東京に住んでいるT君が、会社の同期会に参加するため岩国にやってきた。私が入社した翌年、係りは異なったが同じ課に入ってきた後輩である。翌朝、ホテルから「今日時間は空いていませんか? よければSさんがケアハウスに入っていると聞いたので、訪問してみたいと思うのですが、一緒に行ってみませんか」と電話をかけてきた。
Sさんは私が入社した時、係りは違ったが色々とお世話になった人であるが、T君は席を並べて公私ともに面倒を見てもらった大先輩である。私が定年となった後しばらく続いていた年賀状の交換も、10年前から途絶えたままになっていた。
Sさんは数年前に奥さんを亡くした。市内に住む娘さんの助けを受けながらひとりで生活をしている時、階段を踏み外して頭を強く打ち手足が少し不自由となって半年間リハビリ入院をした。完全復活とはいかないが、手押し車を押してゆっくり歩けるまでになったので退院し、娘夫婦の住む家のすぐ近くにあるケアハウスに入所しているとのことであった。
早速一緒に訪問してみることにした。ナビをセットし、10km車を走らせると、郊外にある大きく立派なケアハウスに到着した。あらかじめ、娘婿に連絡をしておき、施設の玄関口で合流した。娘婿といっても、現役時代はSさんの部下であった。中に入ると丁度昼食が終わった時間で、自分の部屋で昼寝の最中であった。
十数年ぶりに見る顔であったが、まだリハビリ中とは言いながらも、スポーツマンであった昔の通りの元気な様子である。年齢を聞いてびっくりした。「まだ90歳だ」と笑い飛ばす。頭もしっかりしている。しばらく昔話をしていたとき娘婿に「ゴルフのスコアカードを出してくれ」といって引き出しを指差す。好きだったゴルフのスコアカードを束にして大事に保管している。
「80過ぎてエイジシューターを記録した」と少し自慢そうな顔をする。 自分の年齢以下のスコアで18ホールを終了したプレーヤーのことであるが、とてつもなく難しいことで知られている。「それはすごい」と拍手をすると、小鼻を膨らませて嬉しそうな笑顔を返してくれる。
人は皆、年をとり体が不自由になっても、自分の人生で輝いていたころを心の糧にして生きている。それを聞かせてもらう、聞いてあげることがより若い者の役割であろうと思いながら別れを告げた。大先輩を前にして、傾聴ボランティアの真似ごとをさせてもらった若輩であった。