温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台東県 緑島1泊2日 その5 小さな飛行機で島を離れる

2017年08月10日 | 台湾
※今回記事にも温泉は登場しません。あしからず(次回記事から日本の温泉に戻る予定です)

先日から連続して2017年3月に訪れた台湾台東県緑島1泊2日の旅について取り上げてきましたが、今回がようやくラストです。以前の記事で述べましたように、台東から緑島への往路は船を利用しましたが、同じ交通機関で帰るのは工夫が足りないので、復路は空路を使ってみることにしました。


 
腹が減っては、戦どころか旅の行動力すら湧きません。しかし民宿は素泊まりでしたので、バイクで南寮の街で出て、朝から営業している飲食店に入って朝食をいただきました。たくさんあるメニューの中から選んだのは・・・


 
海鮮焼きそばと緑島ちまき(緑島魚粽)、そしてミルクティーです。緑島ちまきはこのお店のオススメで、一般的なちまきに入っているお肉の代わりに、マグロが使われており、結構な美味でした。


 
さて胃袋を満たした後は、お昼前まで島内を観光し、一旦宿へ戻ってから身支度を調えて、いざ出発です。
チェックアウトすると、民宿のおばちゃんが車で空港まで送迎してくれました。宿から空港までは歩いても楽に行けるほど近いのですが、この時は敢えて厚意に甘えさせてもらいました。

緑島の空港ターミナル内はいかにも田舎の飛行場といった風情。定員20程度の小型機が1日3便(往復)発着するだけの需要しかありませんので、待合ホールのベンチは地方の鉄道駅と大して変わらない数しか用意されておらず、しかもお店が全くないため、お土産の購入どころか軽食すらできません。実にのどかなターミナル。私がターミナルへ入った時、ベンチでは明らかに搭乗客ではないおじさんがコクリコクリと昼寝していました。空港で船を漕ぐとはこれ如何に。


 
緑島から出発する飛行機は1日3便の台東行きのみ。緑島空港の滑走路が短いために小型機しか使えません。しかも現在使用されている機材の一便あたりの定員は20名程度。ということは、1日に空路を利用できるのは60人未満なのです。このため飛行機の利用に際しては早めの事前予約が必須です。いきなり当日空港でチケットを購入するのは、閑散期でも難しいかもしれません。私はこの航路を運航している徳安航空の公式サイトでオンライン予約をしておきました。空港の窓口で予約番号と引き換えにチケットを入手し、大きな荷物を預けて、いざ搭乗です。搭乗の際にはちゃんと保安検査も実施されます。


 
保安検査の後、ターミナルの裏側から滑走路に出て、歩いて飛行機に乗り込みます。
機材はバイキング・エア社の"DHC-6-400"。双発のターボプロップ機で、この型式(-400)は2008年から既に生産されているのですが、徳安航空では2016年に導入されたばかりなので、まだ新しい機体です。


 
機内の座席配置は1+2席。前から後ろまで7列あるのですが、動線確保のため出入口付近の2席分が削られているため、(1+2)×7列-2席=19名がこの飛行機の定員です。天井が低いため、どんな大人も背中をかがめながら入らないと、頭をゴッツンしてしまいます。また着席時や離席時などは、乗客の誰かが天井に頭をぶつけてしまいがちですから、もしこの飛行機を利用の際にそのような現場を目撃しても、慣れない機内ゆえ、お互い様ということで目を瞑って嗤わないようにしてあげてください。実際に痛い思いをした私からのお願いです。


 
乗客は20人に満たないため、あっという間に搭乗が完了します。通路に立つ子供や、着席中の大人とシートの大きさなどから。いかにこの機内が狭いかを窺い知ることができるかと思います。天井が低いため、エアコン吹き出し口や読書灯が、頭上というより耳の横というべき位置に取り付けられていました。


 
シートポケットに収められている安全のしおり。普段乗る旅客機ならあまり気にしませんが、このような小型機だと不安は否めないので、とりあえず離陸前に目を通しておきました。
安全面で心配なのが、客室とコクピットとの間に扉がないこと。小型機は航続距離が短いので、ハイジャックには不向きですが、もし乗客が常軌を逸した行動をとってコクピットに乱入したらどうするのでしょう・・・。


 
操縦士と副操縦士が息を合わせながら、天井から下がっているスロットルに手をかけると、エンジンの出力が上がってプロペラの回転数が早くなり、滑走路の隅っこまでランディングしたかと思いきや、スピーディーに方向転換して一気に加速し、あっという間に離陸していきました。苦もなく地面から離れてゆく飛行機に乗っていると、機体の身軽さを実感できます。


 
緑島よ、さらば。


 
緑島と台東の間は33kmほどしかありません。高速船で50分を擁する道のりを、飛行機はわずか10分ちょっとで渡ってしまいます。離陸と着陸のタキシングを含めても機内で過ごす時間はわずか20分です。小型機はあっという間に海を渡り、窓の外には台東の街や郊外の田園風景が広がりました。


 
空港の南側へ回ってから着陸へ。


 
出発から20分で台東空港に到着し、所定の位置に停止した後、乗客が降機します。
束の間の空の旅でしたが、上空から眺める緑島の景色もなかなか佳く、なにしろ短時間ですからストレスがかかりませんし、船酔いの心配もありません。往路と復路の移動手段を変えて正解でした。


 
台東空港にはボーディングブリッジがありますが、機体が小さすぎてブリッジが使えないため、緑島と同じくここでも客は歩いてターミナルへ向かいます。預けた荷物はトラックによってターミナルの小さなバゲッジクレームまで運ばれるのですが、そのルートは乗客が歩くルートとほとんど変わりませんし、トラックからターンテーブルに載せ替える時間も余計にかかりますから、せっかちな私としては、わざわざトラックに運んでもらわなくとも、飛行機から直接自分で荷物を受け取りたくなりました。


