京都の長岡京市会議員の小原明大(おはらあきひろ)です。九小・三中・西乙・神戸大卒。ツイッター・FBもお願いします。
おっはー!



書けました!!
応援ありがとうございました!!


今回の一般質問のテーマは、

1.学童保育について

・目的と効果について
・長八小の大規模化について


2.下水道使用料について

・国の値上げ方針への所見
・本市としての特性・背景・市民生活等に配慮する考え方について


3.阪急新駅について

・進捗状況について
・事業の前提について

です。
原稿を事前に行政に出しておいて、答弁を考えといてもらいます。当日はそれを聞いて、再質問→再答弁。ここはガチンコの対決となります。

たぶん31日(木)の2時半~3時半くらいから開始ではないかと。
お暇があれば、傍聴に来てください。とてもラフなかっこうのおっちゃんとか来たはりますので、お気軽に。

ポイント:「行政の子育て支援のコストは長い目で見ればペイできる」

睡眠1時間なんで、寝ます・・・
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こんばんは。
あすから9月議会です。

一般質問が、一文字も書けてません。(注:明日やるわけではない)

しかも今日は、党事務所で宿直。レッドブル片手に、
どこまで行けるか。

次の更新は、原稿書けた日と思います。(^^;)では・・。

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とうとつですが、ご近所が苦手です。
玄関から出て、お隣さんが表に出てはったら、緊張します。

なにしろ、世帯主でもない「小原さんの息子はん」です。
子ども会のとき以来、お付き合いが皆無です。
市職員の時代も、顔もごく一部しか知らないし会釈すらしてたか・・

そんな奴がいきなり「市会に出ます」ですから。
何やねん、と誰もが思うでしょう。



受かったからといって、いきなり自治会とかに顔出していいのか。地域の代表みたいな顔していいのか。これまで皆さんでつくってきた会に波風をたてるだけでは・・・

などなど、いらんことばかり考え、ウジウジしています。

また、「昼間から家にいてるけど勉強してるんだよ」「朝帰りだけど宿直だったんだよ」など、聞こえもしないのに心の中で弁解をしています。



・・そんなときに、党長九支部で「水署名、あんたの近所でやらんでどこでやるねん」と言われ、ご近所一帯に署名に入ることに。

めっちゃビビリながらピンポンしていったのですが・・。




おお、書いてくれる。


ぎくしゃくした会話しかできてなかった方から、「水ホントに高いよね」「水道代下がるんやったらするわ」

ぜったい保守やろうと思うオッチャンが、「ここら水うまかったんや。共産党は文句言ってるだけと思ったけど良い事もするねんな。

まえ敬語だったオバチャンが、「お母さん郵便局にいはってお世話なってんねん。」



ちょっと感動しました。やっぱり、願いは同じ。高すぎる水道料に、党派もなんもない。

これまで、「あいつ偉そうに言うだけ言うて何にもやっとらへん。」と思われてると勝手に思ってました。

でも、今は少なくとも、近所の人に対して「利用できるときは利用してください」という存在には、なれると思った。



議員には元来、あんまり向いてないんです。

ネットではエラソウでも、実態は小心者。
「ああ、今日の自分、何も役に立ってない。この世に存在してる意味ない」とかよく思ってる。

でも今日は良かった。こんな日を重ねてゆきたい。

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今日は、さくっと、お知らせです。

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■仲良し親子、あつまれ!
 手づくり de ハンバーガー

 日時:  8月19日(土) 11:30~
 場所:  大山崎ふるさとセンターにて

 ホットプレートでハンバーグを作り、好きな具を好きなだけ挟む!そのあと参議院予定候補の成宮まり子さんを囲んでおしゃべり!

 参加費: 400円(中学生以下200円)


 日本共産党乙訓子育て後援会の企画です。
 送迎もします。材料の準備もあるので、参加は事前に私にでもお知らせください。



■長九「九条の会」1周年例会
  長九校区にも戦争があった

 日時: 8月20日(日) 14:00~16:00
 場所: バンビオ1号館 4階 交流室2


 神足在住の、溝口宏さんのお話を聞きます。

 昭和2年生まれの溝口さんは、学徒動員先の舞鶴で空襲にあい、仲間を失いました。その後「京都空襲を記録する会」で、神足の空襲などをコツコツ記録してきました。

 神足の空襲では、日本輸送機への機銃掃射で、当時19歳の女性が亡くなりました。市は空襲の弾痕の残る煙突を模した記念碑をつくり、空襲のあった7月19日を「平和の日」と定めています。

 その他、憲法をめぐる情勢報告や、フリートークもあります。夏休みの自由研究にもいいかも??溝口先生は九小・三中・神足小などでもお話をされてますので、難しくないです。

