~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

秋のコンサートいろいろ

2013年08月30日 14時31分02秒 | コンサート(企画、協力、出演 含む)

いよいよ8月もあと1日です。

娘は今日から学校です。・・・といっても、明日明後日また休みという(笑)。

夏休みの最後の最後を狙ったように今日明日と台風が接近中。<特別警報>なるものまでできたようで、さてこの週末で特別警報はいくつ発令されるのか。

さて気をとりなおしまして、9月からのコンサートのご紹介です。毎年9月10月は月に8~9回出かけるような感じで、今年もそれなりの数です。コンサートホールまで片道30~40分で行ければこそ頻繁に出かけられるわけでもありますが。

個人的には、声楽、現代音楽、弦楽器といろいろなチラシを壁に貼っておりまして、さてどれに行こうか・・といまだに悩んでおりますが、まずはピアノ関係のものをアップしてみたいと思います。

 

↑ 9月1日、明後日ですね。ふだんちょっと聴けないような曲もありまして、楽しみなところです。

 

↑ かつて「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ」をドゥダメルの指揮で聴いて、それはもう鼻血の出そうな興奮を覚えたものですが、その一世代下のオケとして育った「エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカス」と萩原さんが今回共演されます。これは絶対行かねばということで、すでにチケットキープ!大学生以下が1000円というのも、ほんとにうれしいことです。

 

↑ 6月2日に開催された第1回(1番、2番、3番、6番)につづくシリーズ。個人的にはこれくらいのスペース(80席くらい?)で聴くのが好きです。(自分で弾くのは逆に狭いとこだとバクバクしますけど・・・)

キャパの小さいところで聴くというのは、とてもぜいたくなことですし、そういう場所でしか伝わらない(伝わりにくい)こともあります。日曜の昼で、出かけやすい方も逆に出かけにくい方もおられると思いますが、ぜひ!

 

↑ なかなかオツなプログラムなのと、チケット代がとてもリーズナブルなので、行けるか行けないか迷うくらいなら、買ってから考えても遅くない・・という感じです(笑)。スクリャービンの「炎に向かって」はいまだ生で聴いたことないので、相当楽しみにしてます。

・・・・以上4つの演奏会は私の方にお問い合わせいただいて大丈夫です。というか、大歓迎です。

 

さて、ちょっと先のものですが、こちら↓

過去、ツィメルマンは西宮と倉敷まで聴きに行きましたけど、やっと県内に入ってきました(笑)。

ポポロはいいホールだと噂にきくので大変楽しみですし、なによりプログラムがベートーヴェンの30,31,32ですから。ただ、行けるかなあ金曜夜に三原まで・・・それが心配。

 


たかがお辞儀、されどお辞儀

2013年08月27日 16時43分44秒 | ピアノ

昨日は気温も湿度も若干低めで、高温多湿でないと生命の力の湧かない私は、テンション下り気味。今日は気温だけでも上がってよかったですけど。

今日は午前中、シューマンの四重奏をやって遊んできました。今年の五月以来の室内楽で、ひとりでやってる時はシューマンやブラームスの五重奏曲ほど乗らないし、シューマン特有の「あれ?」な感じも薄いので、まあとりあえず、曲覚えて落ちないようにして行こう・・・くらいの気持ちだったんですけど、だんだんテンション上がってきました(笑)。こんなに上がってきてどうしようと思ったあたりで終わったので、午後は気持ちの行き場を失いましたが(笑)。

さて、先だっての土日、地元で学生さんのピアノコンクール本選がありまして、私は土曜日に小学生のごく一部を聴き、日曜には友人が中高校の部を聴いてきました。

演奏内容と結果については、なるほどなこともあれば、「ふむ・・・」なこともあり、指導者でもなんでもない者がどうこう言える方面ではありませんが、私も友人も一致して気になったことがありました。それは「お辞儀」。

私は小学校の方でしたので、例によって、胃の前で手を組んでぺこりを頭を下げるスタイルも見ましたし、演奏を聴く気になれないほど投げやり(・・と見る方には映る)なお辞儀にも出くわしました。

