古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

群馬県館林市・山王山古墳

2019-01-26 05:59:28 | Weblog
群馬県館林市当郷1975-2、「城沼」の北側・県道365号線に面した洪積台地上にあります。
東隣りに善長寺があります。
「郷谷村1号墳」とも呼ばれています。





全長47m、 後円部径37m・高さ5m、 前方部先端幅30m・高さ3.6m  の前方後円墳です。
後円部と前方部の一部が削平されています。






                  (奥が後円部)




                    (後円部)



                  (前方部)

昭和59年(1984年)の調査で、墳丘の周りに周濠が確認されています。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
種類ははっきりしていませんが埴輪片が採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は未調査につきはっきりしていませんが、横穴式石室のようです。
金銅製耳環や鉄刀などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和52年8月30日、館林市の史跡に指定されています。
館林市で唯一の史跡指定古墳です。

群馬県館林市・富士嶽神社古墳

2019-01-26 05:36:07 | Weblog
群馬県館林市富士原町1127-1にあります。
東武伊勢崎線・館林駅の南西方向約1.5Km、国道122号線に面するところです。

全長?m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部は消滅していて円墳状態です。
残る後円部も、富士嶽神社の本殿などの建設に伴うとみられる石垣などで囲まれ、かなり削平されています。
墳頂(本殿)へは45段の石段(富士山に見立てて登り頂上の本殿に拝礼する)を登ります。















古墳の資料がほとんどなく詳細は不明です。


「富士嶽神社」
(祭神)木花佐久耶毘売命
創建は不明とのことですが、文禄元年(1592年)榊原康政により再建されたそうです。
毎年6月1日には初山大祭が催行され、未拝の幼児の健やかな成長と立派な成人に育つよう願って、そのおでこに丸い御神印(小槌の形をした朱印)を押す「ペッタンコ祭り」が有名だそうです。

群馬県伊勢崎市・放光寺古墳

2019-01-19 05:51:23 | Weblog
群馬県伊勢崎市境下武士新畑にあります。
放光寺本堂の北側にあり墓地になっています。




「剛志村67号墳」とも呼ばれています。

全長46m、 後円部径25m・高さ5m、 前方部先端幅26m・高さ3.4m  の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。

(前方部)












(後円部)






墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は横穴式石室です。

資料が少なく築造時期など詳細は不明です。

群馬県伊勢崎市・三社神社古墳

2019-01-19 05:36:41 | Weblog
群馬県伊勢崎市境下武士相生1027の台地上にあります。
三社神社社殿の西側です。




「剛志村68号墳」とも呼ばれています。

全長55m、 後円部径38m・高さ6.3m、 前方部先端幅41m・高さ4m  の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。

墳丘の周りには周濠があります。
後円部にある埋葬施設は横穴式石室です。
鉄刀や玉類などが出土しています。

資料が少なく築造時期などは不明です。
















群馬県伊勢崎市・御嶽山古墳

2019-01-12 06:00:58 | Weblog
群馬県伊勢崎市境上武士西久保町1038の独立した丘陵上にあります。
御嶽山自然の森公園内です。
「剛志村52号墳」とも呼ばれています。

全長45.5m、 後円部径?m・高さ1.5m、 前方部先端幅?m・高さ1.5m  の前方後円墳です。

種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
埋葬施設はどのような埋葬なのかはっきりしていません。
鉄刀などが出土しています。

資料がほとんどなく築造時期など不明です。








群馬県伊勢崎市・阿弥陀古墳

2019-01-12 05:44:12 | Weblog
群馬県伊勢崎市南千木町、広瀬川左岸の伊勢崎台地上にありました。
「茂呂25号墳」とも呼ばれています。

全長?m、 後円部径20m・高さ3.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  二段構築の前方後円墳です。

土地区画整理事業のため、2008年~2009年にかけて発掘調査が行われています。

墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や朝顔形埴輪、家形埴輪などが出土していて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は竪穴式石室です。
高坏や土師器製坏・須恵器製甕などが出土しています。

現在古墳は消滅しています。
墳丘があったところはブルーシートで覆われていて更地になっているようでした。
築造時期などは不明です。




                  (消滅前の墳丘)












群馬県伊勢崎市・雷電神社古墳

2019-01-05 06:04:51 | Weblog
群馬県伊勢崎市境伊与久3581の台地上にあります。
粉川と早川支流の中堀に挟まれた低台地上です。

全長50m、 後円部径28m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を東に向けています。
後円部墳頂上には雷電神社がたっています。
そのためもあって墳丘は大きく削平・変形されていて、円墳状態です。









埋葬主体部は、南に開口する両袖型横穴式石室です。
雷電神社本殿の真下にあります。
石室内には入れないようになっています。
石室はかなり補修されているようですが、玄室だけは旧状に近い姿をとどめているそうです。


               (玄室入口への石段)

榛名山二ツ岳の角閃石安山岩で造られているその玄室は単室構造で、長さ4.7m・入り口幅1.15m・中央部幅2.12m・奥壁幅1.35mあり、中央がやや張り出した形をしています。
明治時代に盗掘されたとのことで、遺物はほとんど残っていないそうです。

雷電神社社殿の北側から西側にかけては、群馬県が指定した「伊与久の森修景美化地域」として整備されています。



古墳時代終末期・7世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和52年3月11日、伊勢崎市(当時の佐波郡境町)の史跡に指定されています。


「雷電神社」
   主祭神・・・大雷命(おおいかづみのみこと)
   建保6年(1215年)3月25日、赤石城主(伊勢崎)・三浦之介義澄が創 
   建したと伝わる。
   毎年1月25日、だるま市が開催されているそうです。
   平成27年12月10日、伊勢崎市の「景観重要建造物」に指定されて 
   います。










群馬県伊勢崎市・鶴巻古墳

2019-01-05 05:25:53 | Weblog
群馬県伊勢崎市東小保方町1859、早川右岸の台地上にあります。

全長?m、 後円部径34m・高さ2.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
70基以上が確認されている淵名古墳群を構成していて、その北端にあります。












                    (墳丘頂)

平成8年度に史跡公園として復元整備されています。


昭和43年に発掘調査が行われています。
それまで円墳といわれていたのが、調査の結果北西方向に前方部を持つ帆立貝形と判明しました。


墳丘の周りには馬蹄形をした周濠があります。
円筒埴輪や人物埴輪・馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
墳丘2段目に両袖型横穴式石室があります。






南西方向に開口している石室の長さは5.4m、羨道は長さ2.25m・幅1.23m・高さ1.2m、玄室は長さ3.15m・幅2.15m・高さ2.05mあり床は一段低くなっています。
石室の壁には榛名山二ツ岳の角閃石安山岩(軽石)が使用されています。
天井には5個の凝灰質砂岩が使われています。
石室は盗掘を受けていますが、歯や骨片などとともに刀子や鉄鏃、轡、鉄地金銅張飾金具、耳環などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀末頃の築造と推定されています。

昭和44年2月21日、伊勢崎市の史跡に指定されています。