古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

東京都大田区・亀甲(かめのこ)山古墳

2019-04-27 05:37:51 | Weblog
東京都大田区田園調布1丁目63-1、多摩川台公園にあります。
東急・多摩川駅近く、徒歩10分ほどのところです。
「西岡46号墳」とも呼ばれています。



全長107m、 後円部径66m・高さ10m、 前方部先端幅49.5m・高さ7.5m  二段構築の前方後円墳です。
前方部がやや開いた形をしています。
昭和62年(1987年)から平成元年(1989年)にかけて測量調査が行われています。
後円部裾南端部が、調布浄水場の沈殿池工事で一部削平されています。


ちなみに調布浄水場は、大正7年から昭和42年まで周辺に水道水を供給していたそうです。
前方部も一部削平されています。


                 (前方部)



               (右側が後円部)


               (左側が前方部)


                 (後円部)


墳丘に葺石や埴輪の配列は確認されていません。
主体部は未調査につき、どのような構造かはっきりしていません。
盗掘も受けていないそうです。

荏原古墳群を構成していて、その支群である多摩川台古墳群の南側にあります。
古墳群中最大規模の前方後円墳です。
鎌倉時代の古戦場としても知られています。
現在古墳の周りには柵がしてあり、中には入れないようになっています。

古墳時代前期・4世紀末頃の築造と推定されています。

昭和3年2月7日、国の史跡に指定されています。

東京都大田区・浅間神社古墳

2019-04-27 05:16:51 | Weblog
東京都大田区田園調布1丁目の台地上にあります。
東急・多摩川駅の目の前です。

全長60m、 後円部径32m・高さ6~7m、 前方部先端幅30m・高さ4m  二段構築の前方後円墳です。
浅間神社境内にあり、後円部墳丘上には浅間神社の社殿がたっています。
そのため墳丘は削平を受けています。


             (階段を上ったところが後円部)











墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・男子埴輪・女子埴輪・馬形埴輪・猪形埴輪・小鹿形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

多摩川北岸台地上の、大田区田園調布から世田谷区尾山台・等々力・野毛にかけて分布している大小54基ほどからなる荏原古墳群を構成していて、その群れの東端にあります。

古墳時代中期・5世紀末から6世紀初めころにかけての築造と推定されています。

東京都港区・芝丸山古墳

2019-04-19 08:20:33 | Weblog
東京都港区芝公園4-8、都立芝公園内にあります。
標高約16mの台地端にあり、浄土宗大本山「増上寺」の南側です。

             (後円部墳頂からの増上寺遠景)

芝公園は明治6年までは全体が増上寺の境内でしたが、現在は東京都と港区が管理するエリアに分かれています。

全長106m、 後円部径64m・高さ8m、 前方部先端幅40m・高さ6m  の前方後円墳です。
南南西方向を向いてる前方部は、狭くて低くなっています。



                 (前方部先端部)


                 (前方部への石段)

その前方部には、虎の石造(政治家「大野伴睦」の句碑)があります。


東京都内では最大級の前方後円墳です。


            (くびれ部付近から後円部を見ています)


            (くびれ部付近から前方部を見ています)


                 (後円部)

墳丘の周りに周濠が廻っていたかどうかは不明です。
円筒埴輪や人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

くびれ部付近には「円山随身稲荷大明神」が祀られています。


増上寺の裏鬼門に位置するそうで、山内鎮守の重要な位置を占めていたそうです。
この円山随身稲荷大明神は、江戸時代には後円部にあったそうです。
そのため後円部墳頂や後円部西側は大きく削平されています。




現在稲荷社があった所には古墳碑(「瓢形大古墳」と刻まれている)と呼ばれる石碑があります。


明治31年,坪井正五郎博士による調査が行われたそうですが、後円部中央にあったと考えられる埋葬施設(竪穴式石室か?)は消失しており、遺体や副葬品など不明だそうです。
他にも後円部には「伊能忠敬」の遺功表が設置されています。

17年かけて正確な日本地図を製作した人物で、芝(正確には高輪大木戸)が基点地ということで明治22年有志により設置、戦災後の昭和40年に再建されたものだそうです。

古墳時代中期・5世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和54年3月31日、東京都の史跡に指定されています。