 
空港の表玄関へ出た後は、熱帯魚みたいな塗装が施されている路線バスで台東の市街地へと向かいました。

今回記事でひとまず台湾ネタは終了です。次回からは日本の温泉に戻ります。

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台東県 緑島1泊2日 その4 絶海の孤島で白色テロを考える

2017年08月09日 | 台湾
今回の私の緑島観光で最も重きを置いたのは、先日取り上げた「朝日温泉」、そして政治犯収容所跡の見学です。私が旅に出る時には、どうしても温泉への訪問に多くの時間を割いてしまうのですが、それに次いで旅の大きなテーマになるのが、近現代史の負や陰の側面を見学することです。台湾施政下に関しては、いままで金門島の戦跡や雲林の眷村などを拙ブログで取り上げてまいりましたが、緑島の政治犯収容所跡も以前から一度は自分の目で見ておきたかった史跡でしたので、今回の記事で紹介させていただきます。

第二次大戦後、台湾は日本の統治下から離れますが、その代わり、中国大陸における国共内戦で劣勢に立たされた国民党が台湾へ逃げ、反転攻勢を目指すべく、体勢を立て直そうとします。しかし、大陸からやってきた人間(外省人)は台湾での諸々の権力を掌握する一方で、元々台湾にいた人々(本省人)は政治参加が許されず、また経済的にも不利な立場へ追いやられたため、外省人と本省人との間に軋轢が生じ、腹に据えかねた内省人たちは1947年の二二八事件で外省人に対して不満を爆発させました。これに対して国民党政府は徹底的に弾圧し、万単位に及ぶ多くの本省人が犠牲になります。それ以降、台湾では1987年まで戒厳令が敷かれることになり、長年に及んで恐怖政治(いわゆる白色テロ)が台湾の市民を支配し続けました。そしてその中で政府から目をつけられた人々は政治犯として逮捕され、絶海の孤島である緑島の収容所へ送り込まれてきたのでした。

1987年に戒厳令が解除された後、緑島の政治犯収容所は刑事犯(主に暴力団)を収容する監獄へと役割を変えましたが、日本の国会議員に相当する立法委員から、この緑島の監獄を歴史伝承の博物館として残していこうとする提案がなされたため、2000年代に入って政府の手により保存改修工事が行われ、現在は「緑島人権文化園区」として一般に開放されています。


 
政治犯収容所とは関係ありませんが、現在も緑島には刑務所があり、南寮の街から島の北側を周回すると、かならず刑務所のゲート前を通過します。


 
島の北側には奇岩が連なる風光明媚が海岸が続いているのですが、そんな奇岩の一つである将軍岩付近には、海に突き出した芝生の広場と石材で積み上げられた円形の屋外ホールが広がっています。ここは「人権記念公園」。屋外ホールを形づくる石材の壁には、白色テロで受難に遭った方々の名前が刻まれています。またこの円形の造形には受難者たちの心情が表現されているんだそうです。


 
監獄の前には白い砂と青い海が広がり、牛を曳くおじさんがのんびりと歩いていました。白色テロという言葉から受ける印象と180度異なる長閑な光景です。



でもおじさんが歩き去った道の背景に聳える岩には、いまでも戒厳令時代の「滅共復国」というスローガンが残されていました。


 
島の北部には政治犯を監禁した施設が集まっているのですが、この無味乾燥とした建物は「緑洲山荘」という名の監獄で、1972年から運用が開始されたもの。現在は台東県により歴史的建造物として登録され、監獄博物館として一般開放(無料)されています。


 
中に入るとさっそくスローガンの雨あられに見舞われます。


 
監視塔と高い塀は監獄の象徴的な建造物ですね。塀の上には有刺鉄線が張り巡らされていました。


 
こちらは「戒護中心」と称する建物。戒護ですから、いわゆる刑務官の詰所みたいなものかな。
内部には「獄外之囚」と題して、一人一人のエピソードが写真と共に掲示されていました。そのタイトルから推測するに、収容されなかったものの、白色テロによって受難に遭った市井の人々の記録が紹介されているのでしょう。


 
「戒護中心」の裏手に建てられているのは「独居房」棟。廊下の両側にドアが並び、板敷きの小部屋に便器だけが取り付けられた独居房が並んでいました。


 
こちらは「礼堂」。いわゆるホールですね。このホールへ入るアプローチには、まるで道しるべのように、民主主義に欠かせない各種権利を記したシールが貼られていました。これらのシールは、ホールのみならず、敷地内の随所に貼られています。


 
監獄が使われていたころ、収容者はこのホールに集められて訓話を聞かされていたのでしょう。このホールの内部に展示されているものは、戒厳令下における恐怖政治の歴史の流れや当時の各種史料、そして政治犯として囚われた人々を救おうとした多くの運動の記録などです。


 
「緑洲山荘」を象徴する建物が、この「八卦楼」と称される獄舎です。八卦とは、地元の人の言葉でヤシガニのことを指すんだそうです。この建物の外観がヤシガニに似ているらしいのですが・・・


  
「八卦楼」の中心には六角形の塔が据えられ、そこからX字を潰したように2階建ての棟が4本伸びています。その形状がヤシガニに例えられたのでしょう。4棟のハブである中心部は吹き抜けになっています。中央に監視を置くことによって効率的な刑務所運営を図るというパノプティコンの典型的な構造ですね。