友人は中高生部門を聴いてきたので、そこまでのことはなかったようなのですが、音楽の流れにそぐわないような感じのお辞儀はやはり見ていて気になったとのこと。

そこで、夏休みの宿題ではありませんが、ちょっと調べてみました。いろいろなお辞儀。

ステージに登場するところから録画&UPされている動画というのはけっこう少なく、それなりに探してしまいました。

・ホロヴィッツ・・・・・http://youtu.be/Nz26IpXtIT4

・リヒテル・・・・・・・・http://youtu.be/jX3ekL7AIxw(2分半くらいから)

・バレンボイム・・・・http://youtu.be/ZKGR-b13_co

・キーシン・・・・・・・http://youtu.be/g8ei1NF0oic

・スルタノフ・・・・・・http://youtu.be/vUBWeMx6V94

・ポゴレリチ・・・・・・http://youtu.be/WL_I1z5OHe4

・グリモー・・・・・・・http://youtu.be/sw9DlMNnpPM

 

女性の動画がグリモーしかない上に、ドレスでなくてパンツ姿というのはちょっと資料不足で、すみません。それからポゴレリチのショパンコンクールライブ以外はプロとしてのリサイタル演奏なので、学生さんにはちょっとどうかな・・とは思うのですが、

ひとつ言えることは、上記のどのピアニストも客席に視線がちゃんと行ってますよね。頭を下げるという動作そのものは人それぞれで、下げる人もいればうなずく程度の人もいるし、くたっと腰を折るような動作の人もいる。

一度ちゃんと客席を見る、あるいは見渡す、そうすれば次の動作は自然についてくるんじゃないか・・と思うわけです。

たしかに、コンクールのときに客席を見るということは審査員と目が合う確率が高くなりますから、なかなか堂々とできることではないですし、ステージからみると客席はかなり暗いので、自分としてはそこまで大切なことのように思えないんですけど、客席からはものすごくよく見えます。目が泳いでいく様まできっちり見えます。

そのあたり、私自身もちゃんとできるわけではないし、まして娘なんか言うても言うても毎年発表会で目泳ぎまくりのクタっとしたお辞儀をしてしまうわけですが、実に大切なこと。

あと、男性だと上着を着ている際はボタンのかけ外しですかね。このあたりは白い上着のキーシンの動画でよくわかります。

 

いいトシした私でも、本番1週間くらい前から、当日着る服をピアノ脇につるし、たまにはフル装備で(笑)、狭い室内をたったの数歩でも歩いてお辞儀&演奏という流れを何度も実際やるので、最後の仕上げは演奏含めた前後の動作もリハーサルしていかないといけないです。

子供の場合はそれもやりすぎやらされすぎて、最後の最後でテキトーになってしまう~、ということもあるのかもしれませんが。

 

さて、秋にはまたまた娘の発表会がありますが、そろそろマトモにお辞儀できるようになってほしい(泣)。 


異界の者

2013年08月25日 10時12分45秒 | 見る・読む

ピアノの記事が続いていて、すみません。

すみませんってことないんですけど、ピアノやってる方ばかりが読まれているわけでもないので、なるべくいろいろな話書こうと思ってはいます。思ってはいますけど、やっぱり圧倒的に多くなってます。

私生活では(ってすべて私生活ですけど)、朝ドラの水口さんを眺めているとどうしても亡き優作を思い出してしまい、ついうちにあった優作の伝記漫画を取り出して読んでしまいました。そしたら「竜二」の金子正次とも優作は関わりがあったのだということを知り、ジャージ&下駄ばきで独りでふらっと見に行った「竜二」を懐かしく思い出したりもしました。

一方で、最近はなにかと瀬戸内寂聴さんをテレビでお見かけすることが多く、

夜にあった対談番組では「私は小さいころからお野菜は嫌いなの。肉食べないと小説書けないですよ。芸術家は肉食べないと。お酒も飲めるだけ飲まないと」みたいなことをおっしゃっていて、御年91歳にしてなんと健啖なことでいらっしゃることかと驚愕。