 お気軽にお越しください。

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小泉首相が靖国参拝しました。
日本共産党は、志位委員長が抗議のコメントを出しています。


首相は「憲法違反ではない」「公約だ」などゴチャゴチャ言っていますが、問題は靖国神社がどういう神社であるかです。


私が6月に靖国神社で買ってきた「遊就館図録」には、こう書いています。

61年前に終結した15年戦争について、

「我国の自存自衛のため・・皮膚の色とは関係ない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦ひがございました」 (靖国神社宮司“ご挨拶”)


また、「侵略」という言葉はナシ。開戦の原因については、

「日中和平を拒否する中国側の意志があった。・・広大な国土全域を戦場として、日本を疲弊させる道を選んだ」

「資源に乏しい日本を、(アメリカが)禁輸で追い詰めて開戦を強要」

アメリカが禁輸したのは、中国侵略への制裁としてだろ!!


しかもヒキョーなんですよ!

「米国政府は、国内の反対をおさえて積極的に介入し、日本孤立化の外交戦略を展開した」
「満州問題が日本封じ込めの手段であった」

という内容が、日本文では書いてるのに英文では削除されているのです!


靖国神社宮司は、「日本の近代史の真実を明らかにする」のが靖国神社の使命だと言っています。
このような戦争賛美・無反省神社に首相が参拝するのでは、内外から非難されて当然です。



私が靖国に行ったとき感じた違和感は、「一面的」なところです。何かぬけおちているという不安感です。

「木口小平は、死ぬまでラッパを放しませんでした」「肉弾三勇士は、自爆して突破口を開きました」などなど、美談が山とあります。

それはそれで、「戦争は悲惨だな」という感想にはなるのですが、その戦争を起こした国自体が正しかったのかどうかは論外にされています。(ていうか、ほかのところに「正しい」と書いてある)



また、靖国神社でまつってもらえるのは、基本的には戦場でちゃんと戦って散った兵士だけです。

戦いの場にもたどり着けずに死んだ兵士や、広島長崎はじめ空襲で亡くなった国民、日本軍に殺されたアジアの人たちについては、なんにもありません。(広島長崎の記述なんか、1行ずつですよ・・・)

小泉首相は、「2度と戦争をしない決意をこめて参拝した」などと言っていますが、それには最もふさわしくない神社です。



靖国神社になど行かなくても、国主催で、戦没者追悼式をしています。これは一般市民も対象です。不戦の決意の表明には、こちらの方がふさわしいと思います。

首相はここで、「アジアの人々に多大な苦痛を与えた」とあいさつしました。

これが靖国神社なら、アジアの人たちのことを、「多大な苦痛」じゃなくて、「聖戦の貴い犠牲」と言うでしょう。

参拝は、首相のよそでの姿勢ともあいいれません。行ったことは撤回できなくとも、謝ったらどうでしょうか。

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6日の朝。式典で混まぬうちに祈りをと、5時に起きて平和公園へ。
このように公園に向かうご遺族の姿が、ちらほら見かけられました。


5時では遅すぎたようで、ご遺族より報道の方が多いくらい・・
インタビューされたら困る~と、そそくさと去る。(自意識過剰)

けっきょく、本川のほとりの、石碑で手を合わしてきました。数千人の地区住民を荼毘に付し埋葬した地だそうです。


折り鶴をおさめる場所に、こんな掲示が。放火事件のせいです。悲しい。

長岡京市のは見当たりませんでした。全国から集まる折り鶴は、どこへ行くのだろう?ハンパな数じゃないはず・・


帰りに、残念な風景。

原爆ドームのすぐ近くに、高層マンション建設中。反対運動がおこなわれています。


原爆ドームから日の丸?いいえ、道を挟んだ向かいの商工会議所ビルです。

広原もりあきさんがこんな感じのことを言っていました。
「100年かかっても規制を。100年後の景観を守るために、あきらめてはならない」


ピンクとグレーのシマシマのマンションってどうよ・・


ほかに思ったことは。

式典の行われている公園内では、広島市民と被爆者が中心であり、外の人間は静かに祈らせてもらうのが本来ではないでしょうか。



原水禁大会は6回目ですが、ひっかかっていたことがありました。
広島の人はどう思っているか?ということ。

原水協という全国組織が主催しているので、全国から来るのは当然ですが、広島の人の参加が比較的少ないのです。

海外代表の招請や、運営費をまかなうので、参加費がけっこうかかり、現地の人が気軽に参加できるものではないのです。



今回、被爆者に直接お話しする機会があり、たずねました。「原水禁どう思いますか?」

「広島の人間は、8月になると心がうずく。いきどおり、悲しみ・・あの日を境に人生が変わってしまった。」

「だから、若いころは6日をもっと静かに迎えさせてほしいと思っていた。しかし今は、全国の人がヒロシマを考えてくれて、ありがたいと思う。」


ほんとうに救われた言葉でした。
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原水爆禁止世界大会は、約8千人の参加、海外政府代表やNGOの参加を得て、盛会でした。

