古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

長野県飯田市・宮の前垣外古墳

2017-05-27 06:32:28 | Weblog
長野県飯田市別府、国道153号線バイパス別府交差点の東です。
護老神社の境内内です。



全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を東に向けています。
後円部には石垣で囲われた護老神社の拝殿が建っています。
本殿のあるところが前方部のようですがはっきりしません。











その他資料がほとんどなく詳細は不明です。

長野県飯田市・飯沼雲彩寺古墳

2017-05-27 05:48:48 | Weblog
長野県飯田市上郷飯沼南条3334、雲彩寺の裏にあります。
「南条天神塚古墳」とも呼ばれています。

全長74.5m、 後円部径31m・高さ8.5m、 前方部先端幅39.5m・高さ6m  の前方後円墳です。
前方部を南東方向に向けています。


                        

墳丘の東側は、雲彩寺の建設で一部削平されています。
飯田・下伊那地方最大の前方後円墳です。


                          (後円部)



                      (手前が前方部です)

発掘調査が1985年に行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。
全長13m・幅2.3m・高さ1.6mで、羨道の長さが7.9m、玄室の長さが5.7mあります。
石室は単室構造で、花崗岩の河原石でつくられています。
西北西方向に開口しています。
石室の入り口は、閉塞石でふさがれています。
現在削平を受けた東側に開口している石室は、玄室の奥壁部分で、ここから内部に入ることができます。

                         

                (中央の暗くなっているところが羨道です。)

倭製四鈴銅鏡、単鳳環頭柄頭、鉄鏃、馬鈴、雲珠、杏葉、金環、切子玉、臼玉、銀製丸玉、金銅製丸玉、須恵器 などが出土しています。
ただ現存するのは馬鈴2個と金環1個のみだそうです。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和40年4月1日長野県の史跡に、平成28年10月3日国の史跡に指定されています。

長野県飯田市・北本城古墳

2017-05-20 06:27:50 | Weblog
長野県飯田市座光寺1717-3、座光寺小学校の敷地内の南端にあります。
学校の許可を得て観察させていただきました。







全長24m、 後円部径19m・高さ?m、 前方部先端幅12m・高さ?m  の前方後円墳です。

埴輪や金属器、土師器、須恵器 など多数出土しています。

南に開口している無袖式の横穴式石室があります。
元善光寺の台地先端にあったのを、昭和56年座光寺小学校建築に伴う発掘調査後、現在地に石室のみ移築保存されたものです。
高岡1号墳の石室同様渡来系の石室です。
全長6.3m、幅1.6m、高さ1.5mあります。







古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

長野県飯田市・高岡1号墳

2017-05-20 05:43:49 | Weblog
長野県飯田市座光寺高岡3338-1にあります。


                       (右が前方部)


                       (後円部)


                       (前方部)

全長72.3m、 後円部径41.9m・高さ6.3m、 前方部先端幅40m・高さ8m  の前方後円墳です。
後円部頂に高岡神社の社殿が建っていて、そのため墳丘が削られ低くなっています。



造り出しはありません。
墳丘の周りには、かって水が湛えられていたという周濠があります。
墳丘には葺石が施されています。
円筒埴輪や蓋型埴輪・家形埴輪・人物埴輪・馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部南側に、南西方向に開口している横穴式石室があります。

石室は全長5.6m、幅2.0m、高さ1.7m 花崗岩の割石で造られています。
石室全体が朱で彩色されていたようです。

水晶玉や金環、飾り金具などが出土しています。
朝鮮半島・大邱地方の古墳に似ています。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和35年2月11日、長野県の史跡に指定されています。

高岡古墳群を構成しています。
この古墳群はかって7基あったそうですが、現存するのはこの古墳を含め2基だけです。

平成28年10月3日、飯田古墳群を構成する1基として国の史跡に指定されています。


「飯田古墳群」
天竜川右岸段丘上の南北約10Km,東西約2.5Kmの範囲に分布しています。
5世紀後半から6世紀末にかけて築造された古墳群です。
前方後円墳22基、帆立貝形前方後円墳5基からなります。
その中から13基が平成28年10月3日、国の史跡に指定されました。
 ◎座光寺地区
    高岡1号墳
 ◎上郷地区
    飯沼天神塚(雲彩寺)古墳
 ◎松尾地区
    御射山獅子塚古墳  姫塚古墳  上溝天神塚古墳  おかん塚古墳  水佐代獅子塚古墳
 ◎竜丘地区
    大塚古墳  塚原二子塚古墳  鏡塚古墳(帆立貝形)  鎧塚古墳(帆立貝形)  御猿堂古墳 
    馬背塚古墳
     