栃木県足利市・中日向2号墳

2019-04-13 05:48:08 | Weblog
栃木県足利市瑞穂野町1322の台地上にあります。
「中日向1号墳」のすぐ北東側で、姥川を眼下に見るところです。

全長35m、 後円部径18m・高さ3m、 前方部先端幅16m・高さ2.5m  の前方後円墳です。
前方部を東南方向に向けています。

          (くびれ部付近で、左が後円部・右が前方部)

その前方部は一部ブロック塀で切断されています。












墳丘に埴輪の配列がなされていたか、また葺石が施されていたかなどは不明です。

中日向古墳群を構成しています。
この古墳は、台地の東端部にある前方後円墳2基・円墳3基のうちの1基です。


                 (手前が後円部)




             (奥に見える橋は姥川にかかるもの)

古墳時代後期の築造と推定されています。

昭和58年12月21日、中日向1号墳ともども足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・中日向1号墳

2019-04-13 05:28:08 | Weblog
栃木県足利市瑞穂野町1320の台地上にあります。
「中日向(なかひなた)赤城神社古墳」とも呼ばれています。

全長50~60(現存37)m、 後円部径30m・高さ2.5m、 前方部先端幅23m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
その前方部は道路で切断され、すでに消滅しています。
後円部には南面する赤城神社の社殿が建っています。

















墳丘には埴輪の配列がなされていたようです。

中日向古墳群を構成しています。
瑞穂野町から高松町にかけて広がる台地上に15基以上が残っています。
この古墳はその台地の東端部にある前方後円墳2基・円墳3基のうちの1基です。

古墳時代後期の築造と推定されています。

昭和58年12月21日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・永宝寺裏古墳

2019-04-06 06:23:59 | Weblog
栃木県足利市小曽根町242、足利市の東南端・矢場川北岸の低台地上にあります。
永宝寺本堂裏(北側)です。



小曽根浅間山古墳の東約100mのところです。

全長66m、 後円部径36m・高さ6m、 前方部先端幅23m・高さ6m  二段構築の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。
前方部を西に向けています。


                   (右が前方部)

(後円部)








墳丘の周りには、幅約4m以上・深さ1m以上の周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
南側くびれ部からは須恵器製大甕の破片も出土しています。
後円部にある埋葬施設は、無袖型の横穴式石室です。
南南東方向に開口している石室は、全長6.7m・幅1.6m(奥壁)・高さ1.6m(奥壁)あり、割石積で造られています。
羨道と玄室の間には約60㎝の段差があります。
現在石室入り口は施錠されていますが、お寺の方にお願いすれば開錠していただき内部を見学することができます。
石室から金銅製耳環11個、石製管玉5個、ガラス製小玉200個以上、雲珠の部材、弓飾金具、鉄鏃1点などが出土しています。
金銅製耳環11個が出土していることから、少なくとも6人以上が埋葬されたとみられています。











古墳時代後期・6世紀末頃の築造と推定されています。

昭和61年9月24日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・小曽根浅間山古墳

2019-04-06 05:55:13 | Weblog
栃木県足利市小曽根町掃田、矢場川左岸の平地にあります。
足利市の南端で、墳頂には浅間山神社がたっています。






               (神社裏にたつ稲荷社)

全長58m、 後円部径38m・高さ7m、 前方部先端幅23m・高さ3m  の前方後円墳です。
前方部が低くて短い特徴を持っています。




墳丘は一部削平を受けています。

(後円部)








1986年に調査が行われています。
墳丘の周りには、幅約9~14mの前方後円形をした周濠があります。
墳丘には川原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や器台円筒埴輪・朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は竪穴式石室です。


                    (盗掘坑?)

筑波小学校の南東約200mほどの矢場川左岸に分布する、前方後円墳2基・円墳7基からなる小曽根古墳群を構成しています。

墳丘の形状や、出土した円筒埴輪が縦刷毛で口縁部を受け皿状にし、巴形や方形の透かし孔をもっていることから、古墳時代前期・4世紀中葉頃の築造と推定されています。
藤本観音山古墳ともども前期古墳の特徴を有しています。

平成15年6月20日、足利市の史跡に指定されています。