写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

ミシン目

2017年10月03日 | 生活・ニュース

 我が家には、私が子供のころから母が使っていた足踏み式のミシンがある。退職した直後、分解まではしなかったが、必要な個所に油を注ぎ、傷んでいた革製の駆動ベルトも新しいものに取り換え、いつでも使えるようにしておいた。

 その後、何の問題もなく使うことができている。ミシン目の大きさや、上下の糸の張り具合はネジを回すだけでちゃんと調節ができるようになっているが、糸の太さや布の厚さなどが変わったときには、微調整しなければきれいなミシン目は作れない。

 そんな「ミシン目」であるが、縫い目ではない所でお目にかかることがある。切り離しやすいように、紙に入れた連続した小穴のことも「ミシン目」といい、映画館や美術館などの入場券には、このミシン目が入っていて、入り口で半券はミシン目を境にして簡単にもぎ取られる。

 こんなことからに「ミシン目」とは、比喩的に、一体であったものが、いくつかに割れる徴候や分裂の可能性を表現するときに使われることがある。辞書を引いてみると、具体的な用法として「党内にミシン目が走る」などと使う、と書いてある。

 そんな用法に、どんぴしゃり当てはまるようなことが民進党内で繰り広げられている。希望の党への参加に向け、協議を行っていた民進党が分裂した。もともと憲法や安全保障観が大きく異なる議員が同居していて、まとまりを欠く集団であった。

 今朝の毎日新聞の社説には「この分裂はやむを得ない」という見出しで「希望の党への参加をきっかけに、そのミシン目が一気に亀裂を広げた」と表現している。まさに「ミシン目」の適切な使い方をしている。

 改めて紙に入れられた「ミシン目」をよく見ると、何もしなければ1枚の紙であるが、ほんの少し力を入れるだけで、その個所からきれいに破れて2枚の紙になる。民進党も「希望の党」と「立憲民主党」という2つの党に分裂はしたが、今までの左右ごちゃまぜ、他人丼のような党に比べると、はるかに分かり易くなった。

 大義無き衆院選挙だが、これを機会に政党が分かり易く再編されたという大きな効果があった。いろいろ話題は豊富であるが、同じ保守といっても、安倍一強に対して「改革保守」という対立軸もできた。「こいつら、素人の集まりだ」と頭からバカにしないでほしい。最初はみんな素人なのだから、温かいまなざしで育ててやろうという包容力も必要な気がする。