お昼のワイドショーでは「結婚してたって、恋人がいたってもっといいのがでてきたらそっちいっちゃいますよ。そうでしょ?」「私が50過ぎて出家したのは、人間の一番断ち難い煩悩、色欲を断つためだったんです」「いくつになっても思う人はあるでしょ?これからプラトニックな愛の小説を書いていきたいと思ってます」と語られ、御年91にしてなんと枯れておられない・・・・とこれまた仰天。

 

そして、このおふたりに関連して興味深かったのが以下のこと。

優作と関わったある人の述懐・・・・<僕と優作さんの至福の時は、一年ほどしか続きませんでした。何故?昔話によくあるでしょう?生身の人間が異界の者と関係を持つと魂を吸い取られてしまうって・・・。舞台で首の角度が一度違うと「違う!」。酒場で呑んでいても呼吸の仕方が「違う!」。そんな状態でやっていくと・・・変なとこ越えたら・・・アブナイ・・というか・・・このままだと・・・・気が狂っちゃう・・・そこまで追い詰められていきました>

寂聴さんの自伝的とも言われる小説『夏の終り』の一節・・・・・<無鉄砲で衝動的な知子は、いつでも小さな体内に活力があふれていて、生命力の萎えた、人間の分量の足りないように見える男に出逢うと、無意識のうちに、その男の昏い空洞を充たそうと、知子の活力はそこへむかってなだれこみたがる。(中略)・・・・・男の生命の分量を過不足なくおぎなおうとする時、それはもうじぶんの内部では愛が熟れ落ちようとしているということわりを、知子はいっこうに自覚しない>

最近「モンスター〇〇〇〇」みたいな言い方が巷にあふれてますけど、ほんとうの意味での「モンスター」はこういう人たちを言うのではないかと時々思うわけです。凡人が真似したら(近づいたら)間違いなく破滅に至る生き方。

どなたがおっしゃったのかちょっと記憶にないのですが、ある女性の作家さんが「私から小説をとったら、ただの不良女です」と。

もちろん不良でなく、良妻賢母の一方で芸術家でもあるという方もいらっしゃるわけですけど、どちらにしてもなにかギリギリのところを渡っておられることには変わりがないはず。

そういうことに対するある種の「畏れ」みたいなものを察知して、私、10代で音楽からも文学からも逃げ出した感があります。

 

・・・・・この夏コンクールなどをあれこれ聴きながら、つらつら「この先の覚悟は親子ともにあられますか?」と思うことでもありました。


照れて弾けない

2013年08月23日 20時18分24秒 | ピアノ

夏のコンクールも最終盤。こちら方面はこの土日でおそらく終了です。

次の曲が決まっている人もいれば、とりあえず目先のことは決まっているけれど、今後どういう方針でやっていこうか・・・と考えてられる方もいらっしゃるでしょう。

私は、コンペ終わってからYoutubeサーフィンでいろいろ面白い曲を見つけましたけど、どれもこれもメジャーな曲とは言い難く、もし弾きたくなった場合、楽譜が簡単に手に入るのかどうか心配でしたが、ネット検索ですぐ見つけました。

弾くつもりというよりは、いったいどうやって弾いているのか確かめたくて取り寄せた楽譜があるのですが、通りすがりに覗き込んだ息子、「ねえ、ぱっと見てわかるような楽譜には興味なくなってない?」。

たしかに、五線の外の図とか注を眺めては、「ほおおおお~」とニヤニヤするのが最近の私でございます。

決勝で入賞した曲をネットで眺めてみましたが、今年は「なんじゃこりゃ?」というほどの珍しい曲はそうなかったような気がします。いえ、いいんです、別に珍しい曲である必要はまったくありませんから(汗)。

リストが圧倒的に多く、次がプロコフィエフのようです。

・・・・・私、どっちもほぼ弾いたことないです(殴)。

リストで弾いたことのある曲はいずれもトランスクリプション(編曲)で、ピアノオリジナル曲はないですし、プロコフィエフは弾く時期を逸したという感じです。今後弾くことがないとは言えませんが。

14歳以降の長期のブランクのことを考えると、レパートリーが偏っているのはある意味自然現象ではありますけど、食指の動かない曲はけっこう決まっているんですね(この場合、「弾く曲について」です)。

