古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

福岡県北九州市・円光寺古墳

2019-05-25 05:59:24 | Weblog
福岡県北九州市小倉南区中曽根3-6-3、浄土真宗・円光寺の境内下にありました。
今は埋没していて、その墳形を見ることはできません。
荒神森古墳の南約250mのところです。









全長約42m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。

平成16年、本堂建設に伴い発掘調査が行われています。
調査の結果、後円部北西側から武人埴輪・馬形埴輪・家形埴輪などが、後円部南東側からは家形埴輪が、前方部西側隅角からが猪形埴輪の鼻の部分が出土しています。
墳丘上からは須恵器も出土しています。
埋葬施設は未調査のためはっきりしていません。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。


「丸山古墳」
北九州市小倉南区中曽根3-2にありました。
円光寺古墳のすぐ近くです。
全長約50mの前方後円墳で、円筒埴輪が出土しています。
円光寺古墳同様、6世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和4年~5年ころに消滅したとのことでしたが、戦時中・曾根飛行場が建設され完全に削平されてしまったそうです。
その際鉄刀などが出土したと伝えられています。
現在は住宅地になっていて、その面影は残っていません。

福岡県北九州市・荒神森古墳

2019-05-25 05:27:03 | Weblog
福岡県北九州市小倉南区中曽根3-1-32、周防灘を望む(かっては.....)砂丘上に築かれています。

全長68m、 後円部径41m・高さ8m、 前方部先端幅41m・高さ5.5m  三段構築の前方後円墳です。
後円部が大きく前方部が短い特徴があります。
本古墳の東南側にはトントンの森・カンカンの森と呼ばれていた2基、北側にもう1基の計3基の陪塚があったそうですが今は消滅しています。
前方部には「浮津島神社」の社殿が建っています。




北九州市最大の前方後円墳です。











円筒埴輪や朝顔形埴輪・切妻造家形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
墳丘の周りには前方後円形をした周濠があります。


                 (奥が前方部)

                 (奥が後円部)

周濠の外側には周堤があり、円筒埴輪が並べられていたようです。
平成14年の調査で、北西側の周堤から人物埴輪2体が出土しています。

1体は顔部分だけで頭部頂に髷のある「力士」で、北九州市では初めての発見だそうです。
内部主体部は未調査につき不明です。

古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。


                 (かわご石)


                 (境内社・・・八坂神社)

東京都台東区・摺鉢山古墳

2019-05-18 06:15:03 | Weblog
東京都台東区上野公園5丁目の上野台(武蔵野台地末端の舌状台地)にあります。
上野公園・東京文化会館の裏で正岡子規記念野球場の南側です。
JR上野駅から徒歩5分ほどのところです。
「天神山古墳」と呼ばれることもあります。

全長70m、 後円部径43m・高さ5m、 前方部先端幅23m・高さ2m  二段構築の前方後円墳です。
前方部がかなり低くなっています。

発掘調査が行われていないため、埋葬施設がどんなものかは不明です。
葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や須恵器などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。


                 (後円部)


(前方部)












この古墳の名前の由来は、その形状が擂鉢を伏せた形に似ていることから名付けられたそうです。
後円部墳丘上は平坦になっていて、前方部も含めかなり削平されています。
かって墳丘上に五条天神(1487年・文明19年)が鎮座、また1631年・寛永8年には清水観音堂が建立されたためです。
現在後円部には石製のベンチも置かれ、休憩所になっています。




古墳時代後期の築造と推定されています。

この古墳は史跡指定されていません。

東京都文京区・富士神社古墳

2019-05-18 05:34:30 | Weblog
東京都文京区本駒込5-7-20の台地縁辺、「六義園」南東の富士神社境内にあります。

全長45m、 後円部径?m・高さ5.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
後円部墳丘上には富士神社の社殿が建っていて、大きく削平されています。
そのため古墳の面影はほとんどありません。

               (左後円部、右前方部)

発掘調査は行われていないようです。
埴輪や土師器が出土したといわれていますが、資料がほとんどなく詳細は不明です。

墳丘斜面には富士山麓から運んだ溶岩や、加賀鳶を始めとする鳶職の人が建てた「火消し組」の石碑が多数並べられています。


江戸時代中期以降「富士塚」ブームが起きていて、この古墳も富士塚に改造されたようです。
墳丘を富士山に見立てた山のうえに拝殿があります。
社殿は第二次大戦の空襲で焼失後、鉄筋コンクリート製で戦後再建されたものです。

               (後円部墳丘上です)


地元では「お富士さん」として親しまれているそうです。
ちなみに祭神は「木花咲耶姫命」です。


                 (盗掘坑or風穴?)


