温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

金門島旅行 その1 台中から金門島へ

2015年09月27日 | 台湾
※今回記事からしばらくは温泉が登場しません。あしからず。



子供の頃から地図を眺めて飛び地を見つけて悦に入っていた変わり者の私にとって、以前から行ってみたかった場所の一つが、台湾施政下の金門島という小さな島です。地図を見ると中国大陸の沿岸に点在する小島の一つにしか思えず、大陸と最も近いところでは僅か2キロ強しか離れていません。どうしてここが共産党ではなく台湾(中華民国)の領地であるのか、一見しただけではわかりにくいかと思います。そこで、世界情勢に詳しい方には釈迦に説法ですが、前置き説明にちょっとお付き合いを。

日本が第二次大戦で敗戦し中国大陸から撤退すると、皆様ご存知の通り、それまで燻っていた蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の対立が再燃し、激しい内戦の末、1949年に北京の天安門広場で毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言して、国民党は台湾へ脱出しました。ちなみに、雲南や四川の奥地にいた国民党の部隊は、遥か遠い台湾ではなく、地続きの東南アジアの各地へ逃げてゆきますが、以前拙ブログでは、タイの奥地にある国民党の落人の村に湧く温泉「熱水塘温泉」を取り上げております。

南京から、重慶、成都、そして台湾と、撤退に撤退を重ねていった国民党が、臥薪嘗胆の意地で「いずれ共産党を倒して大陸に戻ってやるぞ」と反転攻勢の拠点とすべく死守した大陸沿岸の島のひとつが金門島です。中国共産党の人民解放軍は元々内陸を拠点にしていたゲリラでしたから、野山を駆け回るのは得意ですが、海の戦いは下手っぴであり、大勢がほとんど決まっていた1949年の時点でも、金門島をはじめとした大陸沿岸の島々は(海南島ですらも)、まだ辛うじて国民党の支配下にありました。その翌年に朝鮮戦争が勃発すると、共産党の兵力は朝鮮半島へ向かいますが、朝鮮戦争の休戦協定後は再び国民党支配下の島々の「解放」を目指すようになり、まず大陳列島(台州列島)を制圧、そして1958年には金門島をめぐって大規模な攻防戦(金門砲撃戦)が繰り広げられました。結果的に金門島や馬祖島などは国民党が防衛できたものの、それ以降、国共対立の最前線としてこれらの島では長い間軍政が敷かれて緊張が続くこととなりました。しかし、ニクソン訪中の7年後にアメリカと中国大陸が国交を結ぶと、大陸側から金門島への攻撃は止まり、双方の指導者が過去帖入りして年月も経つうちに緊張も緩み始め、鉄砲よりソロバンを弾いた方がはるかに良いということで、現在は軍政が解かれ、むしろ激戦の痕跡を観光資源として活かし、また台湾と大陸を結ぶ重要な交通の要衝として、国内外を問わず多くの人が訪れるようになりました。
飛び地が好きであり、且つ近現代史の史跡巡りを趣味の一つとしている私としては、そんな金門島を訪れないわけにはいきません。

前回までの記事で私はレンタカーを利用して台湾島の中央を東から西へ横断して参りましたが、どうせ横断するなら海峡を渡って大陸の方まで突き抜けてやろうと思いつき、勢い余って本当に、台中から台湾海峡を空路で越えて金門島へ渡ることにしました。


●台中・宮原眼科
まずは前夜泊まった街から高速バスに乗って台中駅へ移動します。空港へ向かうにはまだ時間に余裕があったため、その前に、最近台中で大注目のお店へ立ち寄ってみることにしました。

 

台中駅から歩いてすぐの「宮原眼科」は、日本語メディアでもよく取り上げられているほど、近年の台中でリコメンドされているスイーツのお店。その名前が示すように、戦前は日本人医師の宮原眼科として開院し、戦後の国民党統治下では「台中市衛生院」として活用されましたが、それもやがて閉鎖されてしまい、数十年間放置されたまんまだったそうです。パイナップルケーキで有名な「日出」が、そんな古い建物に価値を見出し、建物をリノベーションしたところ、目論見があたって、今では大人気を博しているんですね。
台湾では台南の林百貨店など、日本統治時代の古い建物に目をつけて、かつての面影を蘇らせつつ現代風に生まれ変わらせて、新たな価値を創造していますが、自分の国の古い建物を情け容赦なくどんどん壊しちゃう日本とは対照的に、台湾の方はこうして大切に使ってくださっているんですから、日本人の一人として感服すると同時に感謝の念すら抱きます。


