古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

大阪府高槻市・番山古墳

2008-08-30 09:12:39 | Weblog
大阪府高槻市土室5丁目465の扇状地にあります。
名神高速を挟んで南側には、太田茶臼山古墳(継体天皇陵)があります。
闘鶏山(つげやま)古墳も名神高速沿いに北東方向へすぐです。
墳丘は一部損傷を受けています。
全長90m、 後円部径56m・高さ7m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘の周りには馬蹄形をした周濠があり、半分は今も水を湛えた水濠になっています。
円筒埴輪や三角板式短甲形埴輪・家型埴輪・動物埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
5世紀中頃の築造と推定されています。
墳丘は一部を除いて、はぼ何所からでも観察できます。
古墳の名称を書いた標識が立っています。

大阪府高槻市・芝谷古墳

2008-08-30 08:58:39 | Weblog
大阪府高槻市芝谷町469の丘陵端、芝谷中学校前の芝谷町中央公園内にあります。
公園の半分ほどがグラウンドで、残り半分が芝谷古墳です。
全長50m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。
資料不足で詳しいデータは不明です。
築造時期も古墳時代後期末ではないかと推定されていますが、特定は出来ていません。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
墳丘はほぼ何所からでも観察できますが、フェンスに囲われていますので、登ることは出来ません。

大阪府高槻市・弁天山古墳

2008-08-23 09:29:38 | Weblog
大阪府高槻市南平台3丁目の岡本山古墳の北側、丘陵背梁部にあります。
弁天山B1号墳と呼ばれることもあります。
全長100m、 後円部径70m・高さ12m、 前方部幅50m・高さ7m の前方後円墳です。
墳丘には葺き石は施されていなかったと見られています。
埴輪の出土がなく、墳丘には埴輪の配列はなされていなかったようです。
1965年、測量調査が行われています。
この古墳の築造時期は特定されていませんが、古墳時代後期末頃と推定されています。
古墳は小高い山の上にあり、登れないようにフェンスで囲われているため、墳丘の観察は出来ませんでした。

大阪府高槻市・岡本山古墳

2008-08-23 09:17:49 | Weblog
大阪府高槻市南平台、名神高速の西側にあります。
前塚古墳や今城塚古墳とは名神高速を挟んで対峙する位置です。
弁天山A1号墳と呼ばれることもあります。
全長120m、 後円部径70m・高さ11m、 前方部幅60m・高さ8m 三段構築のばち形をした前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されていました。
埴輪の出土がなく、墳丘には埴輪の配列はなされていなかったようです。
1960年、発掘調査が行われています。
前方部に埋葬施設があり、竪穴式石室があります。
この古墳の築造時期は、箸墓古墳と良く似た撥形の前方部からして、古墳時代のはじめ3世紀末頃と推定されています。
松林に覆われていて、全体像を観察するのは無理な状況です。

大阪府高槻市・昼神車塚古墳

2008-08-16 09:10:52 | Weblog
大阪府高槻市天神町1丁目の丘陵先端部にあります。
JR高槻駅北側出口を出て約5分ほど歩き、国道67号線とぶつかった右側・上宮天満宮への石段そばにあります。
古墳の下を国道67号線が通ることになります。
全長60m、 後円部径30m・高さ8m、 前方部幅33m・高さ7m の前方後円墳です。
古墳は一部破壊されています。
1979年発掘調査が行われています。
埋葬施設は、横穴式石室でしたが今は残っていません。
墳丘には葺き石が施されていたようです。
また円筒埴輪や盾形埴輪、犬形埴輪、猪形埴輪、巫女埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
6世紀前半の築造と推定されています。
道路や住宅のため、一部からしか観察できません。
そばには標識と説明パネル板もあります。

大阪府高槻市・前塚古墳

2008-08-16 08:53:44 | Weblog
大阪府高槻市岡本町33の平坦地にあります。
今城塚古墳から歩いてすぐのところです。
墳丘は一部損傷しています。
全長94m、 後円部径69m・高さ7m、 前方部幅25m・高さ?m の前方後円墳です。
墳丘の周りには前方後円形をした周濠のあとが残っています。
墳丘には葺き石が施こされていました。
円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋形埴輪、家型埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
1991年、発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設には、長持形石棺が埋葬されていました。
倭製鏡、鉄刀、鉄鉾などが出土しています。
古墳時代中期、5世紀中頃の築造と推定されています。
古墳はほぼ何所からでも観察できますが、周りは急速に宅地化が進んでいます。

