に珍しいことじゃないのですが、これを結構マジメに・・。

で、なにがどう違うのか、という話ですが・・・

まず椅子の高さが高いです、当たり前ですが。
次に足台が置いてあります、かなり邪魔ですが。
そのままちゃんとすわるとですね、腿はキーボードの下にぴったり付き、さらに「座高、高けぇっ!」という状態になります。背筋を伸ばすと200センチのピアノのお尻のほうまで「見下ろす」感じです。

椅子の高いピアニストというと、体格のいいガイジンさん、たとえばリヒテルとかポゴレリチとかが思い浮かびます。いったいどんな感じなんだろう・・とちょっと考えました。

いくら椅子が高いといってふつうは腿をぴったり鍵盤下部にはつけないでしょうけど、今日はためしにピタっとやってみました。
妙な安定感があるんです、これが。楽器をはさみこんでいるとでもいいますか。
バイオリンは肩と顎で楽器をはさみ、チェロは脚で抱え込むように支えるわけですが、考えてみれば、ピアノは鍵盤部分そのものは宙に浮いたようになっていて、そこを打鍵するわけです。指の力の方向としては下にいきっぱなしで、ちょっと不安な図ではあります。それが腿で下から支えていると叩くというよりねじ込むという感覚があり、「どうにでもいじれる」みたいな若干アブナイ感覚が湧きます。

・・いけません・・・(笑)

視線もかなり鍵盤を見下ろす感じになるので、「・・どうだっ」みたいな。

・・いけません・・・(笑)


自分でもなにがやりたかったのかわかりませんでした。
以上!







♪気合をください

2009年08月28日 22時09分45秒 | 雑感
夏休みもそろそろ終わりです。

娘はまあ大丈夫だと思うのですが、中2の息子のほうはいったい宿題は片付いたのかどうか・・・・いや、片付いてないと思われ・・・。

娘はこの夏、近所のスイミングスクールの短期集中5日間に2セット通いました。
7月末と8月の末(今日まで)。ビート板使ってのバタ足25メートルがめでたく出来た模様。夏休み初めに「浮く」のがせいぜいだったことを考えると進歩です。
今日は「あっちの端(25メートル)まで絶対行くぞ!」と宣言して泳いだらしい。
宣言けっこう、気合は大事です(笑)。

話は少しそれますが・・・

私のところには、とくにレッスンというわけではなく「聴いてください」みたいな依頼がときどきあります。コンクールの前とか発表会の前になると増えます。
「聴いてください」と言われても、もちろんただ「聴いて」いるわけではなくて、意見や感想もいうわけなんですが、ほとんどの方の<用事>は「気合入れてください」ということ(爆)。
だいたいは先生についてちゃんとレッスンを受けておられるので、細かいことは時間をかけて練習ずみなわけで、今さら私になにをきくでもないはず。
要はあれです、「気合だあぁ~~~~~」!!
・・・・別に私はそんなことは言いませんが(笑)。何をやっているかというと・・・何をやっているんでしょうねえ、自覚がありません。


今日は夕方から子どもたちはヴァイオリンのレッスンもありました。
娘は教則本にある「カノン」を弾いていますが、まだ1回目のレッスンなものでよろよろ・・。なのに、先生が「私と合わせるわよ」と。
ピアノと合わせるのなら「伴奏」なので、娘もそうびっくりはしなかったでしょうが、なんせ「カノン」なもんで、自分と全然違う音を先生は出されるわけです。つられる・・・
しかし先生、「合わせるときは、何があっても絶対進まなきゃダメよ」「わからなくなりそうだったらあきらめて飛ばして次を弾くように」「一定の速さで止まらないように」と言われるわけです。
ピアノだとこういうレッスンはあまりありません。習い始めて1年くらいの子、しかも初見に毛が生えたレベルの曲で「なにがあっても止まるな、進め」といわれることはないよなあ、と思います。でも、オーケストラにまじったりするとこれがなによりも「ヒトサマに迷惑をかけない」極意だったりもします。
さすがに今日一発では娘はムリでしたが、こういうときの先生はたとえ易しい曲でもものすごい推進力があって、たしかに「何があっても進む」いや「進ませる」という雰囲気があります。
これが「気」であろうな、とレッスンをきいていて思うわけです。

私もピアノや弦楽器のいろいろなレッスンを聴講したり、実際自分でも受けたりする機会が多々ありますが、レッスンの1時間なら1時間が「テンポよく」「リズム感があり」「流れが自然」で、音楽そのもののようなことがあります。
だいたい先生はレッスンで「ことば」「音」「ゼスチャー」さまざまなものを駆使されるわけですが、先生自身のそれらのツールが古びない、現在形である、ということは大切だなあ、指導者もつねに己をブラッシュアップしなければならないのだなあ、と思います。

・・・・私自身も音楽に限らず、美容以外は努力していきたいと思っております。



楽しみです

2009年08月26日 21時11分55秒 | ピアノ
9月にリサイタルをされるMちゃん(高1)と、久しぶりにゆっくりお話してきました。

リサイタルプログラムは、ショパン&リストの実に本格的なもので、しかも後半は大曲揃い。
私も、すべての曲の楽譜をひととおり眺めてみましたが、これは聴きごたえあるだろうなあ、と今からワクワクです。
ほとんどの曲はこれまでバラバラに聴かせてもらってるのですが、やはりリサイタルとなると、プログラムの組み合わせだとか、出入りだとか、ドレスだとか、トータルで聴くところがあるので、また新たな楽しみが生まれます。

ドレスもちらっと・・
素敵ですっ!