 
 
店内はとっても綺羅びやか。ショーケースは薬棚をイメージしているんでしょうし、昔の大学図書館のような本棚は医学部のアカデミックなイメージを醸し出しているのでしょう。また全体的な飾り付けは、19世紀の西洋の絵本のようなメルヘンチックな世界観を想像させてくれます。スタッフの方は衛生兵にも似たサファリルック的な制服を身に纏っています。今回は店内を冷やかすだけで済ませちゃいましたが、ここは見ているだけでも面白いなぁ。


●台中・第四信用合作社
 

宮原眼科から数ブロック先には、同じく「日出」グループのお店である「第四信用合作社」があります。1966年に開業した同名の銀行跡を転用したものお店で、レトロな雰囲気と現代的なデザインをミックスさせている点は「宮原眼科」と共通ですが・・・


 
整然かつメタリックな店内デザインは元銀行としてのイメージを強調しており、金庫の扉を装飾に用いているマシンは現代アート的でもあります。また「宮原眼科」は物販がメインですが(テイクアウトのアイス売り場あり)、「第四信用合作社」は店内での飲食を主体としているようであり、同じグループ店でも「宮原眼科」とは異なるコンセプトです。それ故か、多くの観光客で混雑していた「宮原眼科」とは対照的に、こちらはずいぶん落ち着いていました。


 
昔の銀行窓口を模してつくられたテイクアウト用のカウンター前には、ちょうどシーズンを迎え始めていたマンゴーがたくさん並べられていました。その奥のコールドテーブルには色とりどりのフルーツが詰め込まれており、その上でパッションピンクのTシャツとベレー帽を被ったスタッフのお姉さんが、マンゴーかき氷を作っていましたが、カップルでイチャイチャしながらつつき合うような大きなサイズなので、もし私が注文しても、とても一人ではとても食べきれません…。


 

そこで店員さんにアドバイスを受け、一人でも食べられるマンゴー系のかき氷をつくってもらいました。パイナップルのかき氷の上にマンゴーのアイスを載せたものです。本当はマンゴーの実がゴロゴロしていたものを食べたかったんですけど、これも十分おいしく満足できましたよ。もっとも他のお店で食べる同類のものより高いのですけどね。紙袋もペーパーナプキンも、そしてウェットティッシュも、ひとつひとつがみんなおしゃれ。


●台中空港から金門島へ
 

台中駅から台中空港までは約18kmも離れているのですが、公共交通機関は路線バスのみ。面倒臭かったので駅前でタクシーに乗りこんだのですが、信号と交通量の多い市街地を抜けるのに時間がかかり、たどり着くまで45分も要しました。時間に余裕をもってアクセスしないとエライ目に遭いそうな立地ですね。ターミナルは国内線と国際線に分かれていますので、私は国内線ターミナルへ。

台中と金門を結ぶ空路は、立栄・華信・遠東の3社が運行しているのですが、今回は時間帯や料金等が自分の計画とマッチした遠東航空の便を、公式サイトから予約していました。ところが搭乗の3~4日前、たしか台東県の栗松温泉から下山していたころ、レンタカーで運転していた私のスマホへ「遠東航空班機調度訊息」と題する中国語のメールが届きました。その主たる部分を抜粋(一部伏せ字)してみますと・・・

原訂2015/○/○ 台中往金門 FE1051 12:25起飛班次,因班機調度取消,當天尚保留立榮B7-687 13:30班次及華信AE765 16:20班次,造成您的不便,敬請見諒,若需更改行程、或有任何疑問,請洽訂位中心

おいおい、全部中国語じゃん。日本人は漢字が読めるから、何となく意味がわかるものの、中国語や漢字を読めない人はちっとも解かんねーよぉ。冷静になって一文字ずつ文章を追いかけてみると・・・