 
2階建の棟が4棟あるということは、2×4=8区画に分かれているわけです。実際に中央の吹き抜けに面して、各フロアの入り口には、壱区、弐区・・・柒区、捌区といったように大字表記で区分が表示されており、各棟の廊下に部屋が並んでいます。収容分類などによって扱い方がことなるためか、舎房には様々なサイズが用意されており、合計すると52室もあるんだとか。


 
一部の雑居房では、収容者たちが話し合っている当時の様子が人形で再現されていました。


 
「八卦楼」の裏手にはタイル張りの貯水槽が残されていました。小さな島ですから真水の確保にはさぞ苦労したことでしょう。


「緑島人権文化園区」の総面積は約32ヘクタールもあり、「緑洲山荘」はその一部にすぎません。
「緑洲山荘」を出た私は、その東隣にある「新生訓導処」にも立ち寄ることにしました。その名前から想像できるように、政治犯として収容した人々に対して思想教育を行う施設だったようです。


 
「新生訓導処」の敷地を囲む壁には、国民党のスローガンがずらり。三民主義の名の下に無辜の人々が苦しめられたとしたならば、そのイデオロギーを提唱した孫文は草葉の陰で落涙していたことでしょう。


 
台座に「永懐領袖」と記された蒋介石(蒋中正)の胸像を見ながら、現在「全区模型展示館」として開放されている建物へと向かいます。この無骨な建物はかつて「中正堂」と呼ばれ、警備総司令部の集会所として使われていたんだとか。


 
旧「中正堂」の壁には、当時の思想教育の様子をコミカルに表現したイラストが描かれているのですが、訓導している教官の顔が、ひらがなの「へのへのもへじ」になっているのがユニークでした。特定の人の顔を想像させずに人物を描くには、日本の「へのへのもへじ」が都合良かったのかもしれませんが、そうすることにより、誰でも思想教育の被害者となるばかりでなく、特定の思想を上から押し付ける加害者的な立場にもなりうることを示唆しているようでした。
エントランスには収容者をイメージした立体像が立っていました。像をあえてモノトーンにしたことに、へのへのもへじと同じような深い意味が感じられます。


 
館内で最も大きな展示は、当時を再現したジオラマ。


 
ビジュアルに訴えかけるようなわかりやすい説明展示も充実していました。


 
旧「中正堂」の前に立つ廃屋は「福利社」と称する売店の跡。前回記事の「柚子湖」で見られた廃屋と同じようにサンゴ礁岩で築いたものらしく、屋根はほとんどが崩れており、一般開放に当たって小屋に木材の柱と梁を立てて、往時が想像できるような配慮がなされていました。


 
その近くに建っているバラックも、おそらく一般開放に際して当時の獄舎を再現したものと思われます。各棟ではテーマ別の展示が行われていました。


 
単に展示するのではなく、アート的な要素を加えることにより、見易くなるとともにメッセージ性がより強調されていました。


 
 
4棟ある再現バラックの中でも最もびっくりしたのが、当時の獄舎内の様子を再現したブロックです。通路を挟んで2段の寝台が並んでおり、まるで生きているかのように躍動感のある収容者の蝋人形が置かれていたのでした。収容者たちは語り合ったり、ギターを弾いたり、囲碁をさしたりと、様々なスタイルで無念の時間を過ごしたことが表現されていました。またその奥の部屋では病で苦しんで寝込んでいると思しき姿や、トイレで排泄している様子まで再現されていました。


 
敷地の裏手には白い建物の廃墟が放置されていました。どうやらこの廃墟は病院跡のようですが、こちらまで改修する計画はなかったのかな。

上述したように「緑島人権文化園区」の総面積は約32ヘクタールもあり、各エリアににおける説明展示が多く、内容も分厚いので、その全てをしっかり見学しようとすると、長時間を要します。私は意気込んで訪問したつもりですが、それでも前半の「緑洲山荘」の見学に時間と体力を費やしてしまい、後半の「新生訓導処」に至ると、もう既に疲れてしまった上に閉館時間が迫っていたため、見学が省略気味になってしまいました。そのため当記事でも後半ではキャプションの内容が薄くなっております。
それでもこの島へ来たからには、訪れるべき史跡です。島を取り囲む大海洋のきらめきとは対照的な台湾史の深い闇を学ぶことで、当たり前のように享受している民主主義や自由に関するあらゆる権利のありがたさを改めて実感しました。

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台東県 緑島1泊2日 その3 島を一周

2017年08月08日 | 台湾
※今回記事に温泉は登場しません。あしからず。

前回記事で取り上げた「朝日温泉」が湧く台東県の離島「緑島」は面積約15㎢。台東県道90号線「緑島環島公路」はその名の通り緑島の縁をぐるっと周回している環状道路であり、一周は18.247kmですので、スクーターがあれば容易に一周できますし、体力に自信があれば自転車でも周回可能です。バイク利用の場合は(たとえ中文翻訳を所持していたとしても)125ccの二輪が運転できる免許がないと一般的なスクーターやバイクは運転できませんが、法整備が不完全であるためか、バッテリーで動く電動スクーターならなぜか免許不要で運転できますので、今回は宿泊先で手配してもらった電動スクーターで島を時計回りに一周してみることにしました(電動スクーターに関しては当記事の最後で簡単にご紹介します)。なお前回記事で取り上げた「朝日温泉」は、島を一周する過程で温泉に入ったのでした。

今回記事では南寮の港から時計回りにぐるっと周回します。具体的には以下の順です。
 南寮港→南寮の街→空港→灯台→人権記念公園→柚子湖→朝日温泉→南寮港


●南寮の港や市街

人口約3800人の緑島は3つの村から成り立っています。その中で最も多くの人口を擁しており、且つ商業や行政の中心にもなっているのは、島の西側に位置している港町の南寮。この南寮の南部には漁港のほか、台東の富岡へ向かう船の乗り場があり、私が富岡から乗った船もこの南寮の港に着岸しました。