大阪府高槻市・今城塚古墳

2008-08-09 09:46:18 | Weblog
大阪府高槻市郡家新町659の平坦地にあります。
全長190m、 後円部径100m・高さ10m、 前方部幅148m・高さ12m 三段構築の前方後円墳です。
全国で41番目の大きさを誇る古墳です。
戦国時代、三次長慶が山城を築いたことから古墳の名前が付きました。
墳丘の周りには、周濠(一部池状の水濠が残っています)があります。
くびれ部両側に造り出しがあります。
この古墳は、6世紀前半の築造と推定されていて、真の継体天皇陵というのが通説になっています。
この古墳から西へ約1.6キロメートルのところにある、前回紹介した「太田茶臼山古墳」は「別人の墓」とする説が大勢です。
1976年、国内最大級の家型埴輪が出土して一躍脚光を浴びました。
高さ159センチ、間口82センチ、奥行き57センチもありました。
公園整備のための調査が1997年から進められています。
2002年11月、高槻市教育委員会は、大量の形象埴輪(総数113個)を用いた祭祀跡が見つかったと発表しました。
大王(天皇)の葬送儀礼を知る貴重な資料として注目を集めました。
祭祀跡が見つかったのは、古墳北側にある内濠と外濠を仕切っている内堤の中央部です。
柵(さく)形埴輪を並べて、形象埴輪群を五つの区画に別けていました。何かの場面を再現したような配列になっていたそうです。
幅約18mの内堤には、2列に並んだ約60点の円筒埴輪が、その外側には家型埴輪4点、人物埴輪(武人2点、巫女6点、力士2点など)、動物埴輪(馬1点、ニワトリ1点、水鳥7点など)、太刀6点、盾1点などが出土しました。
復元された家型埴輪は、1976年出土の物より更に大きく、高さ約170センチ、間口110センチ、奥行き80センチにもなるそうです。
神社の屋根に見られる、堅魚木(かつおぎ)や千木(ちぎ)を備えていて、12本の丸い柱が高床を支えるという珍し構造をしているそうです。
古代の王宮を彷彿させる出来とか...
その後、後円部北側からは、横穴式石室の基礎部分と見られる石組みが見つかりました。周りからは、家型石棺の破片や、金属やガラス製の装飾品約620点も見つかっています。
大王墓で、埋葬施設などが発掘調査で確認されたのは初めてで、まさに特筆すべき出来事と思います。宮内庁の陵墓・陵墓参考地の指定を免れたおかげでしょう。
墳丘は、1596年の慶長伏見大地震などにより、現在二段だけが残っています。
国の史跡に指定されています。
古墳は何所からでも観察できます。

大阪府茨木市・太田茶臼山古墳

2008-08-02 09:23:58 | Weblog
大阪府茨木市太田3丁目、名神高速道の南側・藍野病院横にあります。
宮内庁が継体天皇・三島藍野陵として管理しています。
全長226m、 後円部径138m・高さ19m、 前方部幅147m・高さ20m 三段構築の前方後円墳です。
全国20位の巨大古墳です。
墳丘の周りには、今も水を湛えた幅28~33mの周濠があります。
くびれ部両側に造り出し(3.5×34.5m)があります。

この古墳は、研究者の間では「5世紀半ばの古墳」で、531年に没した継体天皇の墓ではないとする説が有力です。
宮内庁は、日本考古学協会などの研究者に対し、1986年外庭の発掘調査の際と、2002年11月、周濠の護岸工事に先立つ発掘調査の現場を公開しています。
墳丘からは円筒埴輪や、朝顔形埴輪、靱形埴輪、冑形埴輪、盾形埴輪、家型埴輪、馬形埴輪、水鳥形埴輪などが大量に出土、またくびれ部からも5~6個の埴輪の底部が一列に並んだ状態で見つかっています。
見学した研究者からは、「埴輪や土器の特徴が5世紀半ばのもので、あらためてこの説が裏付けられた」との意見が大勢を占めたそうです。

ほぼ何所からでも観察できますが、周りが住宅街のため、一部観察しにくいところもあります。