まずは、メロディーが長く美しく続く曲は弾こうという気にならないんですね。

嫌いなのではなくて、途中で照れるんです、盛大に照れる。そこまで甘いメロディーでなくてもうまくいかない。

若いころは大丈夫でしたし、今でも聴くのはOKなのですが、弾くとダメになります。なので、ショパンのノクターンとかリストのコンソレーション系はとても弾けません。

シューマンにも美しいメロディーの曲ありますけど、ある程度の長さの楽曲になると、途中できれいな流れを寸断するような別のメロディーやリズムが挿入されたりすることがあるので、けっこうほっとします。

マーラーにも、そういうところがある(というより、作曲の過程でなにかがフラッシュバックしたりして想念を邪魔していたとか)ようで、私マーラーをそう聴く方ではありませんが、聴きながらちょっとうれしくなったりする箇所でもあります。

現代曲になると、私の聴いた数少ない楽曲のなかでも、聴き易いメロディーとか整った和音とかがちらっと出てきたと思ったら、次の瞬間、破壊衝動のようにクラスター奏法でぶち壊す・・みたいな箇所があったりします。・・・・これもちょっとうれしい(殴)。

だれがビョーキなのかはわかりませんけど(笑)、たとえばですね、テレビドラマの中で男女がいい雰囲気になったとき(ドラマのなかで)電話やピンポンが鳴って、それ以上のことにならずにほっとするみたいな感じです。

なんですかね、これ??

わかったからどうなるというものでもないですし、分析することに興味もないんですけど、こういう人間にとって、一見スジの通ってないようなまとまってないような曲がとても居心地がいい・・・ということはたしかなようです。

いろいろな曲があってよかった(笑)。


ネットでライブ

2013年08月18日 22時32分24秒 | ピアノ

朝、模試に出かける息子を送り出して、「あ、そうだ」・・。10:30からコンペティションのセミファイナルがネットでライブ配信されるのでした。

それまで慌てて1時間半ほど練習をし、そのあとは「パソコンと私」(笑)。大量の書類ゴミを片付けながらの「すわりこみ」。

ずっとすわりこみというわけにもいかないので、洗濯したり、炊事やその他もやるわけですけど、たとえ音質が悪かろうと、配信が途中で固まろうと、どうしても聴いてしまう演奏というものはあるもので、今日はとくに午後からの4人はほとんど聴いていたように思います。

なんですかねえ・・・・いわゆる、「気」?

ずいぶん以前に、テレビをつけっぱなしで寝ていたことがあり、真夜中、静けさのなかでハッと目覚めました。次の瞬間に始まったのはベートーヴェンのソナタ31番のフーガ部分。演奏はバレンボイム。

テレビなどの「ながら視聴」の場合ですら、「おっ」とひきつけられるのは実は音が出てないような瞬間のことがけっこうあるんですね。

今日はわりと、音を出す寸前にディスプレイに目がいくケースがあり、だいたいそういう場合はこちらの期待を裏切らない音で演奏が始まりました。

逆に「あ、始まってた」という場合は、聴き逃したことを悔しく思うほどのことでもなく・・・・

たまーに人前で演奏することもある身としては、ちょっと考えてしまいましたねえ。

「音を出す前から演奏は始まっている」というのは、普通に言われることですが、聴く方も「音が鳴る前から鑑賞は始まっている」わけです。

しかも「ライブの演奏会場でないにもかかわらず」ですね。

「そういう演奏」でないといけないと思いますけど、弾く側としてはおそろしいことです。やっぱり演奏というのはなにかのやりとりなんですね。あらためてそう思います。

以前、代々「鼓」を打つ家のドキュメンタリーがありまして、そのなかで父子が激しい稽古をし(父は師匠)、終わって息子が、「今、魂のやりとりをしました」と語ったのが印象的でしたが、演奏する者とそれを聴く者にもやっぱりそういうものがあると思います。

 