 
港付近にはおびただしい数のバイクがずらりと並んでいました。観光シーズンには全て貸し出されるのでしょう。


 
港の前には島唯一のガソリンスタンドがあります。ガソリンエンジンで動く一般的なスクーターを借りる場合は、必ずこのスタンドのお世話になるはずです。なおこのスタンドは夜になると閉まってしまうので要注意。ガソリンスタンドの南方で鈍い音を響かせている重厚な施設は火力発電所。島の電気供給を担っているのでしょう。


 
南寮港から環島公路を北上すると、島で最も賑やかなエリアに入ります。道の両側に飲食店や土産物店などが並び、コンビニも2軒営業しています(セブンイレブンとファミリーマートが1軒ずつ)。なお両コンビニとも、各商品の価格に離島への輸送コストを上乗せしているため、台湾の本島で買うより若干高めです(10%程度)。また島のコンビニにはATMがありません。島で現金を引き出したい場合は郵便局を利用することになります。


●南寮の北部と中寮の集落(空港や灯台付近)
 
商店街を抜けた先の左側には一本の小さな滑走路が伸びています。南寮村の北部には空港があり、私がお世話になった空港近くの民宿(左or上画像)もギリギリで南寮村に属しています。


 
緑島の空港に関しては次々回記事で細かく触れます。空港の前には観光案内所があり、自転車のレンタルも行なっているんだそうです。


 
隣村の中寮は、南寮村北部の集落とほとんど一体化しているため、「環島公路」を走っていても、村の境界を跨いだことには気づきません。集落の中には小学校や中学校があり、狭い路地が毛細血管のように張り巡らされています。路地に入って北西の方角へ進んでゆくと・・・


 
緑島灯台にたどり着きました。この白亜の灯台は1939年に建てられ、高さは33mなんだとか。港、空港、そして灯台と、島の交通に関する諸施設はすべて島の東部から北東部に集中しているんですね。施設のみならず、島の人口そのものが台湾本島に近い東側に集まっています。


●島の北部
 
灯台から海岸線に沿って東進すると、やがて「環島公路」に合流しますので、そのまま東へ走ります。途中でスクーターをとめ、磯場に下り立ってみると、磯の海は非常に透明で、海中をたくさんの小魚たちが泳いでいました。観光シーズンにはダイビングやシュノーケリングのお客さんで賑わうらしいのですが、なるほど、こんな綺麗な海なら私も是非とも潜ってみたいものです。


 
緑島は台東から約33kmほど離れた絶海の孤島であるため、その地理的特徴によって「流刑の島」として使われてきた暗い歴史があります。現在も島内には刑務所がありますが、かつて国民党政権が戒厳令を敷いていたころ(戦後から80年代まで)、この島は政治犯を収容する監獄や思想矯正施設が設けられ、一般人の渡航が制限されていました。
島北部の海岸は奇岩の多い風光明媚な景色が続いているのですが、そんな奇岩のひとつである「将軍岩」を臨む場所に芝生の公園が広がっています。円形の大きなモニュメントが印象的なこの公園は「人権記念公園」。円形のホールの壁には白色テロによって迫害され緑島に収容された人々の名前が刻まれています。また公園の東側にある高い塀に囲まれた建物は「緑洲山荘」と称する政治犯の監獄跡です。この他にも一帯には政治犯収容関連施設が残されており、すべては「緑島人権文化園区」として一体的に整備され、二度と繰り返してはならない戒厳令時代の歴史を後世へ伝えています。
今回の緑島紀行では、朝日温泉と並んでこの政治犯収容施設跡の見学が大きな目的でしたので、次回記事でこの施設に関して述べさせていただきます。


 
「緑島人権文化園区」エリアを抜け、坂道を登って島の東海岸へと向かいます。


●島の東海岸
 
東側の海岸を臨む丘の上を走っていると、突如として赤い楼門が現れました。門には「観音洞」と記されています。ということは、観音様が祀られている鍾乳洞なのでしょうか。スクーターをとめ、門を潜って通路を進んでゆくと、予想通り、鍾乳洞へ入る階段が奥へと続いていました。


 
階段を下った先には、のっぺらぼうの石筍と思しきものが屹立しており、そこには「観音菩薩聖尊」という看板が立てられていました。このツルンとした石筍が御本尊なのですね。天然の鍾乳洞とはいえ、さすがは中華圏ですから、紅色の装飾で派手やかに彩られており、洞内にはお線香の煙が漂っていました。


 
この鍾乳洞には魚卵のような形状をした石灰岩があるらしく、台湾では非常に珍しいのだそうですが、それを知ったのは帰国後のこと。下調べをしない状態で訪問してしまったので、私は現地でそんなことに気づくこともなく、「鍾乳洞としては大して面白くなくないな」なんて失礼な感想を抱いたまま、観音洞を後にしてしまいました。多くの観光地は、たとえ一見退屈に思える光景であっても、予習をすることによって見方が変わり、深い関心と印象を抱き、旅そのものの充実度も増すのですが、全ての対象について調べることなんてできるはずもなく、もしできるような才能と時間と造詣があれば、今頃私は世間も驚く碩学の大家になっていただろうから、現状でどう考えても月並みの凡人であるということは、そんな予習を自分に期待する方が間違っているんだと、この文章を綴りながら己の人間としての限界を悟っております。


 

