古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

静岡県磐田市・松林山古墳

2016-10-29 08:53:11 | Weblog
静岡県磐田市新貝1556-1、磐田原台地の南東部にあります。
神明中学校の北側、「うさぎ山公園」のそばです。


                  (左に見える線路は東海道新幹線です)


                 (後円部ー右側にうさぎ山公園があります)


             (後円部への登道)


                       (前方部)

全長116.4m、 後円部径66.5m・高さ10.6m、 前方部先端幅30m・高さ3m  二段構築の前方後円墳です。
ただ昭和36年と平成元年の調査で、後円部には円壇が積み上げられて三段としていることが判明しています。
前方部はかって茶畑として利用されていたため削平を受けています。

後円部の側面から前方部にかけて、幅10mの周濠が廻っています。
墳丘には円礫による葺石が施されています。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

発掘調査が1931年(昭和6年)に行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、頂上から2.6mほど下にある竪穴式石室です。
板状割石でつくられた石室は、全長が7.9m、幅0.75m~1.3m、高さ1.6mあります。
中国製内行花文鏡、倭製内行花文鏡、中国製二神二獣鏡、倭製四獣鏡、碧玉製勾玉、碧玉製管玉、碧玉製石釧、水字貝製釧、巴形銅器、碧玉製琴柱形、鉄剣、大刀、直刀、鉄鉾、銅鏃、鉄鏃、革綴短甲、鎌、ヤリガンナ、斧、鑿 などが出土しています。
その後円部には発掘後に立てられた「発掘の記念塔」があります。




古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

御厨古墳群を構成していて、古墳群中最大の前方後円墳です。

静岡県磐田市・稲荷山古墳

2016-10-29 08:24:46 | Weblog
静岡県磐田市新貝の「三白山連城寺」の裏山にあります。
「連城寺6号墳」とも呼ばれています。
「三白山連城寺」の寺伝によると、平重盛が遠江守の時に建立したと伝えられているそうです。
墓地には平清盛と平重盛の供養塔があります。

全長46.5m、 後円部径29.5m・高さ7.5m、 前方部先端幅18m・高さ3m  二段構築の前方後円墳です。







墳丘には葺石が施されていたとみられています。
壺形埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。







この稲荷山古墳がある独立丘陵には、静岡県内で4番目に大きい円墳(径50m)・秋葉山古墳もあります。
ここにはかって4基の古墳があったそうです。
平成15年9月4日、御厨古墳群として国の史跡に指定されています。


「御厨古墳群」
磐田原台地の南東部、新貝・鎌田地区にある5基からなる古墳群です。
前方後円墳3基、円墳2基で構成されています。
(前方後円墳)
   稲荷山古墳、松林山古墳、御厨堂山古墳
(円墳)
   秋葉山古墳、高根山古墳

またこの古墳群の南には、明治時代の東海道線工事で消滅した「経塚古墳」・・・静岡県の有形文化財に指定されている三角縁四神四獣鏡が出土・・・がありました。

静岡県磐田市・新豊院山2号墳

2016-10-22 08:45:05 | Weblog
静岡県磐田市向笠竹之内中原の丘陵尾根上にあります。
新豊院山1号墳の西隣です。
「新豊院山D2号墳」とも呼ばれています。

全長34.3m、 後円部径23.7m・高さ5.7m、 前方部先端幅20m・高さ2.3m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を北西に向けています。
その前方部は先端がバチ形に開いています。











昭和55年から56年(1980~1981)にかけて発掘調査が行われています。
墳丘に葺石は施されていなかったものとみられます。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
後円部中央にある埋葬施設は、粘土と円礫を交互に積み上げた竪穴式石室で組合式木棺が収められていました。
石室は全長5m、幅1m、高さ0.7m あります。
石室内から中国製吾作銘四神四獣鏡・鉄剣・鉄刀・鉄槍・柳葉式銅鏃・短刀・刀子 などが、墓壙内からは小型素文鏡・三角峰式銅鏃・鉄鏃 などが出土しています。
中国製吾作銘四神四獣鏡には「この鏡を持つものは長命で子孫が繁栄する」という意味の28文字(「吾作竟自有紀 壁去不羊宜古市 上有東王父西王母 令人長命多孫子」)からなる銘文が記されているそうです。

古墳時代前期・4世紀中葉の築造と推定されています。

昭和62年7月3日、新豊院山古墳群として国の史跡に指定されています。

静岡県磐田市・新豊院山1号墳

2016-10-22 08:19:13 | Weblog
静岡県磐田市向笠竹之内中原の丘陵尾根上にあります。
天竜川と太田川に挟まれた磐田原台地の東縁辺部にある、標高約70mほどの小丘陵です。
曹洞宗 鷲渓山 新豊院 の裏山(北側)です。








                        (後方部)


                   (前方部から後方部を見ています)


                   (後方部から前方部を見ています)

全長33.5m、 後方部一辺長20m・高さ5.5m、 前方部先端幅9.5m・高さ?m  の前方後方墳です。
前方部を東に向けています。
ただこの1号墳は前方後円墳の可能性もあるそうです。

葺石は施されていなかったようです。
主体部の発掘は行われてなく、そのため副葬品や出土品については不明です。

古墳時代前期の築造と推定されています。

昭和62年7月3日、新豊院山古墳群として国の史跡に指定されています。


「新豊院山古墳群」
   弥生時代中期から古墳時代前期にかけての墳墓群です。
   その時代の墓の移り変わりを知ることができる貴重な遺跡です。
   前方後円墳1基、前方後方(円)墳1基、方形台状墓1基で構成されています。
   昭和55年9月~57年3月にかけて発掘調査が行われています。