今日はネット視聴ではありましたが、なにか確かなものを得た気がしました。


コンクールも最終ラウンド

2013年08月17日 21時14分14秒 | ピアノ

さて明日からピティナのコンペは最終ラウンドですね。

夜行バスで往復してでも聴きに行きたいと思ったのですが、お盆休暇の終わりと重なったこともあり、とうてい無理そう(泣)。

特級についてはネットで配信されますので、居ながらにしてセミファイナル&ファイナルを聴くことができます。→こちら

 

一方、東京音楽コンクールもこの20日が本選なのでした。本選はコンチェルト。

男性4名で、私もお名前を存じ上げている有名な方々。残念ながらネットでは聴けないようです。→こちら

 

あと地元新聞社のコンクールは8月24日、25日が本選。

 

ただでさえ暑い夏、毎日毎日何時間も練習するだけでも大変なこと。どの方も本番でベストな演奏ができますよう、陰ながら応援しております。


変わったタイトルの曲

2013年08月14日 22時17分06秒 | 室内楽

世の中に変わった曲は多々あります。日本語訳はいろいろかもしれませんが、このタイトルは面白い。サティも真っ青。

ヒンデミット作曲: 朝7時に湯治場で二流のオーケストラによって初見で演奏された「さまよえるオランダ人」序曲

音源はこちら

朝の湯治場といってもまさか浴衣に手拭いじゃないでしょうけど(笑)。

6分半付近になぜかスケーターズ・ワルツ・・・・・


猛暑です!

2013年08月12日 13時16分35秒 | 雑感

すごいですねえ、日本のあちこちで40℃超えとか、一日の最低気温が30℃超えとか。

エアコンで一定の温度を保とうとすればするほど、外気との差がひろがり、自動的に電気代上がってます・・・ってことですかね。

がんばって夏を乗り切りましょう~!

先日テレビを見てましたら、91歳の瀬戸内寂聴さんが出ておられて、「お野菜は子供のころから嫌い。お肉食べてます。お肉食べないと小説書けないですもん。芸術家はお肉食べないとね」とおっしゃってました。

芸術家でなくても、とりあえず夏はお肉類食べないと(笑)。寂聴さん、「最近の若者はほら、植物なんとかっていうんでしょ?」と言って、対談相手に「・・えっと草食系ですね」と返されてましたけど。

 

ここ1か月で、鹿児島2往復、東京1往復、大阪1往復、というそれなりの移動をしてたのですが、やっと落ち着いた感じです。お盆はもう移動しませんっ(笑)。

昨日は、地元の高校生、大学生が昼から夜まで演奏する「サマーコンサート」を聴いてきました。3人ヴァイオリンがいましたけど、あとの25人はピアノ。

高校生の部のみで失礼したのですが、3時間トイレに立つ暇もなく、聴く方もそれなりに気合のいる耐久コンサート。

ここのところ、大人のコンクールのプログラムでめずらしい曲を目にし続け、うちに帰っては曲を確認する・・・という感じでしたので、「知ってる曲ばかり~」「ワルトシュタインの1楽章なんか3人も弾いてるよ~」みたいな勝手知ったる安心感(?)は久しぶりでした。

知ってる曲だと、感想も湧きますし、比較もし易いですね。しみじみ、コンクールにわけわからん曲を持ち込むことはほんとにゴメンナサイなことだと反省。

昨日演奏した高校生たちですが、ほとんどの人についてこれまで何回か演奏を聴いたことがありまして、何人かは、小学生のころから、かげになり日陰になり(?)応援し、また話をきいたりもしました。

そういう子たちが受験生になったのか~~と思うとほんとに感慨深い。

これからが大変だということはよくわかっていますけど、とりあえず彼女たちがこれまでピアノを弾き続けてきたということにびっくりします。私はちゃんとやっていたのは、おそらく6歳くらいから14歳になる寸前までの8年間くらいだと思うのですが、それでももうたくさんだったので(殴)、10何年毎日練習し続けるってえらいなあと思うわけです。私についていうと、大人になってからすでに15年くらいやってますけど、そんなの子供のころの8年には遠く遠く及びません。だって子供の頃の1年間ってすごく長いもんですけど、半世紀程度生きた今、正月が過ぎたらまたすぐに次の正月(汗)。・・・・「ゾウの時間ネズミの時間」みたいなものでしょうか。