閑話休題。観音洞から「環島公路」をちょっと南下すると、海岸へ下る脇道が逸れていたので、ちょっと寄り道することに。
ジグザグの急坂を下りきったところで舗装路が尽き、岩礁と断崖の間に挟まれた小さな平坦地へ歩道が伸びていたので、そこでスクーターをとめて歩道を進んでみたのですが、歩道のまわりには屋根からゴロゴロと崩れ落ちた複数の廃墟が無残な姿を晒しており、幽霊の1体や2体が現れても不思議ではないような光景が広がっていました。この海岸は柚子湖という集落で、島にある集落の中でも古くから生活が営まれており、台東県の観光パンフレットによれば、珊瑚礁岩で作られた伝統的な民家がこの集落の特徴的な光景らしいのですが、私が実際に見た印象ではその特徴はことごとく廃墟と化しており、夕方に近づくにつれて太陽が早々に断崖の向こう側(山側)へ姿を消してしまうため、島の東に面しているこの海岸は早々に影に覆われて暗くなり、ますます不気味に感じられたのでした。でも海岸自体は大変美しいので、集落跡地が太陽で明るく照らされる時間帯に訪れたら、また違った印象を抱けるのかもしれません。
しばしば「旅は行き当たりばったりに限る」と仰る方がいますが、必ずしもそんなことはなく、少なくとも陰って薄暗くなった柚子湖に限って言えば、太陽が燦々と輝いている時間帯に訪ねるべきだと断言してよいでしょう。何がなんでも偶然が良いだなんて粋がっている場合ではありません。半可通丸出しです。


 
歩道から波打ち際に出てサンゴ礁岩の磯を歩いていると、足元のあちこちにサンゴの跡を発見しました。さきほど訪れた観音洞の石灰岩は、こうした岩が陸地化し、地下水や風雨によって溶かさることによって出来上がったのでしょうね。


 

柚子湖から坂を登って「環島公路」へ戻り、再び時計回りの方向へ進んでゆくと、こんもり盛り上がった地形が海へ突き出ており、その尾根上に歩道が整備されていたので、その歩道を辿ってみることにしました。綺麗な弧線を描く入江は海参坪と称し、この海参坪付近の海に浮かぶ大きな岩はパグ犬や眠れる美女に例えられているんだそうですが、どれが犬でどれが美女なのかな。ここでその譬え表現に異論を挟むことはやめておきます。


 
尾根道のどん詰まりには、東屋が建つ見晴らしの良い展望台(観景亭)になっており、島の東海岸を一望することができました。岩礁にぶつかってできる白波が、青と緑の景色にアクセントを与え、清々しい色調のトリコロールを形成しています。右も左もひたすら同じような海岸線が続き、正面を向くと太平洋の大海原が果てしなく広がるばかり。高台から海洋を眺めているので、海がわずかに地球の形の沿って円弧を描いてるように見えます。
潮風にあたりながら東屋で休んでいると、崖の下の方から茶色く大きな物体が上がってくるではありませんか。なにかを思って柵から身を乗り出してその方向を見下ろしたところ、2頭のヤギが崖の草を食んでおり、ヤギ達は草を求めて崖を上がってきたのでした。飼われているのか野良なのかわかりませんが、よほど人馴れしているのか、ヤギ達は私の姿を確認しても一瞥するだけで、ひたすら食事に没頭していました。ヤギはいる。でも人はいない。展望台から眺める景色に人家がない・・・。この展望台から眺める景色は、単に美しいのみならず、緑島において人々の営みは島の西側、つまり台湾本島に向いている方へ集中しているということを教えてくれます。


 
ワインディングが続く島東側の「環島公路」を南下してゆくと、島の南部で海べりへ向かって一気に下ります。そして、いくつかの小さな集落を通過すると、やがて「朝日温泉」へたどり着きます。なお「朝日温泉」に関しては前回記事で触れております。


●南寮へ戻ってきました
前回記事で述べたように、私は「朝日温泉」で入浴しながら、洋上にあがる満月を仰ぎ見たのですが、離島という土地柄、飲食店は夜の早い時間に閉まってしまうと推測されるので、呑気にいつまでも露天風呂に浸かっていると、夕食を食べそびれてしまいます。そこで後ろ髪を引かれる思いで夜7時半頃に温泉を出発し、「環島公路」を約30分ほど北上して、当記事冒頭で紹介した島の中心である南寮へ戻ってきました。



南寮へ戻ってきたのは夜8時頃。最大の集落であっても、シーズンオフ且つ夜という時間帯なので、商店街は案の定しんと静まり返っていました。とはいえ、飲食店はまだ何軒か開いていたので、どんな料理をいただけるのかという選択の余地が残されていました。


 
せっかく海の幸に恵まれた島にやって来たのですから、上画像に写っている魚介専門の食堂へ入ってみることにしました。注文したのは、台湾名物魯肉飯のマグロバージョン(一般的な魯肉飯は豚肉ですが、その代わりにマグロを使ったもの)、三杯魚(揚げた魚を三杯酢で味付けしたもの)、そして青菜の炒め物です。なかなかの美味でしたよ。