4日には、原爆症認定訴訟の広島地裁での41人全員勝訴というニュースが入り、みんなで喜び合いました。



今回は、各地の青年で班を組んで被爆者を訪問し、少人数で被爆体験を聞くことができました。

「継承する」ことが大きなテーマとなりました。

必死でメモをとりました。

しかし、それが全てではない。
言葉などにはとても表せない、もっと悲惨なできごとがあったはずだ。また、言葉を聞いても、私たちの想像はまったく現実には及んでいないのではないか。

けっきょく、いくら懸命にメモしても、体験をそのまま語りつぐことなど、むりではないかと思いました。



でも、その中で大事だと思ったのは。

初めて体験を語られる被爆者でした。
直接被爆ではないこともあり、わりとサラっと話されます。

しかし、懸命にその話から、当時の痛み、苦しみを想像しようとする人の輪ができていました。



今、決定的にこの「痛み」を想像することが欠けているのではないか。

たとえば、このブログでもずいぶん北朝鮮がどうのという論議がありました。

「やられる前にやる」論は、完全に北朝鮮の国民の立場を思うことをシャットアウトしています。たとえ「日本の安全の方が優先される」と考えてのことだとしても。

「わかりっこない」「優先順位が低い」「考えてもしかたがない」などの理由で、ひとの痛みを想像することをやめてしまっていないか。



被爆者は、「平和をどう考えますか?」の問いに、「朝起きて、生きてるな、と感じられる幸せ」とおっしゃいました。

これは、「痛みを知る者」だからこその答えではないかと思いました。

ひとの痛みを無視したり、仕方ないと切りすてたりしている一方での平和や幸せなど、ありえない。

たとえば北朝鮮に先制攻撃して、日本の安全が守られたとします。しかしそれで本当にいいのか。
国内でも、格差あたりまえ、貧しいのは本人の自己責任といった論が横行しています。

しかし、ひとの痛みに目を向けないということは、自分の痛みにも目を向けてくれないということです。

被爆者の思い、生き方の「継承」の根本は、「痛み」に目をそらそうとしないことだと感じました。



民青同盟企画のバスツアーで行きました。帰りに、一人ずつ感想を交流しました。

ある青年が、
「小学校の同級生が、白血病で亡くなったと聞いた。そいつのことが思い出せなかった。
今回広島で、被爆者が放射線障害で白血病になったと聞き、今まで単なる知識だったことが、きゅうにリアルに感じた。
なぜ、亡くならなければならなかったのか。なぜ、自分はその重さをわかってなかったのか・・」


すすり泣きながら話し、反戦の決意にひときわ大きな拍手がおこった。


「そんなこと言ったって戦争なんだし原爆投下されても仕方ない」とか「済んだこと深入りしてもムダ」とか言われるかもしれない。

でも、そんなことを言うのではなく、青年が人間らしい認識の成長をすることを喜び合う、そんな人の輪が好きだし、それを守りたいと思う。


だから自分は、単なる一員でいるだけでなく、広げる先頭にたつ、議員という役割を選んだ。ひとの成長や幸せを、素直に喜べる社会にしたいと思う。

そんなことを思った、原水禁大会だった。

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亀田戦を観たわけでもないですが、各種報道やブログを見ると、他人事なのにいたたまれない気持ちでいっぱいです。


もし不正だったら。


自分が亀田だったら、イヤすぎて死にそう。


もし自分が、選管の不正で200票くらい増やしてくれてたとしたら、たとえ自分が頼んだわけではなくても、耐えられないと思う。(そんなんに例えなくていいか。)


なにしろ、これから常に、「負けたくせに不正で世界王者になった奴」という目で見られてると思いながら過ごすんです。
でも、今までどおりのしゃべりやパフォーマンスを通さなければならない。(まあ彼は私のような小心者ではないでしょうが)


「どう考えても負けや。王者は返還や。」
と言うと、まわりの色んな人に迷惑がかかる。

「次スッキリと勝ったらいいんや。」
と言っても、相手がランダエタじゃないなら王者とはいえない。

「判定納得いかん。ランダエタ、再戦や。」
と言っても、再戦までけっきょく王者を名乗るなら、それもずるい気がする。


本人の意図そっちのけで、取り返しのつかない泥沼にはまっているのではないか・・?

