古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

茨城県土浦市・王塚古墳

2019-09-28 05:58:50 | Weblog
茨城県土浦市手野町大塚、新治台地の縁辺部・霞ヶ浦に面した手野丘陵南端にあります。
后塚古墳の南側、薬王寺付属墓地を挟んで100mほどのところです。
馬頭観世音菩薩の石碑後ろです。


全長84m、 後円部径44m・高さ7.5m、 前方部先端幅13m・高さ2.5m  柄鏡形の前方後円墳です。






                (後円部に登る道)









後円部墳頂は平坦で広く、小さな祠(天満宮)が祀ってあります。


前方部は極端に低くて細い(長さは42m)古式様相を呈しています。






くびれ部は古墳周回道路で切断された状態です。

               (左前方部、右後円部)

未調査の古墳です。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土もありません。

古墳時代前期・3世紀から4世紀初めころの築造と推定されています。

昭和46年7月13日、土浦市の史跡に指定されています。

茨城県土浦市・后塚古墳

2019-09-28 05:38:08 | Weblog
茨城県土浦市手野町後塚2148-1、薬王寺墓地の西側にあります。

全長65m、 後方部一辺長35~40m・高さ5.5m、 前方部先端幅20m・高さ?m  の前方後方墳です
前方部が未発達の古式の様相をしています。



(奥が前方部)










(後方部)












墳丘の周りには周濠があります。
葺石や埴輪の配列はなかったようです。

平成1年5月1日、土浦市の史跡に指定されています。


古墳時代中期・4世紀末から5世紀前半頃の築造と推定されています。

茨城県土浦市・ひさご塚古墳

2019-09-21 05:37:49 | Weblog
茨城県土浦市大岩田字毛上地、内根神社のすぐ北側にあります。
内根神社には土浦市指定の彫刻「石造浮彫如意輪観音像」が安置されているそうです。





全長約22m、 後円部径15m・高さ4m、 前方部先端幅7m・高さ3m  の前方後円墳です。
後円部・前方部の高さはほとんど同じです。
ただ前方部は削平されています。

馬形埴輪が出土したと伝えられています。
資料が少なくそのほかの詳細は不明です。


                 (右が前方部)

(後円部)








(前方部)





茨城県美浦村・白籏石尊古墳

2019-09-14 05:37:47 | Weblog
茨城県稲敷郡美浦村木原2207、北に霞ケ浦を望む標高約24mの台地上にあります。
「日本テキサス・インスツルメンツ(株)美浦工場」の前(敷地内)です。
「木原白籏古墳群2号墳」とも呼ばれています。

全長約55m、 後円部径約30m・高さ6m、 前方部先端幅約25m・高さ5m  の前方後円墳です。





(後円部)








(前方部)








南側くびれ部に造出状の遺構があります。
円筒埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
発掘調査が行われていないため、埋葬施設がどのようなものかははっきりしていません。
ただ後円部墳頂に「石尊大権現」の板碑があり、その石材が本古墳から出土した箱形石棺の一部を利用した可能性があるそうです。




このことからこの古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀代の築造と推定されています。

平成10年9月10日、美浦村の史跡に指定されています。

「石尊大権現」
神奈川県伊勢原市大山の山頂にある「阿夫利神社」のご神体です。
護国豊穣の神様として古くから庶民の信仰を集め、また雨乞い祈願の神社(阿夫利とは「雨ふり」から転訛したものです。)としても有名だそうです。

茨城県美浦村・愛宕山古墳

2019-09-07 05:48:03 | Weblog
茨城県稲敷郡美浦村木原1512、霞ケ浦南岸の台地上にあります。
「美浦村農林業トレーニングセンター」そばです。
墳丘上には愛宕神社の社殿が建っています。





社殿周りには「隔夜念仏」や「青面金剛尊」・「十九夜塔」・「如意輪観音」などの石仏が祀られています。







「木原白籏古墳群1号墳」とも呼ばれています。

全長81m、 後円部径67m・高さ7m、 前方部先端幅38m・高さ3m  二段構築の前方後円墳です。











ただ前方部が道路で削られていて、本来は全長100m以上あったといわれています。
その前方部は北方向(筑波山)を向いていて、幅が狭くなっています。


墳丘に埴輪の配列がなされていたかどうかは、はっきりしていません。
埋葬施設がどんなものだったのかはっきりしていませんが、鳥居下の石段に石棺の一部(板石)とみられる石材が使用されています。


古墳時代後期・5世紀代の築造と推定されています。

平成5年3月1日、美浦村の史跡に指定されています。