ご予約の12:25台中発の遠東航空FE1051便はフライトキャンセルになってしまいました。当日の13:30発の立栄航空B7-687便か、16:20発の華信航空AE765便へ振り替えできます。ご不便を掛けて申し訳ございませんが、旅程を変更なさったりその他なにかございましたら、予約センターまでご連絡ください。

と書いてあるようです。そこで、予約センターへ「立栄航空の便に振り替えてください」と英文メールでリクエストしたら、その返答もまた中国語で記されていたのでした。中文の公式サイトで予約したから、国籍等関係なく、やりとりも中文になっちゃうのかな。
その返信メールには「搭機當日以立榮班機時間13:30提前40分鐘至遠東報到」、つまり立栄航空の便の出発時刻である13:30の40分前までに遠東航空のカウンターへお越しくださいと案内されていましたので、その指示通りに赤いサインの遠東カウンターへ出向きますと、係員のお姉さんは端末で予約内容を確認した後、私を立栄航空のカウンターまで案内し、そこで振り替え搭乗の手続きをしてくれました。


 
台中空港では搭乗手続きとは別に、各社共通の手荷物預かり専用カウンターが設けられており、しかも(カウンターが小さいためか)出発時間の1時間前にならないと預けられません。カウンターのオープンを待って荷物を預けますと、スタッフのお兄ちゃんは何やら数字を口にしています。チケットのクラスの問題なのか、あるいは機体が小さいからか、どうやら受託手荷物の無料枠が設定されていないらしく、1kg当たり2元の料金を要するとのことでしたので、言われた通りの金額(32元)を支払いました。
重い荷物を預けて身軽になったので、ターミナル内を散策してみることに。


 

いかにも地方のB級空港といった風情の国内線ターミナルとは対照的に、連絡通路でつながっているお隣の国際線ターミナルは、天井が高くて明るい現代的な建物です。この時は香港エクスプレス・香港行のチェックインが行われており、手荷物預かりカウンターでは「武嶺」と書かれたロードサイクルがたくさん列をなしていました。前回記事で私がレンタカーで越えた台湾国道最高地点「武嶺」(標高3275m)をヒルクライムしてきたのでしょうね。まだランチをとっていなかったので、この国際線ターミナルにあるレストランで、周囲の客の広東語に揉まれながら枝豆付きのワンタンメンを啜りました。


 
国内線・国際線ともにターミナルはこぢんまりしていて、空港としての必要最低限の設備を用意している程度でしたから、構内散策はあっという間に終了。そのうち搭乗口のゲートがオープンになったので、他客の列に加わって搭乗口へ進み、そこから歩いて飛行機へ搭乗しました。機材はターボプロップ機のATR72-600。


 
私のような他社の振り替え客を受けているためか、2+2列シートの飛行機は満席状態。台中空港は10年ほど前まで軍用空港であり、いまでも空軍基地を兼ねた軍民共用空港ですから、滑走路には軍機が多く、しかも大陸からの攻撃を想定しているので掩体壕だらけ。そんな物々しい台中空港を定刻13:30にテイクオフ。台湾島よ、さらば。
台中から金門まで飛行時間は1時間もありません。海岸線を越えて安定飛行に入った直後、CAさんは素早くギャレーからカートを引き出し、手際よくドリンクサービスの提供を始めました。私はコーヒーをお願いしましたが・・・


 
後部の座席だったため、順番が回ってくるのが遅くなり、それゆえ寛いで飲んでいる暇は無く、早々に金門島の島影が見えてきましたので、熱いコーヒーをグイっと飲み込んで着陸態勢に入ります。


 
14:30に金門空港に着陸。大陸まで僅か数キロしか隔たっていませんが、れっきとした台湾の施政下にある島ですから、ターミナルの上には青天白日旗がはためいており、ターミナル内では台湾島と全く同じセブンイレブンが営業していましたので、私の大好物である統一の「木瓜牛乳」を買い込んでからタクシーに乗り、この日の宿へと向かいました。

次回につづく
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