  
 

愛知県西尾市・王塚古墳

2017-05-13 08:30:15 | Weblog
愛知県西尾市幡豆町鳥羽入通43の独立丘陵頂にあります。



全長24m、 後円部径14m・高さ2.8m、 前方部先端幅7m・高さ1.25m  の前方後円墳です。
ほぼ良好な状態で残っています。







明治初年ころ盗掘を受けています。
その際金の鈴が出土したと伝えられていますが、現在は行方不明です。
墳頂には石仏を祀った小さな祠があります。





古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和62年11月20日、西尾市(当時の幡豆町)の史跡に指定されています。

なおこの古墳は、円墳の可能性もあるそうです。

愛知県西尾市・吉良八幡山古墳

2017-05-13 08:13:28 | Weblog
愛知県西尾市吉良町岡山八幡22にあります。
岡山八幡社の裏です。



全長66m、 後円部径38m・高さ6.5m、 前方部先端幅17m・高さ2.5m  三段構築の前方後円墳です。
平成5年(1993年)の調査で、前方後円墳と確認されました。
発掘調査は行われていません。
自然の地形を利用して造られていて、前方部が低くなっています。


                (後円部墳頂には三角点の標柱が立っています)









墳丘には葺石が施されています。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
埋葬施設や副葬品については未調査につき不明です。

この古墳の築造時期は、古墳時代前期と推定されています。

平成11年9月10日、愛知県の史跡に指定されています。

愛知県西尾市・正法寺(しょうぼうじ)古墳

2017-05-06 06:21:20 | Weblog
愛知県西尾市吉良町乙川西大山25-3の丘陵上にあります。
正法寺古墳公園内です。
この公園は矢作川の河口部に位置し、1959年の伊勢湾台風で大きな被害を受け放置されていました。
1989年、竹下内閣の「ふるさと創生事業」の一環として再整備されたものです。




                         (右が後円部)


                          (後円部)




                        (奥が前方部)




全長94m、 後円部径65.5m・高さ10m、 前方部先端幅56.5m・高さ7.7m  三段構築の前方後円墳です。
西三河最大の前方後円墳です。

平成13・14年度に発掘調査が行われています。
南側くびれ部に祭壇として使われたとみられる、方形の島状遺構があります。
墳丘には角礫による葺石が施されています。
円筒埴輪や家形埴輪・蓋型埴輪・須恵器製の小型器台 などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設については未調査につき詳細は不明です。

この古墳の築造時期は、古墳時代中期前葉・4世紀後半頃と推定されています。

昭和11年12月16日、国の史跡に指定されています。



なおこの古墳からそう遠くない勝楽寺の東側尾根先端に「岩場古墳」があります。
墳長約30m、中期の帆立貝形前方後円墳です。
円筒棺が出土しています。
残念ながら住職さんに見学を断られ、観察することはかないませんでした。


愛知県安城市・姫小川古墳

2017-05-06 06:02:33 | Weblog
愛知県安城市姫小川町姫40、浅間神社の境内にあります。
「王塚古墳」とも呼ばれています。













全長69m、 後円部径44m・高さ11.5m、 前方部先端幅31.5m・高さ7m  柄鏡式の前方後円墳です。

後円部の北東側から南西側にかけて、幅10m・深さ2mの周濠があります。
造り出しはありません。
浅間神社のある後円部が非常に高く造られています。
それに比べ、碧海台地を利用して造られた前方部は、低くて細長い特徴があります。

墳丘に葺石は施されていません。
埴輪の出土もなく、墳丘に埴輪の配列はなかったようです。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

桜井古墳群を構成していて、二子古墳と並んで古墳群中最も古い古墳の一つです。

昭和2年10月26日、国の史跡に指定されています。