やっぱり「返還」がいさぎよくて、私たちも「よくぞ!」と思えるのではないか。なにしろ今の社会が、ズルして金もうける奴が多すぎるから・・・



さて。

4日~6日と、原水爆禁止世界大会へ行ってきます。また更新やレス遅れますが、すみません。

行く前に、知識を入れとこうと思って、ちょいと学習しました。



いま、世界には1万発をこえる核兵器が実戦配備されています。
米露は5千ずつ、英仏中は3ケタ、印パは2ケタ、イスラエルは75~200とか。


しかし、国連での決議は、「核廃絶の明確な約束の確認」について153対5で採択。(ちなみに国連の第1号決議は、核廃絶でした。)

ローマ法王庁も、「核抑止力ではなく核廃絶」を明言しています。

世界平和市長会議は「2020年までの核廃絶をめざす決意」を決議し、1400都市・・サンフランシスコやニューヨーク、カルカッタ、テヘラン、ラホール、エルサレム、ロンドン、パリ、モスクワ、北京などが入っています。



やはり、核持っていい国とあかん国があるのがおかしい。すべての国が核なくす方向で具体的に成果を上げていくように、世界的に盛り上げる必要があります。

1950年の、核禁止をうたったストックホルムアピール署名は、5億筆が集まったそうです。ふたたび波をおこしましょう。



被爆61年ということは、今おられる被爆者はその人生のほとんどを、核兵器の脅威を伝えて生きてこられたといえます。二度と人類に同じ惨禍が起こらないように。

自分だけで精いっぱいの格差社会の中にあって、その不屈さ、人のために生きる姿。それを目の当たりにすることは、体験を聞くこと以上に大事なものを教わると思います。

ではでは。クリックお願いします→

あれ?平和市長会議は、日本は広島長崎だけ?なぜ・・?

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先月末は東京視察と名古屋の自治体学校をハシゴし、その後数十軒の「赤旗」集金に奔走。
更新がおくれて、すみませんでした。

集金に行くと、「議員やのにわざわざ・・」と言ってくれるありがたい方もいますが、人手がないんですよ。(党員募集中!!

それに、毎月読者と話をするのが楽しみです。いっつも「まあ入れや」と言ってくれるオッチャンも・・

昨日は、
「志位委員長がマスコミの前で、小泉に『北朝鮮連れて行ってください!一緒に横田さん返してもらいましょう!』と言ったら絶対断れへんし、それで連れ帰ってみい、みんな共産党見直すで」
とか、2時間半も論じてました・・
おくさんや子供さんは、どう思ったはるやろ・・



前置き長いすね。

きょうは、立命館平和ミュージアムで毎年行われている、「平和のための戦争展」に行ってきました。(~6日、9:30~16:30)

そこで、「市民版6カ国協議」をしていました。留学生や在日の学生などが話をするのです。



在日の学生の話が印象的でした。

ミサイルのことは何も知る立場ではなく、当惑。しかし、マスコミの報道ぶりは辟易。もっと、北朝鮮という国がなぜこうなってきたのか、歴史的背景などを伝えてほしい。
(すごくいいかげんな思い出し書きなので、これで責めないでください)


それはそうだなと思いました。

そもそも日本の植民地化、それに続く米ソによる分割、朝鮮戦争。そんな不幸な時代のなかで、軍事力しか信用できないという意識が形成されていった。さらにソ連崩壊で孤立を深める。朝鮮戦争は終戦すらできていない(講和条約が未締結)。

今の一瞬だけを、日本人の価値観だけで見て、「どうしようもない国家、悪の巣窟」などと言っていないか。



6月の「九条の会全国交流会」のあと、韓国の留学生が言ってました。 「日本は最近になって急に、北朝鮮やばいと叫び始めて、韓国は不審に思っている。北朝鮮は60年前から隣にあったのに」

別に北朝鮮の肩を持つのではなく、最良の結果をもたらすには、これまでの経過をふまえて、お互いの立場から考えるのはあたり前です。



今のマスコミなどによるバッシング。気持ちはわかるが、それが何を生み出すのか。

北朝鮮が日本と国交を回復して、交流が始まって、自由の風がもたらされて国民の意識が変わってくる。そして民主化を求める声が強まり、国のあり方も変わってくる。

これが最も、お互いにとってベストな道ではないか。どんな局面でも、それを第一に目指した動き方をすべきではないか。


マスコミは仕方ないかもしれませんが、政治をやる人は、「結局どうしたいのか」のために動いてほしい。メンツとか国民ウケとかじゃなく。

まさか、「日本が軍事強化してアメリカと一体になれたら、北朝鮮との関係などどうでもよい」ではないでしょうね?

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戦死した兵の軍服。この中に生身の人間がいたんだ・・

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