                 (後円部・・・社殿裏)



                 (前方部)



                (前方部への階段)


               (道路に墳形の名残が.....)

東京都世田谷区・野毛大塚古墳

2019-05-11 05:44:02 | Weblog
東京都世田谷区野毛1丁目36の玉川野毛町公園内にあります。
多摩川の支流、谷沢川が浸食してできた等々力渓谷の脇になります。
東急大井町線・等々力駅から徒歩10分ほどのところです。
「上野毛古墳」とか「西岡8号墳」とも呼ばれています。

全長82m、 後円部径68m・高さ10m、 前方部先端幅28m・高さ2m  後円部三段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部が極端に低くて小さい特徴があります。





前方部脇には長さ・幅ともに10m、高さ約1mの造り出しがあります。





墳丘は平坦な地面に盛土をして築かれていて、復元整備のうえ平成5年から公開されています。











墳丘の周りには最大幅約13m、深さ約2mの馬蹄形をした周濠があります。
墳丘には多摩川の川原石を使った葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・形象埴輪(壺・家・鶏・盾)などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
造り出し部からは柵形埴輪も出土しています。
周濠からは、高坏などの土師器が採取されています。

埋葬施設が後円部墳頂に4基確認されています。







後円部中央にある埋葬施設は、粘土槨に割竹形木棺が収められていました。
内行花文鏡、長方板革綴短甲、三角板革綴短甲、頸甲、肩甲、鉄剣、大刀、鉄鏃、刀子、鉄鎌、銅釧、石製模造品、臼玉、堅櫛などが出土しています。
南東側にある埋葬施設には箱形石棺で埋葬されていました。
刀剣、鉄鏃、臼玉、ガラス製小玉、石製模造品などが出土しています。
北西側には2基の組合式箱形木棺が収められていました。
鉄剣、鉄斧、鉄鏃、鉄鎌、刀子、石製模造品、玉類などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀初めころの築造と推定されています。

昭和50年2月6日、東京都の史跡に指定されています。


東京都大田区・宝萊山古墳

2019-05-04 05:48:00 | Weblog
東京都大田区田園調布4丁目4、多摩川台公園西端の標高37.5m付近にあります。
「西岡37号墳」とか「蓬莱塚古墳」と呼ばれることもあります。

全長約97m、 後円部径52m・高さ11m、 前方部先端幅38m・高さ8m  前方部二段・後円部三段構築の前方後円墳です。
前方部を東南方向に向けています。
亀甲山古墳の前方部と向き合う位置に造られています。


                (右が前方部)

(後円部)













                (手前右が後円部)

埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
後円部中央にある埋葬施設は、粘土槨に割竹形木棺で埋葬されていました。
昭和9年、後円部の土取り工事の際発見されたものです。
粘土槨の長さが2.1m、幅が0.8mあります。
倭製四獣鏡1、硬玉製勾玉4、碧玉製管玉67、ガラス製丸玉173、ガラス製小玉392、紡錘車形碧玉製品1、鉄剣身残欠5、直刀残欠7、ヤリ形鉄器残欠5、刀子1 などが出土しています。
平成7年の公園整備に伴う確認調査で、前方部にも埋葬施設のあることが推定できたそうです。

前方部の先端が撥状に広がる形から、古墳時代前期・4世紀前半頃の築造と推定されています。


大正15年4月に東京都の史跡に、平成8年3月18日に種別を変更して再指定されています。

荏原古墳群を構成していて、この地域最古の前方後円墳です。

かって墳丘上には、あの有名な建築家「ライト氏」が設計した邸宅が建っていたそうです。




東京都大田区・多摩川台1号墳

2019-05-04 05:21:47 | Weblog
東京都大田区田園調布1丁目の多摩川台公園にあります。
東急・多摩川駅近く、徒歩10分ほどのところです。
「西岡45号墳」とも呼ばれています。
亀甲山古墳前方部のすぐ前です。

全長39m、 後円部径19.5m・高さ5m、 前方部先端幅17m・高さ2.7m  の前方後円墳です。


               (右手前後円部・左奥前方部)

墳丘の周りには幅2mほどの前方後円形をした周濠があります。
円筒埴輪や形象埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は二つ確認されています。
後円部中央にある埋葬施設は、横穴式石室です。
前方部にある埋葬施設は、竪穴式礫槨です。
鉄鏃、堤瓶や横瓶・高坏などの須恵器、土師器などが出土しています。
この古墳は、6世紀前半に築造された多摩川台古墳群2号墳を前方部に改造して利用し、1号墳を後円部とする1基の前方後円墳として、6世紀後半に築造されたものです。

多摩川台古墳群を構成しています。