古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

岡山県岡山市・塚の鼻1号墳

2016-08-27 06:27:16 | Weblog
岡山県岡山市北区建部町大田下にあります。
合併前の旧御津郡建部町のJR津山線「福渡駅」から南に下った、旭川左岸の丘陵上です。









全長42m、 後円部径25m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平を受けています。
前方部は墓地(田渕家5世之墓)になっています。





円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
そのほか築造時期を含め詳細は不明です。

岡山県岡山市・お台場古墳

2016-08-27 05:52:58 | Weblog
岡山県岡山市北区横井上にあります。
半田山丘陵から西側の横井盆地に延びている尾根筋先端です。

全長20m、 後円部径20m・高さ2~3m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は削平を受けています。

墳丘の周りには土塁があります。
ただこの土塁は古墳築造時期のものではありません。
江戸時代末期、鎖国が解かれ諸外国との交易が盛んに行われるようになるにつけ、世情不安をきたすようになりました。
そのため文久2年(1862年)、朝廷は外国人排斥の攘夷令を出します。
それを受け岡山藩は主な港に台場を構築しました。
ここ横井上は岡山藩から津山城下町に至る津山街道(往来)沿いにあります。
岡山城下町の郊外に当たるこの地の警護強化のため古墳の周りに土塁を築き砲台や見張り台を設けました。
岡山藩兵の西洋式砲術の訓練場としても利用されたようです。

この古墳については、古墳時代中期の築造といわれていますが、その築造時期を含め資料がほとんどなく詳細は不明です。
さらにこの古墳は円墳だとも言われています。

昭和47年3月24日、お台場遺跡として岡山市の史跡に指定されています。












岡山県岡山市・小盛山古墳

2016-08-20 08:52:44 | Weblog
岡山県岡山市北区平山の尾根先端にあります。
佐古田堂山古墳の北そう遠くないところです。
「小丸山古墳」とか「平山造山古墳」と呼ばれることもあります。











全長106m、 後円部径95m・高さ14m、 前方部先端幅30m・高さ?m  三段構築の帆立貝式前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。

墳丘の周りには馬蹄形をした周濠があります。
現在は山側に3ケ所の段差のある溜池として残っています。



周濠を渡る陸橋が確認されています。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
墳丘が畑地として開墾されたため、内部主体部を含めその他は不明です。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

この古墳は国の史跡に指定されています。

岡山県岡山市・佐古田堂山古墳

2016-08-20 08:19:35 | Weblog
岡山県岡山市北区平山1290、高松農業高校の実習用果樹園内にあります。
大平山西麓の太閤岩から延びる丘陵を切断して形づくられています。




                         (奥が前方部)


                         (奥の茂みが後円部)


全長150m、後円部径88m・高さ12m、 前方部先端幅90m・高さ9m 二段構築の前方後円墳です。
全国で65番目の大きさです。
前方部が奈良県桜井市の箸墓古墳のように先端に向かってバチ形に広がっています。





墳丘は前方部が農業高校の果樹園となっていて、一部削平を受けています。
前方部を北西(平地方向)に向けています。

1961年(昭和36年)、西川宏氏らによる発掘調査が行われています。
造り出しはありません。
墳丘に葺石は施されていません。
埴輪の出土もなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
鉄剣などの武器、鎌などの農具が出土しています。

古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和34年3月27日、岡山県の史跡に指定されています。

豊臣秀吉の水攻めで有名な高松城は、この古墳からそう遠くないところにあります。
織田信長が京都・本能寺で明智光秀に滅ぼされたとき、豊臣秀吉が光秀討伐に反転したことで一躍有名になったお城です。

岡山県岡山市・青陵古墳

2016-08-13 06:11:48 | Weblog
岡山県岡山市北区谷万成2丁目の青陵神社境内にあります。
万成病院の北すぐのところです。
「あおばか古墳」と呼ばれることもあります。









全長50m、 後円部径20m・高さ3m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は大きく破壊されていて後円部が残るのみです。
その後円部に「青陵神社」が建っています。
ちなみにこの青陵神社は、もともと古墳の前方部にあったそうですが、寛文3年に火災で焼け翌年に後円部に再建されたものだそうです。
現在の建物は昭和11年に拡大して建て直されたものだそうです。



墳丘には埴輪(種類は不明)の配列がなされていました。
後円部墳頂にある埋葬施設は、花崗岩製の組合式箱形石棺で埋葬されていました。
石棺は、神社横に保管されています。



この古墳の築造時期は、古墳時代前期と推定されています。

岡山県岡山市・津倉古墳

2016-08-13 05:45:37 | Weblog
岡山県岡山市北区京山1丁目の独立丘陵上にあります。
池田動物園の南、妙林寺の北です。

全長41.5m、 後方部一辺長16m・高さ3.2m、 前方部先端幅12m・高さ2.5m 前方部二段・後方部三段の前方後方墳です。
前方部が奈良県桜井市のあの箸墓古墳のように先端に向かってバチ形に広がっています。



後方部は墓地になっています。


                      


造り出しはありません。
竪穴式石室が2基存在するといわれています。
その他詳しいことは不明です。

古墳時代前期の築造と推定されています。


               (前方部)




                (前方部から後方部を見ています)

岡山県赤磐市・武宮古墳

2016-08-06 08:34:48 | Weblog
岡山県赤磐市千躰猿喰の吉井川を眼下に望む丘陵先端にあります。
山陽本線・熊山駅近くの、武内神社への長い階段の参拝道を登り切った、神社の奥(東側)です。




               (前方部)


                         (後円部)

全長59m、 後円部径26m・高さ5.5m、 前方部先端幅18.5m・高さ2.61m の前方後円墳です。
前方部はくびれ部からあまり外へ開かない造りで、低くなっています。



造り出しはありません。
河原石による葺石が施されています。
後円部、前方部それぞれに埋葬施設(竪穴式石室)があります。


                   (後円部・・・窪みは石室跡)

前方部の石室は安山岩の角礫でつくられていて、長さ3.3m・幅0.8mあります。



発掘調査は行われてなく、出土品などは不明です。

古墳時代前期の築造と推定されています。

昭和50年1月13日、赤磐市の史跡に指定されています。

この武宮古墳は、和気氏初代の首長墓といわれています。
また一方では、「和気清麻呂」の墓とも言い伝えられているそうです。
武内神社は和気氏一族21人を竹内宿禰として祀っています。

岡山県赤磐市・とんぎり山古墳

2016-08-06 08:12:14 | Weblog
岡山県赤磐市徳富仲尾にあります。
徳富公会堂前の県道96号線を横切って、西へ山道を100mほど登ったところです。
徳富集落の後方山すそです。







全長24m、 後円部径17m・高さ3m、 前方部先端幅7.5m・高さ?m  帆立貝式の前方後円墳です。
尾根に張り出すようにして造られています。
古墳は削平を受けていて、一見円墳のように見えます。





埋葬施設は両袖型横穴式石室です。
石室の長さ7m、羨道の長さ3.4m、玄室の長さ3.65m・幅1.8m・高さ1.6mの単室構造です。
羨道に3枚、玄室に4枚の天井石が乗っています。
北東方向に開口しています。



古墳の築造時期を含め、その他については資料がほとんどなく不明です。

たまたま通りがかりのお年寄りの方に古墳への道を尋ねたところ、「自分の持山にある」とのことで見学許可と道順を親切に教えていただきました。
おかげで観察することができました。