●緑島における電動スクーターについて
冒頭で申し上げたように、私は宿泊先の民宿で手配してもらった電動スクーターを借りて、島内を移動しました。島内には専門業者が営業しているので、私のように宿を介さなくても、直接業者を訪ねれば利用できるかと思います。なお私の場合は24時間で500元でした。
詳しいことはわからないのですが、どうやら電動スクーターは法律上自転車として扱われているらしく、免許不要で運転できてしまいます。この電動スクーターは、外観は一般的な(ガソリンエンジンで動く)スクーターとほとんど同じ。起動時はイグニッション(かぎ)を回し、ブレーキを握ってスタートボタンを押すと走行可能状態になります。つまり起動方法も一般的なスクーターとほとんど同じです。免許不要で運転できる乗り物なのに、平坦な場所ではフルスロットルで50km/h以上のスピードが出ちゃいます。一方、エンジンの代わりにモーターで動くので走行音が静かなのですが、モーターは如何せん非力なので、急な登り坂だと止まりそうになってしまい、特にワインディングと坂がつづく島の東部では登り坂でしばしば徒歩並みのスピードにまで落ちてしまいました。おそらくテレ朝の深夜に放送されている「全力坂」で駆け上がっている若い女性タレント達の方が速いはずです。
充電に関しては、バッテリーをまるごと交換することになります。乗っているスクーターの充電残量が少なくなった場合は、電動スクーター業者のバッテリーステーションへ行きます。ステーションの店内には充電済みのバッテリーがたくさん陳列されていますので、スクーターのシート下にセッティングされているバッテリーを、店内のフル充電済みのものと交換し、使用済みのバッテリーを店内の指定場所へ置いておくだけでOK。誰でも簡単かつ短時間に交換できちゃいます。レンタル料金にはバッテリー交換代金も含まれているらしく、時間内なら何度交換しても大丈夫のようです。

利用する上で問題になってくるのが、フル充電したバッテリーの走行可能距離(航続距離)。私の実体験ですと、フル充電のバッテリーで緑島1周半相当の距離を走ることができました。つまり30km程度しかもたないのでしょう。でも(私の知る限り)各業者のバッテリーステーションは南寮地区にしかありませんので、島を一周したり、あるいはバッテリー交換ができない島の南東部(朝日温泉など)へ向かう場合は、余裕を持って早めにバッテリーを交換しておく必要があります(残量50%でも交換しておくべきです)。充電残量25%程度で朝日温泉から南寮へ帰るのは相当厳しいかと思われます。またバッテリーステーションは夜になると閉まってしまうので、夜間や早朝に行動する場合も、早めの交換が必須です。


さて次回記事では、当記事でも立ち寄った政治犯収容所跡に関して触れます。

次回に続く
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台東県 緑島1泊2日 その2 朝日温泉

2017年08月06日 | 台湾
前回記事の続編です。

 
宿泊先で電動スクータを借り、島を周回する海岸沿いの道路を走って、今回緑島へ渡った主目的である朝日温泉へ向かいました。緑島でも一応路線バスが運行されており、朝日温泉にもバス停があるのですが、シーズンオフは午前2便と午後2便しか走らないため、今回の旅では時間に束縛されず行動できるレンタルの電動スクーターを利用しました(電動スクーターは免許不要で利用することが可能です)。なおバスの時刻は緑島郷公所公式サイト内にある「公車資訊」のページでご確認ください(観光シーズンの夏には午前5便、午後6便運行されるようです)。

今回の緑島1泊2日旅行では、島に到着した日の夕方、そして翌朝の計2回、この温泉を利用しました。今回の記事では夕方から日没にかけて訪問した際の画像をメインに使いますが、一部翌朝撮ったものも織り交ぜながら書き綴ってまいります(翌朝の画像に関しては、キャプションでその旨を記します)。


 
私は島の中心部である南寮地区の北部、空港付近にある民宿に泊まったのですが、その宿からスクーターで朝日温泉までは約30分。温泉の周囲には何もなく、ちょっと先に小さな集落がある程度です。島の周回道路沿いにあり、温泉マークとともに大きく温泉名が記された看板が立っているので、ここへ来れば絶対に見逃すことがありません。


 
窓口で料金を支払い構内へ入ります。ゲートの左側にはちょっとした売店が設けられていました。周囲にはこれといったお店がないため、この売店は貴重な存在です。
(右or下の売店の画像は翌朝撮りました)


 
シャワールーム(兼更衣室)の前にはコインロッカーがたくさん設置されており、耐塩仕様なのか金属光沢むき出しのステンレス製なのですが、ステンレスとはいえ潮風吹き晒しという環境ではさすがに錆びてしまうらしく、使用停止になっているものや、錆びてカギが回りにくいものも多数見られましたので、ここを使用する場合は、よく見て状態の良いものを選びましょう。男女別のシャワールームはなかなかの広さで、室内にはドライヤーも用意されていました。なお朝日温泉は全ての浴槽で男女共用ですから、入浴の際には水着が必須です。


 
構内は古代ローマの遺跡を思わせるようなモニュメントが立てられていたのですが、公園整備に際してはどのようなコンセプトが企画立案されたのでしょうか。
またモニュメントの近くには足湯が設けられていましたが、あいにくこの日は空っぽでした。シーズンオフにはお湯が抜かれちゃうのでしょうか。


 
観光ガイドの類で朝日温泉が取り上げられる場合、必ずと言って良いほど紹介されるのが、波打ち際に設けられた円形の海底温泉です。サンゴの岩礁の中から温泉が湧いていて、干潮時には円形の浴槽にお湯が溜まって入浴ができるというものであり、朝日温泉を象徴する浴槽です。しかしながら、ここ数年は高潮による危険性を理由として、干潮満潮を問わず全面的に立入禁止となっており、私が訪れた時にも白波に洗われて、とても近づける状況ではありませんでした。


 
翌朝に再訪した時、波打ち際の海底温泉は引き潮で完全に姿を露呈させていましたが、それでも立入禁止でした。よく見ると浴槽の中は空に近い状態のようですね。朝日温泉のシンボルであるこの海底温泉は、もう二度と使えないのでしょうか。