 

さあ、夏休みも後半ですね。

宿題がどうなっているのか、本人のみぞ知る。・・・・・親は知りません(逃)。 


偶然と縁

2013年08月07日 15時41分06秒 | その他音楽

さて、そろそろ次のことを考えないといけないです。

まずはうちの片付けとここまでほぼ放置してきた娘の宿題かれこれ。

一昨日の夜は子供ふたりと大型書店にいって、必要な本を買い込み、食事もしてきました。帰りに大通りのデパートと電器店の壁面をみてみたら、「ご冥福をお祈り申し上げます」の幕が下がっており、この地に越してきて丸12年、8月6日の前にこのような幕がかかることを初めて知りました。

私はもともと他県人で、たまたまこちらにきて10何年かを暮しているわけで、原爆についてなにかを語ることはできませんが、爆心地近辺は日常的に行き来している場所であり、たびたびなにかの気配や空気を感じるところでもあります。ボーっと通り過ぎることはまずありません。通り過ぎようとしてもどうしても気づかされます。恥ずかしながら資料館にも未だ行ったことがないのですが、付近から「感じる」ことだけは怠らないようにしようと思っております。

もともと霊感とかいうものを信じている人間ではないのですが、やはり「偶然」ということが重なるということはあるわけで、

最近グバイドゥーリナの「最後の七つの言葉」という曲を聴いたのですが、さてコンペも終わったことだし、別の作曲家でも聴くか・・・とCDラックからパッと取り出したCDがジェイムズ・マクミランの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。

私、キリスト教についてはほんとに何も知らず、よって、このふたつの曲がなにをもとに、どういう思いを持って書かれた曲なのかもわかりません(恥)。解説も読まずに聴いたのですが、もう音楽だけで十分でした・・・・ちょっと感想が書けません。

そして、その後、Youtubeをふらふらしてましたら、ある曲に捕まりました。曲名は単にピアノソナタなのですが、作曲者がいつごろの人なのかどんなプロフィールなのかもわかりません。曲から推して、たぶん、ロシアの人で、そこまで現代ではない人だろう・・と思ったくらい。

調べました・・・スタンチンスキー。

1888年生まれ、1914年没。非常に才能ある青年として将来を嘱望され、同世代の作曲家たちにも影響を与えていたらしい。父親が亡くなって以降、精神のバランスを崩し、それでも落ち着いているときは、ちゃんと曲も作れていたらしいのですが、医者にも見放され、事故とも自死ともわからない溺死体で発見。享年26歳。

つまり来年が没後100年なわけです。

う~ん・・・なんなんでしょうねえ。

グバイドゥーリナは名前知ってましたし、曲にはどちらかというと「おもしろい」という惹かれ方をし、そのせいか「おもしろい」という域から出られずに今にいたった感があるのですが(汗)、今回はそういう出会いではないようです。

 

折しも、先日のコンペの講評が送られてきました。たくさんの丁寧なアドバイスをいただき、びっくりし、また感謝しております。

たしかに「音のうしろにあるものの表現」「音楽の方向性、変遷」にまでは至らずに終わった・・・、と自分でも反省していましたし、

「途中中途半端だったけど、後半へ行くにつれ明晰になってきた」というのもおっしゃる通り。

たかが6分で、ズバッと聴いていただけて、ありがたいです。これは当日の演奏がうんぬんということではなく、今後の取り組みの糧になることですので、たしかにコンペという形ではありましたが、7名の専門家(予選まで入れると計17名)から貴重なご意見をいただけのは得難い経験となりました。

 

・・・・ということで「次のこと」ですね(笑)。


ご報告

2013年08月05日 10時20分52秒 | ピアノ

さきほどネットで、奨励賞を確認いたしました~♪
一緒に練習し、頑張ってきた仲間も入賞。6月以来、励まし合ってきたので友人としてはとてもうれしいです。

2010年以来の本選入賞で、ちょっとほっとしている・・・というのが本音(汗)。ほかの方の順位、入賞についても私がつけたものとほぼ一致。文句なしです。

応援してくださった方、どうもありがとうございました。