古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

群馬県伊勢崎市・赤堀茶臼山古墳

2018-11-24 06:03:48 | Weblog
群馬県伊勢崎市赤堀今井町2丁目甲995-1にあります。
大室公園(大室古墳群)の東、多田山丘陵北端の小丘頂部です。
「赤堀村260号墳」とも呼ばれています。

全長62.1m、 後円部径50.2m・高さ5m、 前方部先端幅38m・高さ2m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部を西に向けています。










             (後円部より前方部を見ています)

墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。


円筒埴輪や朝顔形埴輪・腰掛形埴輪・蓋形埴輪・高杯形埴輪・家形埴輪・甲形埴輪・鶏形埴輪・囲形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
なかでも家形埴輪は8棟分あり、被葬者の館配置をうかがわせるものです。
昭和4年の帝室博物館(現東京国立博物館)による調査で、後円部より2基の木炭槨が検出されています。



1号木炭槨からは、神獣鏡、石製切子玉21個、石製勾玉25個、滑石製刀子、革綴短甲、鉄鏃、斧頭4、鉄鉾身、石突、須恵器 などが出土しています。
2号木炭槨からは、内行花文鏡や鉄刀身などが出土しています。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。

平成16年8月10日、伊勢崎市の史跡に指定されています。

群馬県伊勢崎市・西野愛宕様古墳

2018-11-24 05:43:57 | Weblog
群馬県伊勢崎市西野町南下道728にあります。
「愛宕山古墳」とも呼ばれています。

全長28m、 後円部径25m・高さ2.2m、 前方部先端幅7.2m・高さ0.6m  二段構築の帆立貝形前方後円墳です。

墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や家形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は竪穴式石室とみられています。
西野諏訪神社丘古墳群(6基の古墳が確認されています。)を構成しています。

築造時期は古墳時代中期・5世紀末頃と推定されています。



















たまたま古墳の場所を訪ねた方が、土地の持ち主の方でわざわざ古墳まで案内していただき、この地にまつわる面白い話を聞かせてくださいました。

群馬県伊勢崎市・磯十二所古墳

2018-11-17 05:39:01 | Weblog
群馬県伊勢崎市磯町405-1の台地上にあります。
峰岸山から南方に延びる丘陵上です。
「鎮守様後古墳」とか「赤堀村298号墳」とも呼ばれています。

全長48m、 後円部径30m・高さ2.8m、 前方部先端幅12m・高さ1m、 帆立貝形の前方後円墳です。














                   (後円部墳頂)


                    (前方部)

墳丘の周りには幅6mの周濠があります。
川原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や馬形埴輪・鳥形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
昭和の初めころに調査が行われているそうです。
埋葬主体部については、後円部に凝灰岩の割れ石があることから、この石材で造られた竪穴式石室があるものとみられています。
ただ未発掘のため詳細は不明とのことです。
碧玉製管玉・ガラス製小玉などが出土しています。

築造時期は古墳時代中期・5世紀末頃と推定されています。

峰岸山古墳群を構成していて、古墳群中最大規模の古墳です。

昭和46年6月10日、伊勢崎市の史跡に指定されています。

群馬県伊勢崎市・コンピラ様古墳

2018-11-17 05:21:57 | Weblog
群馬県伊勢崎市西野町、標高166mの峰岸山の頂にあります。
「赤堀村278号墳」と呼ばれることもあります。
一帯は赤堀自然里山クラブの「峰岸山自然体験の森」として活用されています。

全長27m、 後円部径?m・高さ3.6m、 前方部先端幅?m・高さ1.8m  帆立貝形の前方後円墳です。

資料が少なく詳細は不明です。

粉川と鏑木川に挟まれた峰岸山を中心に分布する、峰岸山古墳群を構成しています。
古墳時代中期から終末期にかけての古墳群で、49基が確認されています。
















群馬県太田市・旆塚二ツ塚古墳

2018-11-10 05:48:58 | Weblog
群馬県太田市新田町下江田本郷甲500、矢抜神社境内にあります。
東武伊勢崎線・世良田駅の東南、上武道路(サッポロビール尾島工場)の東側すぐです。
「木崎町5号墳」とも呼ばれています。

全長50m、後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を北東方向に向けています。
墳丘は矢抜神社の社殿などで大きく削平され消滅に近い状態で、社殿裏にわずかな高まりが残っているだけです。