ほんとに素直で可愛いお嬢さんで、話しているとゆったり癒されます。
演奏はおそろしいほどの集中力と求心力なんですが。


ちょっとだけピアノも聴かせてもらいました。
こういう巧い子の演奏聴いたら、近頃低下気味の私の「ソロ演奏モチベーション」がますます下がるかと思いましたが、そういうもんでもないんですねえ。
ショパンいいな、ソロいいな、と思いました。

ありがとう、Mちゃん。


(ちなみにだんだん残席が少なくなっているようです。行かれる予定の方はチケットお早めに)

しりとり曲

2009年08月25日 19時41分23秒 | 家族・友人等
ご存知ブルグミュラーの「アラベスク」、
今、娘が弾きはじめてます。

娘いわく・・・「これって、しりとりみたいな曲だね」

ラシドシラ ラシドレミ レミファソラ ラシドレミ ミミファレ レーソレミド ミ

・・・はあ、なるほど。

ついでに、娘、最後のイ短調のⅠの和音、イ長調のⅠにしてしまいました。
「最後に、鐘がなるんだよ」ということらしい。

発表会でもやる気ですかね、それ(汗)。 

今年のコンペ

2009年08月24日 23時02分53秒 | ピアノ
昨年は私も参加した、Pコンペティションの今年の結果が発表されました。

愛好家部門の発表はこちら
動画もありますが、は~・・みなさん上手いですねえ。
どうしてこういう方々と昨年は決勝に出られたんだか・・。
B2カテゴリー1位の方は昨年西日本大会でご一緒いたしましたが、あらためてマジマジと動画拝見して、いやお上手だなあ、と。

ここに切り込んでいくのはこれから数年後、いやまたあるかどうか・・・。
昨年やそれ以前のファイナリストは、今年はほぼ本選で散ったもよう。

一曲ですからね、グランミューズは。「選曲」大きいです。
昨年のA2の1位の方は、その何年か前にB2で弾かれたのと同じ曲(その時も1位)でしたが、やはり「アタリ曲」というのはあるんだと思います。
ほかの部門のようにいろいろな時代のものを弾きこなす必要はないので、狙って選曲する必要はあります。
だいたいは先生についていて、選曲も相談されているようですが・・・。

友人のレポート(?)によると、今年のグランミューズのあるカテゴリー1位の方は、自宅は電子ピアノだそうで、本番2ヶ月前からスタジオを転々として違うピアノを弾きこなすようにあえてされていたということです。
ファイナルにこられる方は、仕事もバリバリ、肩書きいたらそれだけで専業主婦はビビッてしまいそうな方ばかり。
練習時間の確保もままならず、午前中は仕事して飛んできて、終わったらまた仕事に戻ります、みたいな方も珍しくありません。
ピアノはもちろん一生懸命されてるのでしょうけど、あくまでも本業あってのことです。

毎年、出る出ないにかかわらず、この時期はコンぺで出会ったいろいろな方のことを思い出しては、「ピアノばっかりやらないで仕事もしようかな」と思ったり

・・・はしませんが(笑)。



練習会

2009年08月23日 20時03分18秒 | ピアノ
夏休み特別企画、茶菓子付きサークル練習会が行われました。

場所はさんざん迷った末、個人宅のサロンに決定。セミコンサイズのグランドピアノとチェンバロがあります。
お茶やコーヒーもセルフでどうぞとおっしゃってくださり、温かく迎えていただきました。

で参加人数なんですが・・
地元から15名、県東のF市から4名、というわけで、これまでで最多ではないかという大にぎわい。
ピアノはもちろんみな弾いたのですが、今日は「チェンバロで弾く・・・ゲームミュージック、ジャズ、リスト、シューマン」という、考えもつかないような食い合わせ(?!)続出にビックリ!。
しかも意外にもハマるものもあり、先入観払拭すべし、と思いました。
やっぱりバッハは王道ではありましたが・・・。

私は両方弾いてみましたが、チェンバロからピアノへの切り替えが難しく、12月の両方を続けて弾く予定をどうしたもんかと悩み中。


4時間の練習会終了後は珍しく打ち上げにも一時間だけ参加。

弦楽器の話と方言周圏論ばかりしゃべってたような気が・・(汗)

