古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県西都市・三財2号墳

2021-04-03 11:24:09 | Weblog
昨年9月末から脊柱部に起因する足と腰の痛みで約2か月入院、現在もリハビリ中です。
また新型コロナウイルス感染防止の観点から、県をまたぐ外出を極力控えるよう要請されていることと相まって、新規の古墳観察ができない状況です。
このような状況下ですが、まだ紹介していなかった何基かの古墳がありましたので、案内したいと思います。

宮崎県西都市下三財亀塚屋敷の台地上にあります。
周りは灌木や竹・雑草などが生い茂っていて、古墳の場所もはっきりしなく近づくことさえ容易ではありません。





全長51m、 後円部径30m・高さ2.2m、 前方部先端幅?m・高さ1.2m  の前方後円墳です。
墳丘には葺石が施されていたようです。
埴輪の配列はなかったようです。

築造時期は不明です。
三財古墳群を構成しています。

「三財古墳群」
あの西都原古墳群から数キロ南に行った前原地区に23基、月中地区に26基、亀塚地区に15基、久米田地区に6基(うち横穴墓4基) 計77基が点在しています。
大半が円墳ですが、亀塚地区には柄鏡形古墳を含む5基の前方後円墳があります。
昭和19年12月15日、宮崎県の史跡に指定されています。
他にも小豆野原台地には、ほかの群集墓から離れて孤立した、国指定の方墳「常心塚古墳」があります。

(常心塚古墳)
昭和55年(1980年)3月24日、国の史跡に指定された方墳・常心塚古墳は、三財川北側の周りを畑に囲まれた常心原台地にあります。
墳丘の周囲に沿うようにして、方墳としては国内唯一の土塁を持っています。
墳丘の規模は、南北25m・東西23.8m、土塁間で南北約40m・東西37.5mあります。
7世紀前半頃の築造と推定されていて、終末期の古墳です。
この古墳の発掘調査は行われていませんが、内部主体部は横穴式石室と推定されています。
この古墳の名前の由来は、常心という僧侶が石室内に入り、即身成仏を遂げたという伝説に由来するものだそうです。




                (右側が土塁で左側が墳丘です)


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1 コメント

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Unknown (じこま)
2021-04-14 11:54:05
 ブログの更新ありがとうございます。
 ただし、2ヶ月の入院、現在もリハビリ中とは大変な状況ですね。自分も数年前、わずか1週間ほど入院した経験がありますが、心中お察し申し上げます。
 

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