 
海底温泉付近からサンゴ礁の磯に沿って伸びる砂浜を歩くと、源泉と思しき施設を発見。後述する各槽にはここからお湯が引かれているのかな。


 
さらにその奥へ行くと、砂浜や岩礁の境界付近にポツンと低い塔のようなものが立っており、近づいてみますと温泉たまごをつくる槽でした。近づくだけでものすごい熱気が感じられたので、温度計を差し込んで見たら、なんと90.1℃という超高温が表示されました。おそらく源泉での湧出温度とほぼ同じかと思われますが、火山らしきものは全くないのに、こんな高温なお湯が湧出するだなんて、実に不思議ですね。


 

地中海域の古代遺跡を連想させるようなモニュメントに囲まれる形で、海底温泉を臨むテラスに設けられている四角い屋根付きの浴槽は、無色透明の高温な温泉が張られている浴槽です。屋根を支える4本の柱のうち1本に石積みの湯口があり、そこから火傷しそうなほど熱いお湯がチョロチョロと注がれていました。加水の有無はわかりませんが、熱いとはいえ、さきほどの温泉卵槽よりは低いので、何らかの形で冷ましてから供給しているようです。それでも吐出時点では高温であるため、投入量は絞られており、そうした諸々の調整によって、湯加減は43℃前後になっていました。


 
海底温泉に入れない現状で、朝日温泉の主役となる浴槽は上画像の露天温泉プールです。大海原を臨む海岸に曲線を描く大きなプールが複数設けられているのですが、まともな湯加減の温泉浴槽は中央のまん丸い槽だけで、それ以外は水風呂だったりぬるいお湯だったりと、温泉を期待すると肩透かしを食らうような状況。しかも地形に沿って段々に設けられているプールのうち、下部の一番広い部分は空っぽ。せっかく立派なプールを活かしきれていないようでした。この日はシーズンオフでしたから、客に供用するプールを意図的に減らしていたのかもしれません。



ネガティヴなことを申し上げてしまいましたが、実際に入って見ると長湯仕様の若干ぬるいお湯で、しかも入浴しながら海原を眺められるため、開放的なロケーションがすっかり気に入り、時間を忘れてひたすらこの浴槽に入り続けてしまいました。ぬるめとはいえ、海水とほぼかわらない塩分濃度のしょっぱいお湯ですから、長湯しているとどうしても火照ってしまいます。そんな場合はプールサイドに上がって潮風に当たるか、あるいは水風呂のプールに入れば爽快にクールダウンできます。なんだかんだで、朝日温泉を満喫してしまった私。つい調子に乗って自分撮りしてしまいました(上画像で両腕を上げているのは私です)。塩分が濃いため、入浴していると体が浮くような感覚も得られます。


 
屋外に設けられた各浴槽のほか、露天プールの丘側に建てられた浴舎の中には内湯もあり、L字形の大きな浴槽には41℃の温泉が張られていました。日本で言うところの岩風呂みたいな雰囲気なのですが、プールとしての設計思想が強いのか全体的に深めの造りになっており、腰を下ろしてゆっくり湯浴みするような構造ではなかったように思います。また浴槽側面のあちこちから熱いお湯が供給されているため、壁にもたれかかろうとすると背中が熱くてゆっくりできませんでした。



この内湯には沖撃湯(打たせ湯)が設けられており、関節がぶっ飛びそうになるほどの強さでドバドバとお湯を落として来れます。この強い勢いの打たせ湯は台湾ではお馴染みですね。その勢いを目にするとはじめは怖いかもしれませんが、実際に肩や腰に当てると気持ちよいんです。日本にも台湾くらいに強い打たせ湯が欲しいなぁ。


 
露天プール中央の浴槽で海を眺めながらぼんやり長湯し続けていたら、いつの間にやら日が暮れて、海面から満月が上がってきました。海面近くの低い位置に雲がかかっていたため、上がった月はとまもなく雲の向こうに隠れてしまいましたが、しばらくその場で待っていたら、やがて月は再び雲の上に再び姿を現し、白波立つ海原と静かな温泉プールをあまねく皓々と照らしました。大海原を感じられる日中の朝日温泉も良いのですが、お月様や星空を仰ぎ見られる夜も素敵です。

なお「朝日温泉」という名前のように、この温泉は島の東側の海岸に位置しているため、早朝に行けば海原から上がってくる日の出を拝むことができるんだとか。でも私が旅した日は曇っていたため、日の出を見ながら湯浴み、という夢のような楽しみ方はできませんでした。こればかりは運次第ですから致し方ありませんね。でも入浴しながら海原に上がる満月を眺められたのですから、それだけでも十分満足です。私にとっては「朝日温泉」ではなく「望月温泉」となったわけですね。



GPS座標:22.63685, 121.50412
台東県緑島郷公館村温泉路167号

6:00〜24:00
200元
ロッカー(有料10元)・ドライヤーあり

私の好み:★★+0.5
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台東県 緑島1泊2日 その1 船で島へ渡る

2017年08月05日 | 台湾
拙ブログではこれまで台湾各地のいろんな温泉を紹介してまいりました。もちろんその全ては私が自分で行ったところばかりなのですが、そんな私がひたすら訪問を先送りにしてきた有名温泉地があります。それは台東県緑島の朝日温泉です。なぜ今まで行こうとしなかったのか。その理由は、ひとつの温泉のためだけに島へ渡るのが面倒ですし、温泉を取り上げたグラビアなどを見てもそれほど惹かれなかったから。しかも最近は朝日温泉の象徴的存在である海底温泉が立入禁止になっているらしいので、余計に足が遠のいていました。でも、喰わず嫌いをしていては道が拓けないので、重い腰を起こして行ってみることにしました。


