茨城県土浦市手野町大塚、新治台地の縁辺部・霞ヶ浦に面した手野丘陵南端にあります。
后塚古墳の南側、薬王寺付属墓地を挟んで100mほどのところです。
馬頭観世音菩薩の石碑後ろです。
全長84m、 後円部径44m・高さ7.5m、 前方部先端幅13m・高さ2.5m 柄鏡形の前方後円墳です。
(後円部に登る道)
後円部墳頂は平坦で広く、小さな祠(天満宮)が祀ってあります。
前方部は極端に低くて細い(長さは42m)古式様相を呈しています。
くびれ部は古墳周回道路で切断された状態です。
(左前方部、右後円部)
未調査の古墳です。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土もありません。
古墳時代前期・3世紀から4世紀初めころの築造と推定されています。
昭和46年7月13日、土浦市の史跡に指定されています。
后塚古墳の南側、薬王寺付属墓地を挟んで100mほどのところです。
馬頭観世音菩薩の石碑後ろです。
全長84m、 後円部径44m・高さ7.5m、 前方部先端幅13m・高さ2.5m 柄鏡形の前方後円墳です。
(後円部に登る道)
後円部墳頂は平坦で広く、小さな祠(天満宮)が祀ってあります。
前方部は極端に低くて細い(長さは42m)古式様相を呈しています。
くびれ部は古墳周回道路で切断された状態です。
(左前方部、右後円部)
未調査の古墳です。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土もありません。
古墳時代前期・3世紀から4世紀初めころの築造と推定されています。
昭和46年7月13日、土浦市の史跡に指定されています。