バイオリンの教則本と夕食を買って帰宅。

涙は・・

2009年08月23日 12時27分04秒 | 家族・友人等
今うちから出たところなんですが、出かける準備をしながら娘の音読をきいておりました。

「・・といわれ、マリアはなみだをこしらえました」


なみだは「こらえる」ものだと長年信じておりましたが、なるほど、女の涙には「こしらえる」ものもあるかも・・(笑)。



先日たまたま、テレビで宇野千代さんの生涯を短いドラマ風にやっていたのを見たのですが、
娘「このひと楽しそうだね」
私「なんで?」
娘「だって何回も結婚してるんでしょ?結婚式の服何回も着れていいじゃん」


もし「結婚式の服」が単に「ドレス」を指すのであれば、なにも結婚式でなくても着る機会はあります(涙)。

あまりそーゆー「夢」を抱かないでいただきたいです、親としては。
ついでに「涙をこしらえる女」も勘弁・・・

時分の曲

2009年08月21日 20時32分52秒 | 私のピアノ歴
昨晩ちょっと必要があって、ショパンのスケルツォ2番を弾いてみました。
実に25年ぶりくらい・・・・
その間、ただの一度も弾いたことありません。

私は中2になったとたんにピアノをやめたもので、子どもにはショパンをなかなか弾かせてもらえなかった昔のこと(私の先生だけかもしれませんが・・)、辞めるまでに弾いたショパンはワルツ集から数曲と、幻想即興曲のみ。
なので、やめた後、どうしても弾きたかったバラード1番は年に何回かの練習というスローペースで何年がかりで最後まで弾き、スケルツォ2番は大学に入ってからサークルの先生にレッスンを受けました。
たぶん人前で1回くらいは弾いたんじゃないかな・・という程度。


その後バラード1番は、大人になってから2回くらい人前で弾きましたが、スケルツォは弾かなかったですねえ。
で、ゆうべパンドラの箱を開けてみてどうだったかというと、
・・・・昭和は遠くになりにけり・・・・(笑)。
ショパンをつかまえて「昭和」もなにもあったものではないですけど、自分のなかではそんな感じです。あの激烈なパワーとテンションは今はもうないなあ・・と。
それは別に「昭和」という時代そのもののことなのではなくて、昭和の60年前後と重なった自分の20歳あたりのことなのですけど、技術のあるなし、曲の理解、練習量、そういうこと抜きに「その時期にしか弾けない曲」というのがたしかにあります。
それは自分にとって「その時期」ということであって、ヒトサマにお聴かせするとなるとまた話は別。
やっぱり弾きたい曲は思い立ったとき弾いとかないといけないなあ・・と思いました。
技術を習得するにはだいたい順序というものがあり、それに伴って今弾くべき曲、まだ時期尚早な曲というものが判断されるわけですが、そればかりにとらわれていると、精神的にその曲に対しての「旬」を逃してしまい、「この曲は自分のために書かれたのではないか」と錯覚するほどの一体感のようなものを感じないままに終ってしまうかもしれない・・・ブランクの長い私にはそのような曲は山ほどあるはずです。

アマチュア同士で話をしているとだいたい出るのが「死ぬまでにこの曲を弾きたい」という話題。
それは、ピアノに限らず、弦楽器、オーケストラ、みなさんそういう曲をお持ちです。たぶん、それぞれがそういう曲をこっそり練習したり、楽譜を眺めてはニヤニヤしたりしておいでだと思います。
私も3年前くらいまではそういう目標がありました。ひとつはモーツァルトの20番コンチェルトを弾くこと、もうひとつはブラームスのピアノ五重奏をやること。
これは奇跡的にというべきでしょうか、モーツァルトのほうは指揮者&電子オルガン4台をバックに第1楽章だけ、ブラームスのほうは友人に声をかけてもらって第1&4楽章をやることができました。
これだけで冥途の土産は充分と思っておりましたら、フランクの(チェロ)ソナタの第2楽章の伴奏だとか、オーケストラの一パートとしてピアノを弾く機会にも恵まれました。
ブラームスをやるあたりまでは、まったく楽しみで弾きまくっていて、エチュードをコツコツやろうなんて思いもせず・・(殴)。それはそれでよかったなあ、と思っています。あれらの曲は自分にとっておそらくあのころが旬だったのだと思います。
ケチのつけどころはたくさんありますし、実際今聴いたら自分でもどう思うかわかりませんが。
それがたとえアダ花であってもいいじゃないか、ある意味「時分(自分の?・・)花」であれば、というのが今の私の意見です。

そういう『死ぬまでに弾きたい曲』を頑張って人前で弾き、それをまたあたたかく称えるのがアマチュア仲間のいいところかもしれません。
他人と競ったり、評価したりする場は世間には山ほどあります。私自身もそういう場を捨てたわけではありません。が、いっぽうで「さまざまな事情の下に練習ができない」「先生に習いたいけど、時間や経済の点でなかなか・・」という大人の方々の『死ぬまでに弾きたい一曲』を手伝わせていただけたらこんなうれしいことはない・・としみじみ思います。