墳丘の周りには周濠が廻っていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
明治44年に発掘調査が行われています。
埋葬施設は角閃石安山岩でつくられた横穴式石室です。
大刀、鉄鏃、玉類、金環 などが出土しています。
これら出土品は、東京国立博物館と近くの最勝寺に保管されているそうです。

築造時期は古墳時代終末期・7世紀初頭ころと推定されています。

後円部社殿右横には平成12年4月6日、当時の新田町が天然記念物に指定した二本の「山椿」が自生しています。
ただ一本は平成13年1月に風雪で幹の中ほどから折れてしまったそうです。




群馬県太田市・文殊山古墳

2018-11-10 05:29:04 | Weblog
群馬県太田市世良田町3119-4、歴史公園内・長楽寺境内にあります。
東武伊勢崎線・世良田駅の南、世良田東照宮の北側です。
「世良田村25号墳」とも呼ばれています。





全長50.9m、 後円部径?m・高さ4.5m、 前方部先端幅?m・高さ2.1m  の前方後円墳です。







種類ははっきりしていませんが墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
資料が少なくそのほかの詳細については不明です。

後円部には昭和36年3月23日、国の重用文化財に指定された凝灰岩製の「宝塔」がたっています。
長楽寺の開祖・徳川次郎義季(よしすえ)をはじめとする徳川家累代の墓所となっていて、古くから文殊山と呼ばれているそうです。






                    (宝塔)


群馬県太田市・富沢稲荷塚古墳

2018-11-07 06:12:43 | Weblog
群馬県太田市富沢割合の独立した丘頂にあります。
「沢野村11号墳」とも呼ばれています。

全長42.4m、 後円部径?m・高さ3m、 前方部先端幅?m・高さ2.4m  帆立貝形の前方後円墳です。
墳頂には生品神社の社殿が建っていて、墳丘は大きく削平されています。

















墳丘の周りには周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設がどのようなものだったのかは不明です。
鉄刀、鉄鏃、長頸鏃などが出土しています。

富沢古墳群を構成しています。

古墳時代中期の築造と推定されています。


「富沢古墳群」
蛇川左岸の市営富沢団地やその周辺一帯に分布しています。
市営富沢住宅団地建設のため、昭和63年~平成5年にかけて発掘調査が行われています。
4世紀後半から6世紀後半にかけて造られ続けた古墳群で、円墳や方墳、帆立貝形の前方後円墳など32基が確認されています。
現在は13基が団地内に保存されています。

群馬県太田市・牛沢十字路古墳

2018-11-03 04:53:03 | Weblog
群馬県太田市牛沢本郷、国道354号線牛沢十字路の南西側角にあります。
「沢野村27号墳」とも呼ばれています。

全長41.2m、 後円部径?m・高さ4.2m、 前方部先端幅?m・高さ1.2m  の前方後円墳です。





後円部墳丘上には牛沢神社の小さな祠や赤い鳥居がたっています。





墳丘の周りはコンクリートブロックの塀で囲われています。





墳丘に葺石は施されていなかったようです。
壺形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室とみられています。
資料が少なく築造時期を含めそのほかの詳細は不明です。

高林古墳群を構成しています。

群馬県太田市・朝子塚古墳

2018-11-03 04:10:29 | Weblog
群馬県太田市牛沢町1110-2ほか 標高34mの低台地上にあります。
「牛沢村46号墳」とも呼ばれています。

全長123.5m、 後円部径62m・高さ11.8m、 前方部先端幅48m・高さ6.8m  三段構築の前方後円墳です。
前方部が後円部に比べ約5mほど低くて細長く、先端に向かってバチ形に開いています。




               

             (奥が前方部、手前は周濠)

後円部は県道142号線(東国文化歴史街道)で一部削平されています。



後円部頂には雷電神社の小さな祠が建っています。





墳丘の周りには墳丘との相似形をした幅28mの周濠があります。
墳丘に川原石による葺石が施されています。
器台形埴輪や円筒埴輪・朝顔形埴輪・盾形埴輪・家形埴輪・蓋形埴輪・壺形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1956年、1991年、1999年 と3度の調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、竪穴式石室とみられています。

高林古墳群を構成しています。

古墳時代中期・4世紀末から5世紀初頭ころの築造と推定されています。

昭和54年10月2日、群馬県の史跡に指定されています。


     (くびれ部・・道路として利用されています。左が前方部)

(前方部)







             (後円部よりくびれ部を見ています。)


(後円部)