静岡県磐田市・小銚子塚古墳

2016-10-15 08:45:57 | Weblog
静岡県磐田市寺谷2208、磐田原台地の北西縁部にあります。
「寺谷銚子塚古墳」の後円部西側に接しています。


                     (手前が前方部、奥が後方部)


                         (前方部)


                         (後方部)







全長47m、 後方部一辺長29.21m・高さ7m、 前方部先端幅25m・高さ3m  の前方後方墳です。
静岡県下で5基しかない前方後方墳の一つです。
前方部を東に向けています。

墳丘の周りには幅9.3mの周濠があります。
前方部で寺谷銚子塚古墳の周濠と重複しています。
未調査につき埋葬施設を含むその他については不明です。

古墳時代前期・4世紀中頃から後半頃の築造と推定されています。

昭和31年11月7日、寺谷銚子塚古墳とともに(付けたしとして)国の史跡に指定されています。

静岡県磐田市・寺谷銚子塚古墳

2016-10-15 08:18:43 | Weblog
静岡県磐田市寺谷2208、天竜川を臨む磐田原台地の北西縁部にあります。
寺谷浄水場の北隣です。
「銚子塚古墳群5号墳」とも呼ばれています。




                         (後円部)


                         (奥が前方部)





全長109.37m、 後円部径58m・高さ9.6m、 前方部先端幅26m・高さ4.5m  の前方後円墳です。
前方部を南南西に向けています。
静岡県下3番目の大きさです。

墳丘の周りには幅14.51mの周濠が、その外側には幅8.4mの周堤があります。


墳丘には葺石が施されていたとみられます。

後円部中央にある埋葬施設は地表下3mにあり、朱の付着した円礫を3m四方に積み上げた礫槨で造られた竪穴式石室です。
明治13年に盗掘を受けています。
盗掘坑からは中国製日月銘三角縁獣文帯三神三獣鏡(直径17cm)、巴形銅器、切子玉、銅鏃2 などが出土しています。

古墳時代前期・4世紀中頃から後半頃の築造と推定されています。

昭和31年11月7日、国の史跡に指定されています。

静岡県磐田市・磐田二子塚古墳

2016-10-08 08:43:26 | Weblog
静岡県磐田市三ケ野、太田川西岸の台地上にあります。
磐田原台地の東端です。
「二ツ塚古墳」とか「二ツ山古墳」と呼ばれることもあります。


                    (左が後円部、右が前方部)


                     (手前が前方部で奥が後円部)




              (後円部)


              (前方部)

全長55m、 後円部径30m・高さ3m、 前方部先端幅33m・高さ4.5m  の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。

墳丘の周りには幅5~8mの周濠があります。
平成7年度に、「東部土地区画整理事業」に伴う周濠の発掘調査が行われています。
円筒埴輪や人物埴輪・馬形埴輪などの形象埴輪が出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
後円部中央にある埋葬施設から明治時代に銅鏡・管玉・馬鐸・鈴付杏葉および菱形杏葉・三環鈴 などが出土しています。
馬鐸・鈴付杏葉・三環鈴は磐田市の文化財に指定されています。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

二子塚古墳公園として整備保存のうえ公開されています。

静岡県磐田市・血松塚古墳

2016-10-08 08:18:19 | Weblog
静岡県磐田市上神増(かみかんぞ)、広大な磐田原台地の最北端にあります。
堂山古墳出土の鞆形埴輪のモニュメントで知られる排水場のすぐ北側です。
「大手内C2号墳」とも呼ばれています。











全長48m、 後円部径28m・高さ5.5m、 前方部先端幅20m・高さ4m  の前方後円墳です。
後円部墳頂には三等三角点の標識が立っています。


その後円部には盗掘坑?とおぼしき窪みがあります。

昭和61年~62年度に静岡県教育委員会の確認調査が行われています。

墳丘の周りには幅約5.7m、深さ1mの周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
円筒埴輪や人物埴輪・馬形埴輪・家形埴輪・甕形土器 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

平成17年11月21日、磐田市の史跡に指定されています。

血松塚古墳の名前の由来は、古墳頂上に生えていた大きな松の木をある人物が切り倒そうとしたところ、その松から血のようなものが流れ出たとの言い伝えから来ているそうです。

静岡県掛川市・吉岡大塚古墳

2016-10-01 08:43:43 | Weblog
静岡県掛川市吉岡大塚腰の原野谷川右岸の河岸段丘上にあります。





全長55m、 後円部径41.3m・高さ7.2m、 前方部先端幅27.5m・高さ2.5m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
その前方部の前方一帯は「サカタのタネ」の広い農園が、また後円部を取り巻くように茶畑が広がっています。




墳丘の周りには幅11.4mの周濠があります。
さらにその外側には幅6.9mの周堤があります。




墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は未調査です。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。

和田岡古墳群の一つとして、平成8年3月29日国の史跡に指定されています。
古墳群中3番目に古い古墳で、かつ標高の一番高いところにあります。

静岡県掛川市・行人塚古墳

2016-10-01 08:19:14 | Weblog
静岡県掛川市吉岡女高の原野谷川右岸の台地上にあります。
瓢塚古墳の北西約250mほどの、周りを茶畑に囲まれたところです。










               (右奥に少し見えてる森が瓢塚古墳です)

全長43.7m、 後円部径25.4m・高さ?m、 前方部先端幅16m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平を受けていて円墳状態です。
昭和59年の調査で、前方部を西南西に向ける前方後円墳と判明しました。


墳丘の周りには周濠が廻っていて、前方部先端部分は約2.2mと極端に狭く、そのほかの部分は約10mあります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
埋葬施設については未調査です。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。
ただ埴輪の出土がないことや墳形などから、4世紀代にさかのぼる可能性もあるそうです。

和田岡古墳群として、平成8年3月29日国の史跡に指定されています。