 
まずは台東駅前からタクシーで、船の発着場所である富岡漁港へと向かいます。後述するように台東駅前から路線バスでアクセスすることも可能ですが、時間的な制約があるため、今回は敢えてタクシーを利用しました。タクシーの運転手に「富岡漁港 綠島」と書いたメモを見せれば大丈夫。駅前から15分ほどで富岡漁港に到着。画像に写っている白い建物は、緑島や蘭嶼へ向かう船の待合所です。



待合所の目の前には路線バスの停留所があり、台東駅前から普悠瑪客運の「陸海空快線」に乗れば、30分ほどでこのバス停へ到達できます。台東のバスターミナル(台東轉運站)から乗る場合は、同じ「陸海空快線」のほか、鼎東客運(海線)のバスも利用可能です。各バス会社とも悠遊卡などのICカードが使えます。バスの時刻に関しては各社の公式サイトのほか、台東轉運站の公式サイトでご確認ください。



船の出航まではまだ時間があり、チケットの窓口も開いていなかったので、漁港前の食堂で昼食を摂ることにしました。


 
漁港の岸壁に沿って屋台の食堂が並んでおり、店頭には鮮魚がたくさん並んでいます。


 
数ある食堂の中から私が選んだのは、鯉のぼりなどが飾られていたこのお店。名前はわかりません。鮮魚は店頭のほか冷蔵ケースにも並べられており、私が注文をすると、板さんは冷蔵ケースから魚を取り出して、柳刃包丁で捌いてくれました。


 
板さんが捌いていたのはカンパチのお刺身。脂がのっていて美味でしたよ。このほかアラのスープも一緒にいただきましたが、スープは臭み消しの生姜が強すぎて、せっかくのアラの旨味が薄れていたような気がするなぁ…。


 
さて、腹を満たしたところで、船の待合室に戻り、窓口でチケットを購入します。緑島の観光シーズンである夏には1日5便(往復)ほど運行されるようですが、私が訪れたの3月はシーズンオフであり、閑散期には1日2便に減便されてしまいます。船に乗れなければ旅程が台無しになってしまうため、念のため私は宿泊先の民宿に連絡して船の予約をお願いしておきましたが、実際に乗船したら空席がかなりありましたので、閑散期で少人数の利用なら当日に予約なしで購入しても大丈夫だと思います。
窓口では予約してある旨を告げ、民宿名や自分の名前を書いたメモ、そしてパスポートを提示し、現金460元を払ってチケットを入手しました。
もしご自身で船のチケットを予約したい場合は「船遊網」で検索してください(ただし繁体字中文のみ)。夏の観光シーズン(繁忙期)には予約しておいた方がいいかもしれません。なお、このサイトは時刻検索のみの利用も可能です。


 
待合室でしばらく待機。スタッフのおじさんの掛け声をきっかけに、乗船客は停泊している漁船を横目にしながら、自分の脚で船着き場まで歩きます。


 
列に並んでいざ乗船。白いボディーの船の名前は「緑島之星2号」。その名前からして、いかにも台湾らしい船に見えますが・・・


 
この船は元々、和歌山と徳島を結んでいた南海フェリーの高速船「あるご」。2002年に高速船が廃止された後、台湾へ売却された中古船です。船内には「三井造船株式会社 玉野事業所 1992年建造」と記されたプレートが掲示されていました。瀬戸内海でつくられ、紀伊水道を何度も往復した後、南国台湾で第二の人生ならぬ船生を送っているのですね。


 
船内には「シートナンバー B・C」という表示が日本語のまま残っていました。南海フェリー時代は座席が指定されていたのかもしれませんが、現在は任意の席に座れるので、この掲示に何の意味もありません。座席にはビニール袋がたくさん用意されているのですが(もちろん船酔い対策)、それだけこの船は揺れるということなのでしょうか。


 
上層階は「貴賓室」なんだそうですが、私は普通のチケットを購入しているため1階席を利用しました。NTTドコモの船舶公衆電話が設置されていた跡は掲示だけが残り、スタッフの帽子や道具類などが置かれていました。


 
注意書きや非常時の心得なども日本語のまま残っていました(もちろん、繁体字中文による表記も掲示されています)。


 
富岡港を13:30に出航。乗船率は6割ほどでしょうか。お昼過ぎの便ですが、この日はこれが最終便なので、もし乗り過ごしたらアウト。島へ渡れません。
シーズンオフの緑島観光は、船の時間に大きく左右されるのですね。



高速船は大海原を勢い良く東へと進みます。この日は大きな波こそありませんでしたが、外洋のためにうねりが大きく、上下にかなり揺れました。私は船酔いに比較的強いので問題ありませんでしたが、人によっては酔ってしまうかもしれません。実際にビニール袋を使っているお客さんが数名いらっしゃいました。私としては船の揺れより、冷房の強さに参ってしまい、思わず荷物から上着を取り出して羽織り、腕を組んで寒さを怺えるのに必死でした。体の保温がなんとか確保できると、今度は眠気に襲われ、気づけば夢の中・・・。


 
ぐっすり寝ていたら、いつのまにか窓の外に突堤が見えました。富岡を出発してから約50分で緑島に到着です。台東では晴れていた空が、緑島へ着くころには曇天に変わり、しかも小雨がぱらつきはじめました。雨男としての自分の運の悪さを恨むばかりです。


 
船着き場では下船客と出迎える人が交錯してゴチャゴチャしていたのですが、そんな人波の間を縫いながら進んでゆくと、この日にお世話になる民宿のおばちゃんが迎えに来てくれていました。送迎車に乗って宿へと向かいます。

次回記事へ続く
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