古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

滋賀県米原市・瓢箪山古墳

2020-04-25 05:20:35 | Weblog
滋賀県米原市山東町北方瓢箪山にあります。

全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。

雑木などに覆われていて、墳丘全体像を確認するのはむつかしい状況でした。

資料がなく詳細は不明です。

山すその集落道路脇に立つ標柱そばから、山道を200~300mほど登ったところです。









               (この上の頂上部です)














滋賀県米原市・人塚山古墳

2020-04-18 05:23:47 | Weblog
滋賀県米原市顔戸の丘陵尾根先端にあります。
日撫山の北側麓です。
「鳥羽岡古墳」と呼ばれることもあります。

全長51m、 後円部径36m・高さ4m、 前方部幅10m・高さ2m  三段構築の前方後円墳です。





前方部は、戦前の土取り(道路の新設工事に使用)で削平されています。
その際、刀子や多くの須恵器製土器が出土したそうです。
1989年に発掘調査が行われています。
埋葬施設がどのようなものかははっきりしていません。

説明版によると、後円部墳頂は後鳥羽上皇(1180年~1239年)縁の遺跡で、農民が田植えをするのをご覧になったとの伝承があるそうです。














                 (前方部)


後円部左側は公園になっています。





古墳時代後期・6世紀代に構築されたものと推定されています。

滋賀県米原市・塚ノ越古墳

2020-04-11 05:31:09 | Weblog
滋賀県米原市新庄の平地にあります。
「近江はにわ館」の東すぐ、北陸自動車道の西脇です。


             (右奥がはにわ館)

全長46m、 後円部径18m・高さ2.1m、 前方部幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けちます。







(前方部)





               (奥が北陸自動車道)

(後円部)


墳丘の周りには幅7~9mの周濠があります。
1989年(平成元年)に近江町教育委員会による発掘調査が行われています。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や家形埴輪・人物埴輪・馬形埴輪・鶏形埴輪・岩見型盾形埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
岩見型埴輪は、全国で約50ほどの出土例があるそうですが、ここ滋賀県では前述の「山津照神社古墳」とこの古墳でしか出土していません。
墳丘裾部に巡らされていたようです。
玉杖の頭飾りを模した威儀具とみられていて、5世紀後半には大和政権にかかわる古墳にのみ立てられました。

埋葬施設は横穴式石室です。
1885年(明治18年)に主体部が掘られ、その後の土取りで封土が失われ、石室の石材も抜き取られるなどして墳丘は破壊されました。
石室があったとみられる部分は大きくへこんでいて、小さな祠が祀られています。









画文帯神獣鏡(新庄薬師堂所蔵)、ガラス製勾玉、管玉、丸玉、切子玉、金環、鉄刀、金銅製装身具 などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀初頭頃の築造と推定されています。


滋賀県米原市・山津照神社古墳

2020-04-04 05:22:28 | Weblog
滋賀県米原市近江町能登瀬の式内社・山津照神社境内にあります。




               (左手が古墳です)

通称「岡山」と呼ばれている、横山丘陵から天野川(息長川)右岸に迫る丘陵尾根上です。
「岡山古墳」とか「能登瀬古墳」と呼ばれることもあります。



全長63m、 後円部径27m・高さ6.05m、 前方部先端幅35m・高さ5.8m  の前方後円墳です。



西方向を向く前方部はバチ形に開いています。
前方部端と後円部端が削平されています。
くびれ部には「若八幡宮」の小さな祠が祀られています。



(前方部)










(くびれ部)




(後円部)








墳丘に葺石は施されていません。
平成6年の調査で墳丘裾部に円筒埴輪や朝顔形埴輪・石見型埴輪などの埴輪列が見つかっています。



明治15年(1882年)、山津照神社の社殿の移転造営に伴う境内拡張工事が行われました。
その際、この古墳の後円部から横穴式石室が見つかりました。
家形石棺が収められていたようです。
石室内から多くの遺物が出土していて、そのほとんどが滋賀県の有形文化財に指定されています。
倭製銅鏡3面(旋回式獣象鏡・乳脚文鏡【五鈴鏡】・内向花文鏡)や金銅製冠、武器(水晶製三輪玉・直刀・刀子)、装身具(勾玉・管玉・切子玉)、馬具(雲珠破片・辻金具破片・杏葉・轡・鐙・鞍橋覆輪【くらぼねふくりん】破片)、須恵器(壺・器台・有蓋壺・台付壺・堤瓶・杯身・杯蓋)、土師器の高坏、赤色顔料 などがあります。
石室は全長7.5m、羨道の長さが3m・幅0.9m・高さ1.5m、 3枚の天井石で覆われていた玄室の長さは4.5m・幅2.7m・高さ2.1m あるそうです。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和44年9月12日、滋賀県の史跡に指定されています。
神功皇后の父、「息長宿禰王」の墓と伝えられています。